遅まき過ぎるけど、松本清張原作の映画化された砂の器という映画をアマゾンプライムで観ました。
昭和46年の映画ですから1971年は今から47年前の映画です。いま振り返ってみて上映当時では人間関係が複雑に交差する重たい映画は私の好みではなく、特に邦画というだけで毛嫌いしていた時代です。
外国映画にかぶれていた時代でしたね。
この頃見ていた映画では地球最後の男オメガマンですかね。
時間があったので名著と言われる砂の器の映画化がアマゾンプライムで閲覧できるので観てみました。
良い時代のメモリーとしても今見ればただ懐かしい風景がそこにありした。丹波哲郎ふんする刑事役が手掛かりを求めて旅をするシーンも淡々としていてとても良かった。
また事件の核心である本浦千代吉と、6歳の息子秀夫が門付けをしながら放浪するシーンは悲壮感たっぷりで心に焼き付きます。
自然が豊かな中に悲壮感たっぷりで救いのない人生の放浪に心打たれるのですが、その放浪に何か自分の心が騒ぎます。
ああ、自分もこの放浪の旅に出てみたいものだと・・・
松尾芭蕉の句にこんなのがあります。
旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる
また、奥の細道「漂泊の思い」には流浪への思いがつづられています。
月日は百代の過客にして
行き交ふ年もまた旅人なり
船の上に生涯を浮かべ
馬の口とらへて老いを迎ふる者は
日々旅にして旅を栖とす
古人も多く旅に死せるあり。
予もいづれの年よりか
片雲の風に誘はれて
漂泊の思ひやまず
・・・・・・
松尾芭蕉が流浪に生きる価値を求めた気持ちは分かる気がします。と言ってもなんの覚悟もない者の分かるなど、何もわかっていないに等しいかもしれませんが、それでもその思いは内にあります。
映画砂の器を観て、本浦親子の放浪シーンがやけに胸に迫る思いと、その放浪によせる私の気持ちが複雑にミックスし印象深く心に残った映画になりました。