今日は、ふいに泣かされてしまった。
てやんでいっ、じじを泣かすなんざ、悪い野郎だ。
?
いや、野郎じゃなくこっちが勝手に泣いただけ。
人が泣くなんてのは、単純な理由だ。
自分が何か泣く環境にあるときには、そんな環境にいる自分が可愛そうで自分の為に泣く。自分の中の触れたくない部分に触れることとで泣いてしまう。相手に共感して自分のことのように思って泣いてしまうとかあるだろう。
泣くまでにはいろいろな過程の積み重ねで出てくるものだ。だから歳を取ると涙もろくなるってのはあながち間違いじゃない。齢を重ねるほどに多くの経験をしているから、ちょっとしたことにも心が動かされて涙もろくなるのだろう。
また純朴な方も良くも悪くも大きな感動を受けやすいので、その分感受性が豊かになってもらい泣きしてしまうことも多いみたいだ。
この経験ってやつはやっかいで、いろいろな経験をし過ぎても少々のことでは泣けなくなってしまうなんてことにもなる。歳をとると泣きやすい面と泣きにくい面の両方を離反して持っているのだ。
まあ、泣くことに理屈はいらないだろう。
心の琴線が揺さぶられた時にはその心に従えばいいのだ。泣くというのは実に、心にとっての浄化作用が大きく働いてくれるありがたいものだ。
いっけねえや、歳をとると泣いたことについてブログろうと思っても本題がどこかに行っちゃってしまうなんてこともたびたびで、高尾山に登るつもりが登り終えてみたらそこは富士山だったなんてこともしばしまある。
Windows7がWindows10に無償アップデートできるものだから、手持ちのパソコンを何台かWindows10にアップデートしていたんだ。そのアップデートの模様をブログっていたらなんだかブログが面白くなってしまった。
一か月ちょっと前まではブログは自分の出来事を記録するためだけもの。他のブログに訪問するなんて時間の無駄ってな感じでした。
Windowsのアップデートも終わって、何とはなしにいろいろなブログにお邪魔しているうちに、ブログの面白さに取りつかれていくつか訪問するブログが増えてしまいました。
どちらかというと私が訪問するブログは女性の方のブログが多いみたいです。
男のブログはめんどくさい系が多いので、自分も同じ男だけどそういうのは避けて女性の素直な気持ちや出来事のブログに触れることで別な人生の一端を経験している感じがして、これがなかなかに素敵な疑似体験ができるのです。
そんな訪問先のブログの一つでお気に入りがあります。
チャコちゃんの【毒親育ちの子育て&本当の話】ブログです。
文章がとても読みやすいのです。
私の文章のように何を言いたいのかが分からないなんてことがありません。読みやすいから話の内容が気持ちいいほど伝わってきます。
今日もブログが更新されているので訪問に行ってきました。
一行目、ふむふむ、はいこんにちは。
二行目と三行目でやられました。
20歳の頃は、40歳になるのは果てしなく未来の話だと思っていました。 40歳過ぎた今、20歳の頃は昨日のことのようです。
女の子の気持ちがわからないと言われた日 - 毒親育ちの子育て&本当の話
別段にこの二行目も三行目も、多くの人にとっては普通の二行目三行目でしょう。そのまま過ぎてしまう前振り文章です。泣くような文章でもありません。
温泉旅行に行くと宴会場で一座の芸芝居を見せてくれるところがあります。その中で歌川二三子の歌の「女傑」だったかなんかを芝居でやっていたのです。いや凄い歌だなあと思って、帰宅後ネットで調べてみたのです。
そうしたら歌川二三子の新曲とかで【わたしがあなたぐらいだった頃】という歌がリリースされていました。
自分はAmazonで2009年12月1日に歌川二三子【わたしがあなたぐらいだった頃】のCDを注文していました。もう10年前ですのでこの歌のことは忘れていましたが、詩と韓国風のメロディーが良くて何度も聞いていたのです。
本当になあ、あのころいつの頃も、つい昨日のように隣にあるはずなのに、いつの間にか本人だけがこんなところまで来てしまった感があって、【わたしがあなたぐらいだった頃】の歌に共感したものでした。
あの曲がり角。
あそこの分岐点。
そんなことがいくつもありました。
気が付かなかったけれど、いろいろな分岐点はもっとたくさんあったんだろうと思います。人生、幾つも送れるなら、それらの曲がり角や分岐点に行ってみたい気もしなくはないですが、やり直しがきかないのも人生です。
そんなことを考えて、歌川二三子の【わたしがあなたぐらいだった頃】に心を動かされていたのです。
人間は時薬の前には多くの人が勝てない。
御多分に漏れずその一人が自分でもあります。
いつの間にか【わたしがあなたぐらいだった頃】も、遠い過去に去って行っていました。
そうだよね、10年でひと昔って言うもの。
ひと昔の10年前のことだもの、遅効性の時薬が緩やかにではあるけれど確実に薬効をもたらす。
そんなときに、ふと訪れたブログで先の二行の文章に出合って、過去10年のことが一気にフラッシュバック的に思い出されてしまった。
そんなわけで過去10年間のことが【わたしがあなたぐらいだった頃】に凝縮されてしまい、歌川二三子の歌を思い出してポロリとしてしまいました。
ポロリとしたら、それだけで少し気分が高揚した感じになって、明日も生きていくのだなって思いました。
小学生の時は中学生がとっても大人っぽく見えました。
中学生の時は高校生が大人っぽく見えました。
高校からは、考えてみるとそんなことは思わなくなっていたようでした。
自分が過ぎてきた年代を振り返るとその時の自分が分かるのだけど、その時の自分には今の自分のことは分からない。今の自分にはまだこの先の自分が分からない。この先の自分になって、今の自分をどう分かることがどう出来るのだろうか?
さあ、宵闇迫ればだ。
今日はちょっと早めに徘徊に出てみよう。
See you.