TVとネットと印刷メディア
2020年2月22日
最近は個人的に YouTube 動画に凝っています。
YouTube 動画を観る方じゃなく自分で録画して公開することに凝っています。井の中の蛙人間ですから、他人の動画なんて興味ないです。だから、他の方の動画を観るなんてことはほとんどありません。アッペーンとかで有名になった方の動画も未だ一度も観てないです…それ、なに自慢なんじゃって感じだね。
そんな中でも唯一良く見る動画と言えば、音楽の動画ぐらいかな。
音楽の動画はご本人歌唱の動画が好きで、自分がその歌の練習をしたいために観るだけで、その歌手が好きだとかそういったミハー的な要素は皆無です。
ミハー的な要素はゼロ。
米津玄師さんの歌を YouTube 動画でよく練習していますけど、米津玄師さんの歌にはシンパシーを感じても、ご本人には今のところなんの興味ないです。
興味があるとすれば YouTube にMVを流していかほどの収入があったのか、野次馬根性としてそれが知りたいぐらいです。 Lemon 6億回再生も遠くない感じですからめちゃくちゃすごいです。
初期の頃は別にして、近作では一曲で何億回再生なんてのがいくつもあるので、1PVが1円としても、何十億円稼いだのかなあって下種な興味だけです。
基本、人に関心がそれほどないのです。
それで各メディアについて、極個人的な安っぽい論を展開していきましょう。
その論についてのご判断は、各自ですれば良い事ですのでその点はお間違えなく。*1
TV
歌で言えば、TVで歌謡番組がほぼなくなって久しいです。
それはTVが家庭の中の中央にいた時代から、少し脇に追いやられる時代になっているからです。TVがつまらなくなったからでもなんでもありません、人の関心がTVから流れてくるものに興味が薄くなったというよりほかに面白いことがいろいろ生まれたからです。
ですが、TVは事件性の高い衝撃的な放送であればあるほど、急激にTVの視聴率が上がり耳目を集めます。ということはTVは普段は何気ない生活の中にあって、いざという時のために緊急ニュース流すには最適なメディアとして存続しかけているわけです。
その状態がこれからも続く限りは、TVとしてはお笑い系バラエティ番組が中心とならざるを得なくて、天気予報や情報番組などより生活に密着した話題取り上げていくのかなと思います。。もし日本がどこかと交戦でも始めたら、恐らく交戦の期間はTVが点けっぱなしになる時代がくるでしょうね。
TVももはやただの一つのメディアに過ぎず、家庭の中心にあった時代は既に終わっています。
そしてTVはガレージ商店街とほぼ同様になっているガレージTV番組といえるでしょうか。TV自体は一方通行的井戸端会議となっている感じも強く、これらはTVのブログ化とも言えると思います。
ネットが出来てから新聞そのものの売り上げが落ち、家族が崩れ一人一人に個化してより新聞購読もダダ下がり気味らしい。昔は新聞社勤めはそれだけでステータスだったけど、就職先として『キャリスタ終活2020』総合ランキングによると、人気企業ランキングで新聞社は91位に読売新聞がやっと登場し、124位が朝日新聞社となっている。
ちなみに1位は伊藤忠商事、2位トヨタ自動車、3位三菱商事、4位サントリーグループ、5位全日空となっている。配達して届ける新聞はすでに斜陽産業に入っていると見る人もいなくはない。
新聞
新聞が売れない理由ははっきりしています。
新聞を読む必要がない時代に入ってしまったのに、新聞社がいつまでも新聞を売ろうとしているから方向性を間違っているのです。
新聞というマスメディアは、「ペンは剣よりも強し」をもっとうに社是を賭して記事を作ってきたなんて、まことしやかな虚言を書くつもりはありませんしそんな風にも思っていません。
