今朝の朝食ってどうなの?
もうねえ、朝から疑問形なのよ、私のおつむ。
今朝の朝食って「今朝」だから朝でいいんだけど、それに「朝食」ってわざわざ「朝」をつけちゃってダブルスタンダードみたいに矛盾じゃなくて、なんて言うんだっけこういうダブり言葉。
あった、あったよ Wikipedia に…
重言(じゅうげん、じゅうごん)は、「馬から落馬する」「馬がいななく」のように、同じ意味の語を重ねる日本語の修辞技法。意味を強調したり語調を整えるため[1]、あるいは理解を確実にさせるために用いられる[2]。二重表現、重複表現ともいう。有名な重言としては長嶋茂雄が引退時に述べた「我が巨人軍は永久に不滅です」がある。
ありがたいねえ Google 様にウィキー様。
自慢じゃないがおれなんざ「我がブログは永久に不滅でネットの海を漂い延々と恥をさらし続けるのです*1」ってなもんでいっ!
しかし朝からブログろうとすれば調べ事で Google 様にウィキー様のおかげでおつむが少しお利巧になった気がするよ。
だから、早起きは三文の徳じゃないけど、ブログるは三文の徳っていうやつだ。けど、この「徳」って身についた品性みたいな意味じゃないのかなあ、早く起きたけどそんなことで徳が身につくなんてあるんだろうか。
んだけど、早起きで得が身につくのなら世の中の爺や婆は皆徳がついているはずなのに、自分も含めて、どう見てもそう見えない者も多い。
外見はそれ相応に世の中の酸いも甘いも噛み分けて、それなりの人格と個性を有するかに見えるけど、爺婆を含めて世の中の多くの大人というもののその中身は、三つ子の魂百までの格言通りに、『ガキの魂百』までのまんまで『糞餓鬼』なのが内実のようである。
『糞餓鬼』じゃない根性の人間がいたら見てみたいものだけど、これは外見じゃ分からないから見ることも出来ないし、たとえ身内であってもその正体は分からない。
その身内も『糞餓鬼』なわけだから、誰もそのことには触れたくなくロバート・ブラウニングの『すべて世は事もなし』で、事があり過ぎても事がなしが如くに『今日も暮れ行く異国の丘に友よ辛かろ切なかろ…*2』ってわけで今日も日が暮れて行く。
ちゃん、ちゃん♪
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おい、おい、ちょっと待てよ (屮゜Д゜)屮
朝食の話じゃなかったのかい (';')
日が暮れてしまって、終わらせてどうする( `ー´)ノ
そうだ、朝食だよ!
例によって例のごとくフリップス君、朝はピザトースト風もどき*3の朝食を作ろうと、新玉ねぎを剥こうとしただわさ。
玉ねぎの光輝く少し汚れ気味の茶色い薄皮を剥くときって wktk*4 するよね。なぜ wktk するかっていうと、薄皮を剥いたら玉ねぎの白く光る宝石の如しの艶肌が見えてくるから、それだけで美しいって思っちゃうのだ。
なのに・・・
なのに、なのに・・・・
なのにい~~~~~~~っ!
これって、どうよ?
こんな玉ねぎに朝から遭遇(であ)ちゃったら、こ・こ・ろも折れてブルーになっちまうってもんだろう。だから今朝のブログの書き出しは心が折れちゃった書き出しなんだよう。そこのところ『涙でブログの文字がにじんでいたら分かって下さい*5』
しかしだ、
しかし心が折れようが、こんな玉ねぎは瑕疵だろうって買った店に持って行って交換してもらうことは当然できるんだけどその際には買ったレシートや袋なども必要になるのでこんな経験は人生で100回以上しているけど一度も交換に行ったことがないからこんなことではだれも玉ねぎの交換に来ないことをあてにしてアンダーな玉ねぎを一個入れて三個にしているって陰謀説も否定できなくはないのだけれどもそれを実証するにはさらなるデーターの積み立てが必要なのでこういった経験をこの後200回繰り返したら玉ねぎが三個のうち一個腐っている真相を取りまとめての「もへじ事件簿『玉ねぎの疑惑』」は永遠に発表されることがないけど、朝食を作ります。
今朝のピザトーストもどきは具材てんこ盛りです。多分焼いているうちにタワーリングインフェルノ現象が発生するのではと予見されています。
ピザトーストもどきを焼いている間のお腹にはまずはサラダでもぶっ込んでおきます。ちょうど昨日の生ワカメの残りがあるので生ワカメとブロッコリートマトと、同じく昨日買ってきた『たっぷりたまねぎとポン酢』ドレッシングを使いました。
はい、ピロリじゃなかったペロリ実食済みです。
ピザトーストもどきも焼けたよ♪
焼きあがったピザトーストもどきは少々崩れましたけど、こちらも、はふっはふっ、といただきまして、あんたちょっと食べ過ぎかなってぐらいになりました。普通、これなら一個で良くない?
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