南浅川サイクリングロード
2019年12月6日
2019年令和元年10月6日、台風19号は雨台風として八王子にも大量の雨をもたらし甚大な被害を引き起こしました。
ニュースでは八王子市に相当な被害を与えて行った的なことは聞いていたのですが、実際身の回りでは大過がなかったので、自分の尺度で台風19号は過ぎ去って終わったことと思っていました。
浅川への定点カメラで浅川橋の橋げた付近にまで水が上がっていたのでかなり心配もしていましたけど、それでも1974年の台風16号の時は浅川橋よりもっと川幅が広い暁橋付近で水位が土手すれすれまで来ていた時と比べても、浅川橋の橋げたまでの水位なら、浅川橋より下流で川幅が広くなるからまだまだ大したことはないと思っていたのです。
八王子市の状況
「台風第19号」で本市は、これまでに経験したことのない大雨に見舞われ、12日には「土砂災害警戒情報」「大雨特別警報」が相次いで発令され、刻々と変化する状況に対応するため、「水防警戒本部」「水防対策本部」を順次設置、13日には「災害対策本部」を設置しました。市内各所で土砂災害、河川の氾濫、床上・床下浸水、道路の冠水など甚大な被害が発生し、「災害救助法」の適用を受けることになりました。
最近に浅川橋の下流側の歩道で浅川の下流方向を見てみると、右岸の土手ではなくて、土手の下に作られていたサイクリングロード部分が水流により侵食されて通行止めになっていました。
このサイクリングロードは、多摩川からJR高尾駅より先の高尾山麓付近の甲州街道迄続くコースなのです。
浅川橋直下の下流側の右岸を見て、南浅川のサイクリングロードはどうなのかなと思ったので、昨日チャリで南浅川サイクリングロードを通って高尾山麓まで行ってみることにしました。高尾山麓まで行くだけで高尾山登山とは違います。
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久しぶりという久しぶりとはどのぐらいの期間を言うのかと思うほど久しぶりな感じで南浅川サイクリングロードに出てみました。
私のチャリは、自分には筋トレ号(アシストしない重いだけの元電動自転車)とでも呼ぶべきチャリなので、ちんたら漕いでいるとちょっと気合の入った私よりも年上の先輩にも追い越されちゃう重い自転車です。
元々電動チャリだったのですが、一年間フルに往復2時間チャリしていたらバッテリーが劣化してしまい、バッテリーを買い替えるとそれだけで2万円もしちゃうのです。中国製の安いチャリなら2万円あれば2台の自転車が買えてお釣りも来る金額です。
実はこのチャリは貰い物で自分で買ったものではありません。だからでもないですが、自分には2万円もするバッテリーを買う度胸がないのです。貰ったと言っても中古じゃなくピカピカの新品です。
そう言えば車の免許を取得したときも、小型乗用車だけど、スターレットという車を貰ったなあ。もちろん新車。もう何一つプレゼントをしてくれるような人も、今ではいなくなってしまったけど。
車も自分では買う度胸がないんだよ。それに車の運転はどうにも馴染めないし、カーナビもない時代だから方向音痴の自分には運転はきつい。
自転車は電動ママチャリ風ですが、少しサイクリングチャリ風なところもあり、ギア六段が付いていますので、このギアを使いながら坂道などは立ち漕ぎでしのいでいます。
10数年前の本当に古いタイプの電動アシストで、しかも錆びないステンタイプのフレームなのでチャリ自体も重いです。なのでちょっとした坂はでも立ち漕ぎになっちゃうなあ。
それでもこの重いチャリを漕いで、高尾山山麓付近にまで行って登山に出かけていました自分はそれなりの頑張り屋さんかなと思ちゃっていたりします。
以下画像が多くなりますが、台風19号の惨禍と、この近在の風景の秋の様子的な雰囲気も楽しんでいただけたらと思います。
五月橋の上から上流方向を撮影。びっくりしたのは川の中の植物植生部分が消失していることです。
五月橋から下流方向を撮影。
しかし浅川って川底が砂利なだけじゃなくて硬くなった粘土板みたいな河床なんだね。砂利のあるところも掘ると、こんな硬い粘土板が出てくるのだろうか?
五月橋は位置的に本日のコース上で 0 のところがそうです。
地図上の ○─○─○─○─ の線が本日のコースです。
この場所は地図で白丸二つ目と三つ目のほぼ中間の場所です。
なにか長い構造物が川に落ちています。
今年は川に水がまだ流れています。例年の冬葉はこの辺は川が完全に干上がってしまう場所です。
おや、早速に通行止めとな!
