まずは納豆戦争なりや。
今日の納豆の食べ方はオクラ納豆っでぇっす。
オクラを小口切りにしますでっす。この程度の小口切りで、まな板なんか使うんじゃないよ~う!
七味をかける。
おいら、七味とか七時とかをそれぞれ「ひちみ」「ひちじ」って発音するんだと思っていた。
それで「しちみ」とか「しちじ」とかって発音をしている人は、「ひ」と「し」の区別がついてない人だと思っていた。
例えば昔の東京者(もん)なんかは、「人」は「ひと」じゃなく、「しと」なんて発音する者も多くて、ああ、江戸っ子だからしょうがないやなあなんて思っていた。
どっかの国(県のこと)では掛け算で願いましては「いちんがいち」を方言で「えちんがえち」なんてやるらしいけど、東京だたって東京都内でもちょっと外れたら、数十年前まではそれこそ東京の中のド田舎みたいなところばっかりだったんだよ。
だから「7」を「しち」なんて発音している東京の原住民を発見すると、おいら「ひち」って勇んで答えていたもんだ。それでも東京の原住民は「ひ」と「し」の区別がついてないから、おいらの「7時」を「ひちじ」って言っていても、それは納得しちゃうしかないみたいなのだ。
なんてこたあねえや、「ひ」と「し」の区別がついてないのっておいらもそうだったってわけだ。なぜこれに気が付いたかっていうのが、もっと恥ずかしい話が、パソコンを始めた20数年前のことなんだぜ。
パソコンで「ひち」を文字変換しても「7」ってならないんだよ。
「ひちにち」ってタイプして「七日」のつもりが、「非知日」ってなる。こんな悲しくも、やがて調べては知る、ショックな事実ってやつだ。
事実を知ったこの悲しさ、これ、あんたに分かるかなあ?
雑木林を「ざっきりん」って読んだアナウンサーがいたとかいないとかって、それって熟語を知らないただの無知なだけってことだ。
おいらちゃんと意識して「7」は「ひち」って理解して覚えていたんだ。それが間違っていたってことは、音だけで間違えて理解したってことなんだよ。
「7」が「しち」って、こんなのは小学低学年で習い終わっているから、大人になっても誰も「7」にフリガナを振るなんてことはしないし、活字にだって「7」を「しち」なんてルビは振りはしないから、耳で覚えた間違った発音をそのままずっと何十年も持ち越してきたってわけなのだ。
小学低学年の通信簿はほとんど1で、おまけの2が二つ三つある程度のレベルだったから、多分授業は耳に入っていなかったんだろう。いまでいう発達障害的なところがあったのかもしれない。
そのうえ物心ついたおいらは、そうだなどちらかというとクールビズ*1なタイプで、べちゃべちゃお話をするのを昔は嫌悪していたってのもあるから、人の中でそういった過ちを訂正する機会が少なかったかもしれない。
そんなわけで七味を正しく「ひちみ」ではなく「しちみ」と言えるようになったのは、まだ二十数年ってところなんだ。二十歳ちょっとなおいらはまだ青春真っ盛りなので、あの夕日に向かって走るんだとばかりにツアー旅行に出て行っちゃうんだ。
ん、どうした?
なにか、おかしなことでもあったかい?
だから、納豆には七味がいるって話をしているんだよ、ったく頭ったま悪いなあ。
納豆だけ食べる場合は醤油はこれぐらいの量。だからご飯に乗せる場合はもっと多めに。んで、からしは全量。
混ぜる、右に三十六回、左に二十八回、あわせて…暇人は自分で計算しなさい。
混ぜ合わせたらいただこう。
しかし、しかし、しかし、
納豆だけで、なんだかとっても疲れた気がするのはなぜなんだろう?
まあ、いいや。
昼間、スーパーに行って買い物をしてきた。
生カツオを四分の一を刺身にしようとかごに入れた。
総菜や出来合いの弁当などのコーナーに来たらイワシの握りがあった。量もちょうど良さそうなので生カツオは元の売り場へ戻した。
イワシの握りとはいえ久しぶりのご飯だ。北海道旅行中もご飯は一粒も食べていないし、旅行から帰って来てもご飯粒は一粒も食べていない。
そんなで久しぶりのお米でイワシの握りだ。
これが画面(えづら)よりも美味しいのだ。スーパーの寿司も本当に侮れなくなってきた。このイワシの寿司とさっきのオクラ七味納豆が本日の昼食でありやす。こんな風に買って食べるなんてことは週一回あるかないかです。
ぬか味噌腐らせ隊としては夕方からは出かける時間でありんす。で、出かける前7時半ごろにはフランスパンで作る玉ねぎトーストを焼いて食した。
そんなで、もう、午後8時過ぎでおま。
サッサッと出かけるつもりが、納豆の野郎め粘り絡みついておいらを離さないもんだから…ふう、モテるって辛い!
んなわけで、一本わけわかめな記事が出来たとさ(笑)
さあ、下手なカラオケでぬか味噌腐らせ隊様が、これからお出かけになりますぞい。
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