ブログについて
2019年12月2日
ブログについてはいろんな人の考えがある。
とくにはてなブログに関しては、ブログのことをなんやらかんやらとこんな風に記事にする方が多いのは、はてなブログの特徴の一つでもあると思う。
これはブログ間同士の交流が、はてなブログでは容易であることから発生するロミオとジュリエット的現象だろう。
自分もブログそのもののことを記事にしたこともあるし、そういったはてな間的な記事がアクセスが多くなることも理解している。
タピオカブームのことをタピタピ言ってりゃブログでもアクセスが増えるなんて言っていた方がいましたけど、はてなブログに関してはブログブログ言ってりゃアクセスも増える感じが正(まさ)しくする。
これをタピタピはてなアクセス増える法則と名付けてみることにする。
で、自分でもたまにタピタピはてなアクセス増える法則で記事を書く事もあるんだけど、自分のはいいんだけど他人のタピタピはてなアクセス増える法則記事は非常に嫌いだ。
これは個人的にそうなだけで、そういった記事が悪いってわけじゃない。ただ自分が嫌っているだけ。
それで最近は嫌いどころかタピタピはてなアクセス増える法則の記事が多いブログは、購読を外している。
ゲーム関連記事も全く興味がないので購読を外しています。ゲーム好きな方多くいらっしゃいますので、これは極個人的趣向です。ゲームと園芸で言ったら、私のやっている園芸に興味なしって方のほうが多いと思います。
読まない記事が新着に出てもスルーするだけだから、それなら購読を外した方がいいと購読を外している。悪気はありません。読まないから外しているだけです。
例えば登山に興味がないのに登山のことが多い記事がいつも新着に来ていたとしたら、読まないから気になる方と全く気にならない方とか色々いるだろうけど、自分はそんなことがなんとなく気になるタイプです。
それで関心がないブログの購読は外しています。
関心のないブログを何故購読しているのか、それがそもそもの間違いじゃないのかなんて突っ込みがありそうですが、その時の雰囲気や購読返しにさらには[ぶコメ]してくれたからでその方の記事を拝見して面白そうかなと思って気楽に購読を始めたりした結果というやつです。
そんなわけで最近は購読を外しているブログも増えています。
そんな思いはお互いにあるだろうと思うので、私のブログも関心がなくなれば遠慮なく購読を外してくださって構いません。講読外しは通知が来ませんので安心してやってください。 はてなの無料ブログなら[購読者です]をクリックすれば外れますし、プロであれば新着記事での歯車アイコンをクリックし購読を止めるをチェックするだけです。
今後は購読してくれたから購読はしません。なので購読をあてに講読するの止めた方が精神的に良いと思います。
気に入ったらとりあえず購読し経過を見つつ、さらに購読を継続するか外すかを検討します。
自分のブログを見てくれる人とかスターとかで色々考えるブログ主も多くいらっしゃいますが、私が[はてなスター]を外したのは「はてなスター」がページの読み込みを遅くするという記述を数カ所で見かけ、画像を多用することの多い私のブログで画像を削るならはてなの機能を削るで「はてなスター」を外しています。
自分は「はてなスター」を外しているけど、他の方の「はてなスター」は大いに活用させてもらっています。
訪問して記事を斜め読みした程度でも、訪問したよの合図に星一つ押して帰るなんてことに使っています。
私の星は評価ではありません。
ただの訪問のお知らせです。
だから星一つです。
訪問して記事をしっかり読んでも記事にほぼ共感が出来なかったり、タピタピはてなアクセス増える法則記事的である場合には訪問したよの星も置いてきません。
星は置かなくても[ぶコメ]はすることがあります。
[ぶコメ]が「はてなスター」代わりになると思うから最近はそうしています。星も押してから更に[ぶコメ]することもあります。
以前はコメント欄に書き込みをよくしていたのですが、コメント欄に書き込みをするのはちょっとしんどい感じがするので、書き捨てられる[ぶコメ]の方が精神的に便利かななんて考えているのでしょうね。
早く言えば[ぶコメ]はツイッター的独り言ちってやつですかね。
私は[ぶコメ]に力を入れていますので、コメなしの[ぶコメ]は今はしません。[ぶコメ]が楽しみの一つになりつつありますw
で、タピタピはてなアクセス増える法則で記事で月間アクセスどうのこうのと、こうしてバズったとかの記事って本当に好きじゃないんですよね。これは自分のブログが弱小過ぎるからそのやっかみもあるのかもしれません。
私はてなのブックマーク集(?・はてなで注目記事を集めたページ)すら見に行かないタイプですから、はてなでどの記事がブックマークを集めているかなんてことにそれ程興味がないのです。