わっ、南浅川のサイクリングロードが大きく抉られています。ここは地図上のコースで白丸7つ目手前付近になります。
迂回して下流を見たところ。
画像奥の橋は南浅川橋で、南浅川橋も台風の影響を受けて工事をしており、橋梁下が通行禁止となっていました。白丸9つ目付近。
南浅川橋の上から下流に方向を撮影した画像です。↑上が台風19号通過後で、↓下の画像は桜が咲いて春先だから、川雑草は枯れているけどこんな感じだった場所です。
南浅川橋右岸川工事の風景。
ここは飛び石が設置されていて向こう岸まで渡れる場所でした。その残骸が右手の塊です。下に貼り付けた記事の中ほどに以前のこの場所の画像があります。
先ほどの少し上流部分でも…
古道橋です。右手に見える擁壁の上までチャリを漕いでいきます。上がれるかなと思ったけどなんとかチャリを漕いで登れました。坂は大したことはないのですが、それより大したことがないのが私の体力なので、こんな場所もチャリ通過で大変な場所としてよく画像撮影して紹介しています。
この場所は左岸側の綾南公園の高尾寄りの終わり部分になります。
古道橋から↓上流部分を撮影。
上流部分にも河川にユンボが入っています。
古道橋から↓下流部分を撮影。上流部分にも河川にユンボが入っています
下流部分の河川の中に草がないのが、驚き桃の木山椒の木までは生えていないけどここも草ぼうぼう地帯でした。
先ほどの擁壁を登って、昭和天皇陵墓の突き当りを左に曲がって下ってきたところです。
町田街道へのバイパスが見えます。陸橋道路を左に行けば町田街道にそのまま侵入できます。
ここで左後方を振り向くと…
高い場所なのにちゃんと、造形されているシルエットが素敵じゃないですか。
廿里の町を抜けていきます。高尾街道にぶつかります。この先の交差点を左に行けばJR高尾駅です。ここは直進してもう少し廿里の街を走って行きます。
高尾街道の信号を渡って南浅川と再度接すると、ここにも多少被害が出ているようです。
更に進むと甲州街道と接合する土手の細い通路に台風19号の被害が出ていました。この手前で左に行っても甲州街道に出ます。私はいつもここを走るので、ここを通ってみます。
川側にあったフェンスがありません!
通行可能な土手部分です。
ドウダンの木に川のゴミが付いているのは、土手の上のここまで水位が上がったということです。
川側にフェンスが残っている部分も…洗濯機の糸くず取り道具な感じで川のゴミ除去装置みたいです。間違いなくこの通路は1m前後は冠水していたのでしょう。
画像で川の右擁壁の白っぽいところは数年前の台風で崩れたところです。甲州街道の橋のほんの少し下流側です。
画像奥の高架は、甲州街道にかかる中央本線の陸橋になります。つまりあの下が甲州街道です。
甲州街道に出て最初に横切る川です。川に水道などを走らせる橋部分に川ゴミが付着していて、ここも水位が高くまで来たことが分かります。
右手に二軒のコンビニが並ぶ部分の先に京王線の陸鉄橋が見えます。陸鉄橋の手前を右手に曲がって高尾山口駅の二輪車無料駐輪場にチャリを停めておきます。
画像は甲州街道方面の鳥居を撮影したところです。
京王線の陸鉄橋の中から氷川神社を撮影です。氷川神社の鳥居の足は三本足です。これと別に三柱鳥居という珍しき鳥居もありますが、それではなくて普通は一柱ですが、土台に足が二本ついて三本となる両部鳥居です。画像で鳥居の右柱部分で分かるかなと思います。
左手に手水社。神社は好きなのでお参りして行きます。
京王高尾山口駅です。この重苦しい木のデザイン何とかならんもんかねえ、センス悪過ぎな感ありありです。第一に暗っぽいんだよ!
