数年前の世界らん展で買い求めたミニ胡蝶蘭です。葉に薄黄色の縁取りがあって花がない時も比較的楽しめます。多湿にしないで乾き気味で育てていて、当初より三割がた大きくなりました。年々花数も多くなってきています。
※2018年3月17日開花の画像
花の命は
短くはないのだよ
短いのは人の命なれど
生きるに足りれり

※2019年4月16日撮影
ラン科植物の花は比較的長いものが多いけど、それはどちらかというと着生ランに関して言える。着生ランとは樹木などに張り付いて生息するランのことで、樹木などに根を下ろすヤドリギのように宿主から栄養のピンハネはしない。
※2018年3月17日開花の画像
着生ランに対して地生ランがある。地生ランで最もよく知られているランとしては日本ではシランというランがある。これからの季節に赤紫色の花をたくさん咲かせるランで、多くの家庭や公園などにも植えてあったりするからもっとも目に付くラン科植物なのである。まさかこのシランを知らんなんていう方は少ないと思うが、もし知らないならネットで検索すれば、ああ、この花かとすぐに思い当たるはずである。シランの花はとてもきれいだが半日持つか持たないかなのできれいだけど切り花にもならない。
地生ランの花は寿命が短いと言ったが、それならばシンビジウムの仲間は地生ランで比較的花持ちが良い。シンビジウムの代表的なものが里山などに、山というよりちょっとした山野の丘陵などに生えているシュンランである。シュンランは日本全国に生えていてごくありふれたラン科植物である。シュンランは庭に植えている場合もあるがその割合は少ないので、どんな花かはネットで調べてもらえばすぐ分かる。ジジババとかホクロとも呼ばれるが、春に咲くランとてその名もシュンランである。
シュンランは極ありふれたやや身近なラン科植物ではあるが、しかし高度成長期と共に人里近い山野の丘陵地帯は格好な宅地造成地でもあったので、宅地造成でかなり生息圏が狭められている。しかし住宅地の中のちょっとした丘陵的な丘っぽい山などがあればシュンランの自生も少なくない。それでも丘陵的な山の手入れが行われなくなり、篠などが覆い繁り、人の目から見ると荒れた状態になってシュンランの自生は脅かされている。
というのは里山の雑木や枯葉などの利用がなくなって、里山に人の手が入らなくなってしまい、前述した篠などが至る所に生えて生息場所を奪われ気味になっている。さらに篠や雑木で地に届く光が少なくなりシュンランの自生が難しくなってきている。シュンランが里山で多く自生していたのは、人が里山に入り自然の恵みをたい肥や雑燃料として利用し里山と人と共存していたからであったとも言える。
樹木に着生したラン科植物は地に生えるよりは当然高所に生息することになる。高所で花を咲かせると花花粉媒介者(蛾や蜂など)も少なくなるので、花粉媒介ができる期間を少しでも長くしようと開花期間が長くなったのではと思われる。だから花の命は決して短くはない。もう一つの特徴は花粉媒介者に発見してもらいやすくするために、高所に生息する着生蘭ほど花径が垂れ下がる性質がある。つまり地に向かって花を開く感じかな。
花のいのちは短くないなんてこと言うと、先の例のシランなども半日花だしギボウシも同様に半日しか持たない。散り際の良い例としてはパッと咲いてパッと散るサクラが引き合いに出される。散り際が良いため武士の花ともされた。そのことから後の大戦で散りゆくことを美とする実に愚かな象徴にさえなった。
半日持たない花であろうが一か月以上咲いている花であろうが花は花。花に何の変りもない。花が散るのは短命だからではない。それぞれの植物が子孫を残すことに全力を注いだ結果の期間だけ花は咲いているのだ。それも毎年毎年続けて飽くことなく繰り返して咲くのだ。決して人の思いで花は咲いているのじゃない。
風も吹くなり
雲も光るなり
生きてゐる幸福は
波間の鴎のごとく
漂渺とただよい生きてゐる幸福は
あなたも知ってゐる
私も知ってゐる
花のいのちはみじかくて
苦しきことのみ多かれど
風も吹くなり
雲も光るなり
※2018年3月17日開花の画像
See you.