時の権力に流さる結構優柔不断な新聞とメディアであっても、それでもその中に一部は反骨もある人々もいる(いた)程度に認識していますが、それもいる程度なだけですね。
新聞記事としてのメディアリテラシーなんぞは、実はあるように見えてありゃしない。新聞は元々が自分の取材を世に出したい個人ブロガー的集合体に過ぎないのだ。看板を背負っているから取材もしやすいしそれで飯も食えている。そこが趣味範囲のブロガーとの違いだろうか。
メディアリテラシー的なものがあるとすれば、ブログ項目で記述する 公共性を貴ぶ精神にのっとったWikipedia化と同様に、より良いように振り子が働いているという点だろう。
しかしながら新聞もTVと同じく、社会情勢啓蒙窓という役割を既に終えています。
TVと同列に並んでいるのに、片や民放TVの多くが視聴者から金を取らずに経営しているのと違って、未だ紙媒体を売って新聞を配達していることに問題の根幹があると思います。この形態は集金で叩かれるNHK的でもあります。
そんな古臭いシステムは、新聞の文字情報をだけ頼る昭和の高齢者がいるとしても、どう考えてもずいぶんと時代おくれなことだ。これをいつまでも続けて行けば、新聞そのものが押し売り風に売りつけられる迷惑な会社という面ばかりが目立ち、ますます先細りの日刊ペーパーみたいな末路しか残らないでしょう。
極端かもしれないが、新聞を本気で売りたいなら配達を止めるべきです。
そしてネットでポータルサイトを展開し、全ての新聞記事と同等の内容を無料で閲覧できるようにするべきなのです。TVの民放放映と同じで収益はCMで稼げばよいのです。
現状はネット記事に細かくCMも挟み、さらに有料記事で金を取ろうなんてせこい根性が見え見えだから、誰もがネットでも新聞を購読しないという現状なのです。
ガレージ新聞社を止めたいなら記事は全て無料公開にすべきです。
あるいはAmazonファイアーTV ーのような「新聞ファイヤーinTV」的なものを契約家庭に配布し、ネットから新聞と同じ内容を家庭のTVで見られるようなシステムにすべきなのに、いつまでも新聞という紙媒体に頼り過ぎていると思います。
新聞紙なんて自然破壊も同然です。
印刷メディア
印刷メディアと言っても多岐にわたり過ぎちゃいます。
先の新聞も現状は印刷メディアです。
そのほかに書籍にアニメや情報誌にムック本など、エトセトラはこれはニッチなメディアとして必要だと思います。
印刷メディアは先にあげたTVとも新聞とも路線が違います。
なにかに特化していますので、そこの部分に特化した需要は印刷でなくても電子式となってもなくならないと思います。が、すでにこちらもガレージ書籍化しているのは間違いないです。ネット依存度がますます高くなるでしょう。
印刷メディアはネットメディアの中に取り込まれやすい性質があります。ということはネットと親和性が高いってことなので、印刷メディアをネットメディアにいち早く転換すべき時代にも来ていると思います。
DVDレンタルと書籍で伸びてきた感があるツタヤは、二本立ての収益のメディアのどちらをもネットで奪われている。同じ営業形態を続ける限りは未来は先細りになるのではないかと思う。
動画
動画はTVや映画も一種の動画とも言えます。
映画は別にしてもTVはライブ性もありますし、ネット動画はよりライブ性が高いものがあるのも事実です。ただ違うのはTVは録画しておかないと個人にデーターは残らない点があります。
ネット動画(YouTube)などを特にメディアとして取り上げる理由もないのですが、YouTube 動画とブログと比較もあったので、一応メディアとして取り上げてみる。
メディアとしてはYouTubeはすでに巨大産業です。
産業としてブログ運営会社では太刀打ちできる状態にありません。動画に対抗できるブログもありません。どこのブログが米津玄師のLemonのように 6億回もの PV に耐えられるのでしょう。
音楽とブログを比べたら卑怯かな?