駅を背にして右手に曲がって行くと高尾山登山口ことケーブルカー乗り場などへ行けます。この通路の左側はすぐに案内川が流れその川にそって甲州街道も少し続いています。
京王線もなかった以前には案内川からこの道の間までのところには多くの園芸店が露天商のごとくに並んでいた場所でにぎわっていたのですけど、それを知らない人は今の高尾山の賑わいを凄いと思っていますけど、この程度の賑わいなんてとんでもなくて、実は団塊世代前後の人が動き悪くなっているので全くに凄くないです。最も遊びも多様化し、昔のよう一極集中でなくなったのも確かです。
団塊世代前後の人たちが日本の景気を動かしていたので、そうでなくなってから日本の景気は悪くなったんだと個人的には思っています。
車も買わない、いや車を買えるような賃金も払わない経済は、団塊世代前後の世代が年金や医療費で国の経済を圧迫し、若い世代に高負担をもたらしていると追いやられてきた経緯と並行している気もします。構造改革も悪い面ばかりを小泉さんがやった感もある。
寸暇を惜しんで団塊世代前後の世代がこの豊かな日本を作ったのに、集めた年金も箱もの行政や運用の失敗などの国家レベルでの失策無駄遣いに、さらに2兆円近くは間違いなくかかる様子で下手をすると3兆円にのぼる可能性もある金額で大運動会(輪っか五つのやつ)をやるってのも、国として頭沸いているとしか思えんよ。なんて書いちゃうと大げさかもですけど、実際そう思っています。
南高尾山稜に登山するときはこの橋を渡って甲州街道に出て四辻へ行っていましたが、ここは台風19号の影響で閉鎖ですね。「洗堀」って単語があるんだ。
道なりきに進むと高尾山の一号路に出ます。ここを右に行け場このまま一号路登山道になります。参道コースと言い換えることも出来ます。奥にケーブルカー清滝駅も見えています。
一号路。右手は高尾山薬王院別院の不動院です。こっちにはあまり来ないので、ここの不動院があるのは知っていたような知らなかったようなです。
論語の『人の己を知らざるを憂(患)えず 人を知らざるを憂(患)う』は簡単にいうと、「自分はこんなに頑張っているのになんであいつの方がって妬む気持ちよりも、あいつの方が自分よりも努力していることを知りなさい」という意味です。
高尾周辺の山はまだまだこんなに通行できないところがあるみたいです。
ケーブルカー清滝駅の左手が稲荷山コースと六号路登山口への入り口になります。
清滝駅を背にして高尾山口駅方面を見た画像です。正面奥の建物はソバ屋の高橋家になります。
高尾の紅葉ももう終わりかけていますね。さあ、以上にて、チャリを駐輪している高尾山口駅に戻ります。
参道(一号路)から甲州街道方面を見たところ。画像左の橋の袂にある茶店みたいなところで高尾饅頭を一個買いお茶をいただいて食べてきました。お姉さんの指先があれているので、そのお姉さんに今日「ぶコメ」した以下のことを力説して説明してきた(笑)
- i-shizukichi 本当に手荒れがひどい場合はハンドクリームなどをたっぷり塗って、スーパーのサッカー台のビニール袋(汁が出そうな商品を入れる)を手にして寝ると、朝起きたら手はつるつるに。一週間頑張れ、スマホできたと思う。
はい、それでは本日のレポート終わりです。
これから少しフィールドに軸足を移そうかと思い、早速にチャリでいつもの南浅川を走って来ただけでも台風19号でこれだけの影響が出ていて、台風19号の惨禍は本当にひどかったのだなとあらためて認識しました。
そんなことでまた久しぶりにチャリこと筋トレ号(アシストしない重いだけの元電動自転車)を漕いだので、本日はなんとなくだけどちょっと筋肉がこわばる感じが残っている。ブログにかまけ過ぎた運動不足の影響だね。
ブログにかまけブログだから知り合えた方々も、基本はお互いさまにネットの向こうの住人で、実際には本当の名前も何も知らないただの通りすがりです。
東京ラブストーリーの主題歌のラブストーリーは突然にの歌詞じゃないけど、ネットの向こうの誰かとも結局は「僕等は いつまでも 見知らぬ二人のまま」なことの方が多いわけです。ツイッターも結局は同じですね。
ここ数か月自分なりにブログを一生懸命頑張って来たなんて言うと、それこそ論語の『人の己を知らざるを患えず 人を知らざるを患う』で、もっとブログでも活躍している人もいらっしゃるのにそういう方に対して失礼だと思う。けど、もういいかな的な気持ちもあるので、少し軸足を外に向けたいと思う。
と言ってブログをやらないわけじゃないので、その辺は力配分を考えようと思う。なんでかしら、ブログの更新がいつの間にか毎日になっているなんて、やり過ぎた感もあります。植物依存症ならぬなんでもほどほどでが大事かも。
んだけど、ほどほどだと一線も超えることはないけど、じゃあ一体どうしたらというロミオとジュリエット物語状態で人々は悶えるのであります。
追記:2019年12月10日
台風19号の高尾町での影響を撮影した映像が YouTube にありましたので掲載しておきます。
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