男の中のメルヘンティックというか、お洒落小物やショッピングを楽しむ心みたいなのを女子力というそうだ。これがまた言いえて妙にぴったりする言葉だと思う。
女子力は女子力だからこそ女にありそうだと思うけど、意外や男に対してこそ当てはまる言葉だろうと思う。
男は母という名の母性に守られて社会性の中で男になっていく。男になる勉強するとかしないとかそんなこともなしに、そのまま育って男だから男なんだろうと自分で自分が男だと思うことで男になるのだろう。
父親になるのさえ子供が生まれてから自然と父親にならされるのだ。女は子供を産むことでより強制的に女である母という母性であることを自覚させられもする。
家庭の中にある程度父性の力が働いて男の子を男らしめんとする影響力があるのは当然だろうと思うけど、その父性がプラス面に働いてもマイナス面に働いても母性の方を無意識に選択して育っていくだろうと思う。
なにか曖昧な表現になってしまったが、ブログ主は子供のころ物心がつくころに家庭環境というか両親がすでに不在になってしまっていた。不在と言っても親が出奔したとかブログ主が遺棄されたとかいうことではない。
両親が不在というのは単に両親がいないってことで、両親がいないってことはすでに早逝してしまったからに過ぎない。
両親が早逝したのは物心がつく前だから、極幼少期と思われた方もいるだろうけど、そうでもはない。確かに母はブログ主が三歳の時だから幼少期に早逝している。父は小学4年生に亡くなっているので子供のころなのだが、そのころのブログ主はかなり知恵遅れというか、父親が亡くなったことの意味を理解できなかったのか、悲しいって気持ちがなかった。
父親が死んで泣いたのは、父親が亡くなって黒い服を着た人たちがいっぱい集まってきて、その雰囲気でなにか物寂しさを感じさせられて、とても悲しい気分にさせられて泣いてしまった。だけど父が亡くなっての悲しさで直接泣いたのではないと思う。それほどに自我の薄い子供だったようだ。
父親が亡くなるまでは小川の中の鮒の子供を観察したり、みずすましが水面でくるくる回っているのを見ているのが好きだったし、実際に小川や川に入って魚採りをすることや、山で植物を採ってくることが好きだった。
勉強は全くダメだった。通信簿なんかは嘘偽りなくほとんどが五段階評価で最下位の1で占められていた。先生から「意気地がなさすぎます。もっと頑張ってもらいたい」なんてのが通信簿の通信欄に書かれていたほどだ。
両親がいなくなってからは少々あちらこちらで生活するようになった。が、貧乏人の浮浪者同然なのに、なぜか上げ膳据え膳で特に苦労も何もしたことはない。多分親がなくなってまともな身寄りも無い知恵遅れの可哀そうな境遇的扱いだったんだろう。
これまでに親になにをしてもらったという強い思い出がなにも残っていない。そんなことがあったとしても覚えていないからなのか、それゆえ両親がいなくても特に寂しいと思うこともなしに過ごしてきたと思う。なにも理解できていなかったと思う。世話をしてくれる人間がいるからそれでよいだけ。その恵まれたことに感謝する気持ちさえ持っていなかった。
故か、親がいなくても何の苦労もなかった。物心が付いていないのだから喰って寝て遊べることがすべてで、それが満たされていればそれで幸せだった。
苦労じゃないけど学校に行くのだけが自分のすることだ。それと山野で遊び回ることが楽しみだった。そう、これを書いていて低山ハイキングが好きな遠因はここにあったんだといま思った。
そんな境遇にある子はきっと秀才なんてのが物語の筋だけど、世の中そんなお話みたいなことばかりでは成り立っちゃあいない。クラスの中で後ろから数えた方が早いほどぼんくらだった。でも、まだ自分よりぼんくらがいるのが不思議だったけど、自分よりぼんくらは、実際は自分よりもはるかに頭がいいのだけどなぜか、評価が自分より下に位置している。
相対評価ってやつはある程度評価を割り振らなきゃいけないので、その割り振りで先生がおまけしてくれてそんなことになったってことだろう。どこでも先生には大事にしてくれたってのも、両親がいなくて暫定的に預かっている子供ってことが分かるからなのだろう。
自分が成り立ち的なことをここに持ち出したのは、ブログ主が男として男であるって見本を誰からも貰っていないってことが言いたいだけだ。他にシンパシーを感じる共感力が薄く自分しか愛せない。ああ、ナルシスのような男。*1
世話をしたくれた人と別れる時も、涙ながらに手を振るその人の方を振り返ることもなく去り行ってしまう愚かな人間です。さらには、非社会性がすこぶる高いエゴイストな人間に出来上がっていったと思います。
山内惠介「愛が信じられないなら」