はてなのお題なんてほとんど見たこともないけど、って、それ、新規記事作成の時に出ているだろうって言われるだろうが、そんなのは目に入っていないのです。
記事作成は自分が記事を書きたいから書くためのなので、ほぼもう書きたいことは決まっているのです。
その書きたいことは、5W1Hが出来ないから、たいてい紆余曲折して脱線するんですけど(笑)
そんなわけで自分のブログに対して訪問者がどうのこうのとか書かれても、訪問者どうのこうのの問題じゃなくて、自分の書く記事がどういったものであるかを考えてみようじゃないですか。
世の中には文筆業って方がいらっしゃいます。
名の出ている文筆業の裏には名前のほぼない無名な文筆業的な方が溢れています。ブログを書く人も文筆業の範疇に入るとしたら全国民が文筆業とも言えなくはないのです。
名前の出ている文筆業の方と、ほぼ全国民の文筆業の方との違いはなんでしょうか。
いや、それが分かれば…
いや、それが分かったとしても、出来る出来ないで才能もある…
つまり凡人が毎日書く記事で、誰か一人でも読んでくれるのってそれだけですごい事なんだよ。
それがブログなんだ。
そしてなんでも書けて、情報発信記事が出来ちゃうのが、今のインターネット時代だ。
そのインターネット時代活躍の場所で活躍できる。
記事を読まないまでも、とりあえず訪問してくれる。
そのことにどれだけの高価値があるか分かっているだろうか?
ましてやこのブログのような拙ブログに広告まで載せてくれて、運が良ければ一日に1円~位の収入さえくれる。そんなありがたい環境がインターネットにはあるのです。このことを喜ばないなんてもったいないじゃないでしょう。
ブログなんてそれだけでいいのです。
だれも凡人が書く程度の雑雑文をありがたがって読んでいるなんて思っている人もいないと思いますけど、もし間違って自分のブログが特別だなんて勘違いと思い違いで寝違えて首が痛くて首をかしげるようなことが、頭の隅にでも浮かんだらそれは即否定して頭から追い出しましょう。
ねえ、どう考えたって一億人とは言わないけど、国民の一人一人がブログれる時代に、自分のブログが突出するなんてことはあり得ないので、もし自分のブログが突出していたとしたら、その方はブログじゃなくても他のことでも突出する可能性が高かった方であり、たまたまブログがその手段だったってことなわけです。
同じブログという土俵に居たってそれは同じ土俵じゃないんです。
その方の元々の土台が違うのであって、勝負する場所がブログであったというだけのこと。
もっと言えば、同じ日本語を操っているのに、誰もが著名人たる文筆家になれないのと同じことです。
そんな凡々平平人の書く記事がどれほどの記事だと思っているのかだけど、精々隣近所と会話する井戸端会議がブログになったってだけのものなんだから、そこを勘違いしちゃあいけないよ。
それらの認識が出来たうえで、ブログのアクセスがどうのこうのとかスターがどうのこうのとかって言うなら分かるけど、自分の勝手な忖度勘定で物事を言っちゃあってもいけなくはないけど、斜め読みしてくれるだけでもありがたいと思う寛容な心が大事だよ。
有名な文筆家の本を買って読まずに積んで置いたって、それは100万部への数字を押し上げた一冊ってことになるんだ。
そんなわけで、って、なに言っているのか分からんことを言っているんだろうかなんて思われているだろうけど、なに言っているのか分からないぐらいが凡々平平人のブログなんてちょうどいいのだわ。
はてなブログに関しては本当にはてなブログ間に関することの記事も多く見られるし、はてなブロガー初心者を吊り上げるためなのかブログのことばっかり書いている記事も多く見られるけど、それ全部はてなブログのブロガーを相手にしているからこそ可能なので、本当にブログの世界で戦いたければそんなことを書く暇に、有益な情報の記事を一本でも書き上げることが大事だってことだ。
はてなブログは、横の繋がりが強くできやすい井戸端会議的な面もあるブログサイトです。お互いに訪問し訪問されての、そんなブログです。
井戸端会議的ブログはどうしても雑記的ブログが多くなりますが、雑記ブログでである以上いろいろな方がブログに訪問し、その足跡がいろいろだろな場合があるだろうけど、それでも足跡が無いよりはあった方が自分の参考になるはずだ。
訪問して数秒でスターを押して去って行かれるって、それ、記事がつまらないからに決まってるじゃん!
だから、凡々平平人のブログなんて、詰まらなくて当然って開き直りがあって良いのじゃないの・・・すみません、このブログもこの記事そうであり、これは、私への、私からのレポートでありました (>_<)
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