音楽はMVで動画のジャンルと純粋の音楽ジャンルと区分けできない。YouTubeでh音声再生が出来るものは全て動画になるのだ。そしてLemonはただの一例に過ぎない。 YouTube には個人で、動画で何十万人とか何百万人とかのチャンネル登録者を有する人はゴロゴロいる。それにニコニコ動画なんてのもある。
保存を許可しないネットライブ動画もあるのかどうか知りませんが、とりあえずネット動画は見たい時にいつでも見ることの出来る動画であり、検索も可能なストック映像となります。つまり書棚から取り出すようにネットに保存されているのです。アニメや映画なども同様です。
この点が動画が、他の新聞やTV放送とはちょっと違うところです。
もちろん新聞もTVも個人で保管や録画できますし、それに国立国会図書館でリサーチも出来ます。が、ネットの中でというほど楽なものじゃないです。
保存されるという意味ではネット動画は、印刷メディアに近いものがあります。
印刷メディアのように個人で保存するか、動画はネットに保存してあるかの違いです。人にもよるでしょうが、ローカルに保存した動画は、一ヶ月以内のホットなものを見る程度で、あとは死蔵に近いものとなってしまうでしょう。やがてHDDが一杯になれば削除される可能性が高い。
動画の利便性は人によって違うと思いますが、保存された動画には今という即時性はありません。既に過去の情報でありこれも印刷メディアと同様です。閲覧したい時に閲覧できる電子書籍やネット配信の映画などと同じようなものです。そこに何の違いもありません。違うのは印刷メディアや放送と違って観たい時にアクセスが楽なことです。
とまあ動画贔屓なことを書きましたけど、ネット動画の方が価値が高いとかの比較問題ですらありません。性質的にもブログと比較する性質のものじゃありません。ブログは最早常時開催されているコミケみたいなもんだと思っていいのじゃないかと思います。
もう一つ違いは雑記ブログは過去記事が再度読まれることは非常に少ないけど、 YouTube 動画は時間経過とともに、過去動画も視聴回数がちゃんと増えてくるところに大きな違いがあります。
YouTube 動画とブログの両方を融和させる利用方法は無くはないと思いますが、それは個のすることであって衆の目的であると勘違いしないことです。
そういえば先ほどコロナウィルスでリンクをクリックしたらAbemaTVだった。動画と言えばだってこのbemaTVもGYAO! だってあるし、番組によってはオンタイムもありで、さらに期間限定でドラマアニメシリーズも楽しめる。TV放送と動画と新聞になどマルチエンターテイメントメディアで観流し聞き流しも可能なのに集中力を強いられる新聞記事を読む意味も少ないだろう。
えっ、語彙などの理解力が劣るって、もともとどれも人生の文明の中で生まれたものなのであって、どれか一つが衰退しそうだかってこだわる必要が何処にあろうか。大河の流れの前に抗う術はないのだ。抗いたい方は遠慮なく抗って人生を終えりゃいいのだ。抗わなくても人生はいずれ終えるに違いはないけどね。
ブログ
ブログはネットへの個人の文字発露現象です。
特に雑記系ブログは心の中の事象の発露というよりも、その時の感情で思ったことを勝手に書きなぐるだけの場所です。自分などは特にそうです。
心の事象などうまく表現できるならその方はすでに文筆家にといえる立場にさえいると思いますが、ブログはそこまではたどり着くこともなかなかに出来ないで、多くはただの個人の露悪発露*2とでも言うべきものでしょう。
露悪発露の集合体が雑記系ブログと言われるものの一群です。
この雑記系ブログが人の心を捉えるのは、それはそれぞれが個の時代になったからです。誰もが表現者になりつつある時代です。家族の中にいても個の時代。
そして、本来一人一人の人間そのものが表現者なのです。
それがネットというシステムにより、情報発信という名の露悪発露が行える時代が来たのです。
雑記系ブログはその雑記系ブログに関するキーワードでも使わない限りは、過去記事など検索にも引っかかることもありません。記事を公開して数日が命の記事です。記事としての旬はすこぶる短いです。朝に咲き夕べに萎れるアサガオみたいなものが雑記ブログです。
同じブログ形式でも情報提供的なハウツーブログは、ネットを利用した印刷メディアと同様なものなのです。これらは必要に応じて検索で繰り返し繰り返しピックアップされ利用されるものです。
必要に応じているゆえに、個人でもハウツー的ブログや動画である程度生活するに十分な稼ぎを上げている方も少なくないですし、有り余るほど稼いでのし上がっている方もいなくはないのでしょう。