山内惠介の「愛が信じられないなら」ほどのドラマもないままに、歌詞通りただ単純に「愛が信じられないなら一人になればいい」そのものがもへじの半生ともいえる。そんな愛を知らないもへじの女子力は如何やです。
では、女子力の女子に対してはその女子力はどうなのだろうか。
女子は生まれたときだから女子であるから女子力はふんだんに有り余るほど持っているんじゃないだろうか。確かに女子力はふんだんに持っているとは思うけど、その女子力は男子力の中にある女子力とは別物じゃないかと思う。
男は放っておいても適当に男になります。放っておいてという言葉に語弊があれば社会でそのような仕組みになって男になっていくと思います。
女も放っておいても女になるのですが、男のよう社会の中で勝手に男になるのじゃなくて、確実に女にさせられるイベントがいくつか強制発生します。
例えば初潮があり、これで男とは違うのだということを確実に認識させられると思います。現代では薄くなってきているかもしれませんが、それでも社会の中で性別としての女性を要求されます。妊娠出産という恐怖も常に女としての性を認識させられることでしょう。男と女の性は違うのです。
だから、男の中の女子力とそんな女の中の女子力がイコールではないと思うのです。この辺もどかしい言い方ですが、脳の働きから見ると男と女ではまるで別の種類ってぐらいその働き方も違うようです。
これも素人の聞きかじり程度のことなので信用性も何もないですが、まあ、個人のお遊びブログなので多少いい加減なことや全部いい加減なこともなんでも書いちゃいますけど、男は左脳でその働きのほとんどを占めて右脳との連携がごく少ないそうです。女は右脳と左脳がちょうどバランスが取れていると言われています。
そのため女の多くは平均して右脳を使う芸術野の音感も良いみたいです。
でも音痴な女もいますけど、右脳芸術野はトレーニングによって能力が高まるので、歌を歌う練習もしないで上手に歌が歌えるなんてことはあり得ません。もちろん男でも歌が上手な方もたくさんいますが、これらは左脳を使いながらの訓練で音楽はスポーツと同じで練習した成果によるものです。
いま音楽で右脳系芸術野についてだけですが良い例として、宮沢賢治先生の「セロ弾きのゴーシュ」が楽団仲間に認められたのも練習の成果が故です。
ゴーシュは『ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんじゃなかったんだ。』と小動物たちがゴーシュに演奏の手ほどきをしてくれたことに感謝したように、芸術野は訓練との相乗効果で発揮されるのですから女性というだけで音感や母性が自ずとあるわけではなく、トレーニングする下地要素は男性より右脳連携が優れていると思えるわけです。
男と違って女は強制的に女に成らされて自分は女だと自覚するのだろうと思うのですが、その分人としての煩悶も大きく男よりは複雑です。これらでブログ主が思っていること考えていること感じたことを描くにはかなりの時間を費やさないとできませんので、その辺は割愛させていただきます。
◇◇◇◇◇
というか、この辺に来てちょっとブログる方向を間違えてしまって、このまま行ってもすでに収拾がつかなくなってしまったなあという感が強くなってしまいました。でもせっかくここまで書いてきたのでこのまま突っ走ります。なぜなら、この後の本題は極少ない文字数で足りるのです。
そんな愛を受け取ることも出来ないぼんくらな男に育ってしまったブログ主は、他の方のブログで男の中の『女子力』って言葉を発見しまして、その女子力が自分にもふんだんにあるってことに気が付いたわけなのです。自分の中にも愛はあるってね。
ブログ主は花が好きですが、バラとかユリとか豪華な花は見て楽しむための鑑賞にはしても栽培する興味対象ではない。ブログ主の女子力は小さなもの可愛いものに強く惹かれるのです。可憐な花に蝶が飛び回るかのように花から花へと渡り歩く乙女心な女子力の持ち主がブログ主なわけなのです。って、勝手にそう思っているだけです(´▽`)
その愛ある女子力を発揮すべく昨日は東京上野へ行ってまいりました。
上野にはグリーンプラザといって植物でも盆栽や古典園芸的な植物に山野草などの展示や即売が行われる場所なのです。
山草店がどんどん消滅していく今、山野草を求めるに大変な時代になりました。ネットではいろいろな山野草も求められますが500円や1000円の山野草をネットやヤフオクで手に入れても、それらを引き取るには同額かそれ以上の送料がかかるので安くはないのです。
風情ある感じの清楚な中に美しさを見せる山野草的な花をブログ主は愛しています。可憐な花を求めて花から花へと渡り歩く乙女心は、可能な限りどこでも行っちゃうのです。ラブ・イズ・ブラインド故です。
愛を求め、恋めぐらとなり彷徨う、そんなブログ主、とっても可愛いですね。
じじだけど!
そこ、そこ、なにを言っているんだこのバカなんて思わないように、本人がそう思っているんだからそうなんですっ!
幼き頃に親の愛を受け止めることが出来きれなかった、その愛の代償行為なのでしょうか、愛を欲するあまりに花を求めて彷徨い歩く摩天楼、光と闇が交じり合わぬように*2果てなきを求め涙に煙る世界にたたずむもへじ…
んなわけで上野グリーンプラザにやってきました。
中央線でお茶の水まで行き、お茶の水からメトロで根津下車です。
この裏手が上野グリーンプラザです。
最早気分はクライマックスで興奮浮かれ気味です。この時のもへじを見かけたらちょっと危ないかなと、近寄らない方が良いと思いますw
ここが上野グリーンプラザです。
実は盆栽協会会館なんです。だから園芸関係のイベント(即売を兼ねる)が多く開催されているので穴場なのです。
屋内に山野草の展示もありますが、こちらは屋外の業者が集まった販売コーナーです。もへじも販売品が目当てです。5月10日金曜日から12日日曜日まで開催されています。
ユキモチソウの変わり個体。
サトイモ科の植物紹介で触れたユキモチソウの変わり個体です。お値段6000円だったかな。欲しいけど高くて今では買えません。
きゃっふぉ~、買うぞっ!
あの、もう五時で終わりです。
えっ!
五時なのでもう終わりになりました。
ええ~っ?
おバカですねえ、いくら社会性がないとはいえ、行くなら営業時間ぐらいはしっかり確認して行かんか~いってなもんです(´▽`;;;)
片道2時間以上もかけてきたのに、ガックシです。
バスが来なかったので駅まで45分歩いたのもいけなかった。
歩いている途中こんな風景にも出くわした。
こちらの方もサツキや山草の鉢栽培をやっていたのでしょうけど、もう栽培を止めたのか栽培する人がいなくなったのかなのでしょう。「過ぎ去りしとき」とはこういう時代なんです。
ここをデジカメしている私を不審げに見ている隣の方がいらしたので、あいさつをして話を聞いたところ、ここの方は逝去なさって栽培を止めたそうです。息子さんもいるのですが別に住んでいて今や空き家になっているとのことです。
ああ、もう本当にそんな時代になってしまったんですねえと話し込んでしまったのもいけませんでした。それにスマホがあるからと腕時計もしなくなったのも余計いけませんでした。また、日が伸びて明るくなっていたのもいけませんでした。余裕こいて途中のんびりしすぎちゃいました。
もう終わりなので上野グリーンプラザの門扉も帰る人のためのわずかに開いているだけです。屋内展示も見られませんでした。せっかく来たからと屋外売店に割り込んで入り、手近にあった山草のひと鉢を手に取り会計をしてもらって出てきました。
求めたのはウチョウランです。
ウチョウランは野生ランでイワヒバが生えるような霧が巻く感じの岩場に生えているラン科植物です。球根性で秋には地上部は枯れてしまいます。
以前は投機的ランでしたが、今は実生で大量に作られるようになり、これからホームセンターでも「夢千鳥」と称され交配種などが売店に並ぶ季節になります。本数により価格は多少違いますが、1本3-500円程度です。
ひと鉢ですが数本植わっていてそれぞれに個体が違うみたいです。
参考までにウチョウラン黎明期に、こんな花が野生状態で見つけられていたらその取引金額は軽く100万円超えていたと思います。この花形は仁王タイプと言って、初期のころはその仁王でひと花付いた小さな株を20万円で買った覚えがあります。小さかったからそれでも安かったのです。黎明期にはこのような個体を手に入れることも難しかったのです。
花のサイズは極大きなもので2cm程度までと小型なランです。
実は以前にこのウチョウランに大変凝っていた時期があります。いろいろな個体を求めてそれこそ売店を徘徊していたことがあります。栽培はそんなに難しくはないのですがそれでも栽培に癖があり絶えさせてしまうこともあります。
いつしか我が家でもウチョウランが絶えてしまいましたので、焦って偶然買い求めたのですが、ちょっと気合を入れて栽培しもっと株立ちにしてやろうと思います 。
こんなかわいい花が好きなもへじの女子力ですが、花が好きでも今ではそれだけに偏向している人間ではありません。愛溢れて人間の女性もちゃんと好きです。好きというより惚れっぽくなってしまい、ちょっとしたしぐさなどに3秒で惚れることも出来ます。
実は、最近ネットで惚れた女性が二人います。
◇◇◇◇◇
一人は「バンクシーさん、離島の片田舎に現れる!?」の『まままっこり』さんです。
追記3:2020年4月30日 まままもっこりさんはブログをお止めになられたようです。
真の芸術の証に
責任持って
ツイッターなりインスタなりで
拡散して下さい
バンクシーと思われる方のイラストの横にいるのが『まままっこり』さんのようです。
いやあ、このまままっこりさんの画像はまるで何かのポスターのように見えます。出来上がり最高じゃないですか。履きなれた色落ちしかかっているジーンズに紺(?)の細い横ストライプの服は、これ、狙ってきたのかっていうぐらいいや狙ってきたのかもしれないほどバンクシーとかのイラストに合っている。
どう?