雑記ブロガーのやっていることは私も含めて、多かれ少なかれ露悪発露的であるってことを理解しておく必要があります。これについても当然異論もあると思います。
ネット情報は玉石混交は他のメディアも同様です。
ただ、ネット百科事典的な Wikipedia への記述が希望すれば閲覧者にも任されているのに、それでもWikipedia 情報への信頼性は高いということを考えてみるなら、世の中で是正される部分はネットでもちゃん良識の府として自然と是正され薄められているのだということなのである。
なのでネット情報であろうとも、大まかに情報リテラシーは発揮されていると言える。
注意しなければいけないのは自己利益のための誘導記述が、ネットではSNSやブログを通してバラ撒かれることであろか。ネットで一番リテラシーの低い部分でもある。なになにしたからこんな良いことがあったなんて、お前は、阿呆かって言いたいです。そんなんで良くなれば皆もっともっと良くなっているよ。
まとめ
以上幾つかのメディア的なものに対して、ブログ主の露悪発露により書き記してきましたが、実際のところいまの時代はより個の時代になって行く過渡期なんだろうと思います。
いや、時代はいつも過渡期なのですけど、TVも無い時代から 生きている人間としては、これほどまでの個の時代がくるとは思ってもいませんでした。
個の時代ではありますが、人はそれでも触れ合いを求めて現実社会よりもネットの方に来ています。ネットではバーチャルであっても、実社会よりもネットに重みを置いて情報発信をなさる方が増えています。
家族でいてさえも、より個化している時代が、今の日本じゃないかと思います。
極端に言っているかもしれませんが、それぞれがガレージ化したこのシャッター個人となっているのに、ネットの中には別の団欒があると思いながらの無意識下の空想(バーチャル)に逃げている状態ではないかと思います。
そしてここにあげたメディア論的なことに関して、どれもがドングリの背比べ状態である時代なのに、どのドングリが優位かなんてのはその個人個人にとっての、それこそ個の話だろうと思います。
おまけ
会社と個人
シャッター商店街に関しては「個」の時代となっては、「個」の店には行きにくいのだ。
個人商店なんて個そのものであって、愛想が良くても悪くても個人商店で何かを買うのがもうめんどくさい時代なのだ。
だから個人じゃないコンビニ(経営は個人でもアルバイトの接客)や、スーパーなどといったところでの買い物が気楽なのだ。
店員もアルバイトだと分かっているから、店の売り上げがどうのこうのなんて心配をしてやる必要もないし、ガム一個でも買って出てくることが出来るのが、見かけ上だけでも個ではない顔をしたコンビニなどの商店であろう。
つまりはどうのこうのと言っても、日本全体で個人商店の店主の顔はもう見たくない時代でもあるのだ。
一部の店に良い八百屋があるよなんて言われても、それはそこがたまたまそうであるだけの話であって、大局的に見れば高齢化と相まって個人商店は排斥されだしている時代なのである。
飲食店も現代風の飲食店でない個の飲食店にはやや入りにくい。これがスシローや日高屋なら入りやすい。ところがファミレスとなると個ではまた逆にやや入りにくいが、名前からしてファミリーだからだけどそれも慣れというものだろう。
そんなわけで個人商店なんてのは今後はよほどオリジナリティがない限りは、もっともっと淘汰されて行く絶滅危惧種であると言える。個人商店を絶滅危惧種にしているのは、個を求めている我々であって日本の現状なのだからそこに救う道はない。
先行きの社会は飲食業などの差別化を図った個人的商店か、企業的会社の両極に別れると思う。両極に別れるといってもカンパニーの圧倒的優位で、個の商売はそれこそ隙間過ぎる隙間商売となろう。
生き残るには会社ことカンパニーの一員となるか、カンパニーの一員となれないものは個となって足掻くかのどちらかしか選択肢はなくなって来るだろう。もっと生き辛い世界は間違いなくやってくる。
その結果は、未来を牛耳るものは国ではなくて、それは巨大カンパニーであろうと断言できる。
以上、なにか啓蒙されることが一つでもあったら、以下のAmazonアソシエイトの商品の一つでも買えって!
何をバカなと反論されるもいいだろうけど、それは自分のブログでやってくれいっ!
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