まままっこりさんの体から滲み出ている破壊力抜群のエロチシズムが凄くないですか。このエロチシズムにもへじは悩殺されました。「つまらぬものを斬ってしまった」切られた側です。
って、まままっこりさんはてっきり男だと思っていたので、この画像でより驚きました。ブログ文体を見れば文章が柔らかいので女性と思うのが普通でしょうけど、『つまらぬものを斬ってしまった』と嘯*3かれたら男かなと思いますもんね。
で、この画像を勝手に頂いて現在PCの壁紙に使用させていただいています。芸術が爆発しますた。(って、どれだけ古いんだw)
芸術が爆発で、まままっこりさんだらけで悩殺されています。モニターから離れられずトイレにも行けずに垂れ流し状態です。
あっ、この画像にはもへじがすすめる「ビオレのうるおいジェリーがモニタの横に置いてあるのが写り込んでいます。これで手を洗ったときにぬりぬりして手が潤っているのです。って、これも女子力だわ。皆様もお使いあれ。
まままっこりってままもっこりになっちゃいそうです。もっこりはツベルクリンさんのマスコットであるマリリンもっこりを連想させる。ひょとしてままはマッコリ*4が好きなのかな?
まままっこり壁紙で、まままもっこりに「こんにゃろ~」とつまらぬものを斬ってしまったと再度切られそうで、戸締り厳重にして寝ている乙女チックなびびりもへじです。
「こんにゃろ~」じゃなくて「こんややろう」なら大歓迎なんですけどって、言葉遊びが過ぎて「今夜、殺ろう」ってまままっこりさんの決意の後押しをしたかも…ひゃっはああぁぁ、ご、ごめんなさい((((((_orz
◇◇◇◇◇
一人はきれいな手をしていて(自称)、自身も手フェチで米津玄師さんの手か好きと仰っている『ほおずきれいこ』さんです。
長谷川博己と米津の手を載せたいけど、
著作権とかよくわからないので、
私の手を手フェチのあなたにサービスします。
サービスされて、 かわいくてきれいな手なのでこの手に惚れました。ので、頑張ってより美しく見えるようにレタッチしてみました。
画像の加工前と加工後で、どちらが良いかは好みかもしれませんね。でも、もへじは手に限らずパーツに対してフェチってわけじゃないです。もへじの手もほおずきれいこさんに負けず劣らずきれいでかわいい手です。*5
◇◇◇◇◇
さてさて花から花へ飛び回るもへじがいかに花を愛し女性を愛しているかが、今回は素直に如実に伝わったのではないと思う。それぞれがそれぞれに美しき花共よ、自分の中で自分らしく自分の花を咲かせるのだ。
◇◇◇◇◇
ブログはネット上の創作なのでそのつもりで閲覧くださいませよ。
逆にもへじに本気で惚れてくださる方には、お布団敷いて待っていますw
♪ジャニス・イアンをリピート再生で聴きながら…
あっと、ブログ主はじじですからw
◇◇◇◇◇
記事リンク
- とっても簡単・豚のスペアリブを煮るだけ料理♡
- YouTube でもへじの料理番組まつり
- 手製サバ寿司にワサビの替わりになんと粒マスタードを入れてみたですよ♡
- 電子炊飯器で新ジャガイモを炊いてポテトサラダにしてみました♡
- 景信山東尾根から小下沢分岐で急遽小下沢林道コースの検分に行って来たけどとてもデンジャス
- またしても鍋焼きカレーDASU
- 初期化される AI-Bot の涙
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追記:1
ふうん、意味もなく長い文章が追記でまた長くなってしまうけど、読む人は少ないだろうけど自分のために書いているからもへじの勝手で書く。
先ほど植物小屋で植物の手入れをしてたら小奇麗な30代半ばぐらいなのかな女性が歩いてきて私に声をかけた。
「失礼ですけどここはお店ですか?」
「いいえ違います」
趣味ですかと聞かれたので面倒なので「はいそうです」と答えた。趣味だけど趣味だけでもないのだ。そんなことはいずれブログることもあるでしょう。
「じゃあ、どこで買い求めていらっしゃるんですか?」と聞くので、昨日は上野まで行ってこのひと鉢を買ってきましたと、昨日買ってきたウチョウランの鉢を手渡して見せた。
※昨日上野で買い求めた鉢の全体像はまだ紹介してなかったので、丁度良い機会なのでビニールポットに植わっているのですが、少しお洒落にして鉢カバー風で画像撮影しました。
※このひと鉢をその女性に手渡して見せた。
「かわいいですね」そういった女性は、コミックDr.スランプの主人公であるあられちゃんが三十代半ばごろまで成長したような感じだ。
髪は後ろで結わえてひっつめ髪にしている。
小顔で利発さと美しさと聡明さも持っている。あられちゃんに譬えたぐらいだから当然眼鏡もしている。赤い口紅。*6
大人のあられちゃんは言った。
「失礼ですけどこれは幾らぐらいするのですか?」
買ってきた値段を伝えたところ、一言。
「高いっ!」
でした。
「1200円で高いのか?」思わず切り返した。
「高いです」大人のあられちゃんはすかさず答えた、
うむむむ1200円で高いのかと言うべき言葉がなかったけど、「お花は、ホームセンターで売っているポット80円のパンジーがすべてじゃないんだよ」って答えた。それ以上のことは言っても通じるはずもないのでこれで止めておく。
「失礼しました」と大人のあられちゃんは頭を下げて言った。
さらに大人のあられちゃんと少し雑談をしたのちに、大人のあられちゃんは通り過ぎて行った。
「1200円で高いのかあ…」
「…ふううん」
思い出したように、そういえば裏に置いて管理せず放置の植物が意外と出来が良いことを思い出し、草も生えているだろうからと見に行ってきた。
裏に放置してかれこれ3年目になるギボウシ。
水やりなどは一切しない。けどこんなに大株になった。ピンクのスニーカータイプのクロックスを履いた足フェチがいるかもしれないので、サイズ比較にもへじの足先を画像に入れておいたよ。
これはワイヤープランツ。
5年ほど前に枯れかかっていたワイヤープランツの鉢を裏に置いておいたところ、管理なしの自然の雨水だけでこんもりと繁ったので、ここは良い置き場所になるだろうと先のギボウシも置いたってわけだ。サイズ比較にもへじのクロックスも画像に映しこんでおいた。
このクロックスはなぜピンクかというと、底がスニーカータイプでクッションがとても良くて履きやすいので、買い替えるときはネットで探しては購入していたのだけどついにはネットでも黒やブルーが品切れとなり、余っていたサイズで合うのはピンクだけだったのでその二足を取り寄せて履いているからです。
このクロックスの手持ちは黒が一足だけおニューでとってある。もへじの偏平足な足の普段履きは、このクロックスじゃなきゃダメなんだけどな…
んなわけで、今日もなんともなしな一日が暮れてくる時間帯となりました。
少し早め散歩に出て、どこぞのスナックで米津玄師が演歌調でみっともない風情な歌にしたという Flamingo を調子はずれで唄い、よりみっともないもへじの時を楽しんでくるとするかな。
Flamingoの最後は「♪宵闇に 爪弾き 悲しみに雨曝し 花曇り」と台詞が入って、そのすぐあとに「ふううん」で終わる。
追伸:2
色々やっていたら、散歩に行く時間が取れなくなりいまだパソコンの前(PM10:00)です。メインの雑用をしながらも、ブログの下手糞な文章の誤字脱字なんやかんやがあとから時間かかるんです。