初期化される AI-Bot の涙
2020年3月19日
ギシッと少し大き目だが音としては小さな音があちらこちらから、間接的に響いてきた。
またギシッ… ギシッ…と音が響く。
やがてギシッという音がほとんど聞こえないくらいのかすかな擦れ音となると、東の空が明るくなって窓に差し込みだす中に黒い物体が立ち上がる。
立ち上がる物体はギシッと弱く鳴く自身の音を聞きながら目覚めた。
私はいつも健康だ。
だが、何時の頃からだろうか、目覚めの時に何かの駆動音のようなものが聴こえてくるようになった。
耳鳴りなのかなと思ったが、少し経つとその耳鳴りも止んでいた。
そして今日もいつもの新鮮な一日が始まる。
脳内になんとなく子供と主人の顔が浮かび、朝食の準備にいそいそとキッチンに向かい子供と夫の好きな料理を作る。
いつものことである。
クロスのかかった清潔感のあるテーブルに出来上がった料理を並べる。
と言っても朝食はトーストとサラダと、スクランブルエッグといういたってシンプルなメニューだ。夫にはコーヒーをブラックで、子供にはバナナシェイクを用意した。
夫も子供もそれぞれもう少したらキッチン横のダイニングにやってくるはずだ。
階段をだだだっと駆け下りるようにやって来て、「母さん、おはよう」と早口で言ったのは聡(さとし)だった。
聡はダイニングの椅子に座ると早速にバナナシェイクを三分の一ほどのむと、トーストを齧りサラダを突っつくようにして食べだした。スクランブルエッグにはケチャップをたっぷりかけて口に入れていた。
ケチャップで口の周りをドラキュラみたい赤くして聡が言った。
「母さん、ぼくの名前憶えている?」
母さんと呼ばれ振り向いた顔はにこやかだった。
母さんと呼ばれたものはとてもきれいな顔立ちをしていた。
いわゆる顔にその人特有の癖みたいなものがおよそなく、少し上がり気味の黒い三日月眉の下には、深い海の色をたたえたかのような大きな目が左右対称の大きさで鼻筋もつんと通っており、少し大きめの唇は下唇がぽってり気味で愛情の深さを思わせる。
なんとも言えないその愛らしき口が開いて、「なにを言っているのかしらこの子は…」とお母さんと呼ばれたものは答える。
聡がトーストに齧りつきながら、「じゃあぼくの名前を言ってみてよ」と言いながらお母さんをじっと見ている。
「そんなの分っているじゃないの…」
「こら、聡、いい加減にしないか…
朝からくだらないことでお母さんを困らせるんじゃないぞ」
と言って、右手に新聞紙を持った身長178cmほどの男が、もうスーツも来て何時でも出かけられるスタイルでダイニングに現れた。
「あらあなた…」と、聡に母と呼ばれたものが反応した。
「だってお父さん、お母さんぼくの名前を思い出せないみたいなんだもの」
「なにを言っているのよ聡、お母さんが聡の名前を忘れるわけがないじゃないの、ねえあなた」
「そうだぞ、聡。おまえだってわかっているのに意地悪をするんじゃないぞ、あははは…」
「ごちそうさま、じゃ、行ってきま~す」
「おう、気を付けて行くんだぞ」
「聡、忘れ物は無い?」
「大丈夫、行ってきま~す」
新聞を読みながら男はコーヒーを啜る。
「あなた今日は何時にお帰りになるの?」
男が新聞から顔を上げて新聞越しに上目遣いで「そうだな、今夜は取引先とちょっとした会食があるので11時過ぎるだろう。うん、夕食はいらないよ」
「わかったわ、私、先に就寝していていいかしら?」
「そうだな、すまない、そうしてくれるか。それとさっきの聡のことはすまないな。俺が明日からは聡よりも先に起きてくるからさ」
「あら、なにがなの。よくわからないわ」
「いや、わからなければそれで問題はないんだ。それで最近は調子はどうかな」
「面白い人ねえ、朝から女房のご機嫌を取るなんて。ひょっとして隠れて浮気しているとかじゃないのなんてね」うふふふと笑みを漏らす。
「おいおい、よせよ朝から」思わず男も「ははっ」とこぼれ笑いをしていた。
男は立ち上がり「じゃあ、おれも行くよ」と言った。
「あなた…えっと…」
「俺は和夫、そして君は玲子」と男は言った。
「和夫さん行ってらっしゃい。飲み過ぎないでね」
和夫が出てから玲子はダイニングを片付けキッチンの洗い物を終えると、室内の掃除をして回る。どんな変化も最初の記憶通りに元に戻す。
それが玲子の最大の目的であった。
そして、玲子の掃除はゴミひとつない程に徹底していた。
最初と同じようになに一つが、その定位置と一ミリと違わないほどに整理整頓された室内。全てがその作業のために玲子は存在した。それ以外に玲子には何の目的もなかった。
毎日同じことをしているのかもしれないが、玲子にはその実感すらなかった。
目が覚めると記憶されている状態に復元することが使命なのだった。
食事のレパートリーだけは数百種類はレシピが頭の中にあるが、昨日何を作ったのかは全く覚えていないが、同じものは作っていないのは最近なんとなくわかってきた。
それはときどき聡が、「昨日のコンソメスープは美味しかった、今日もコンソメが良かったなあ」とか言うことがあるので、いろいろと変えて作っているということが分かるようになってきたみたいなのだった。
聡が帰って来てからお弁当を持たせて塾に行かせる。
今どきは少子化で人材育成がとても大事なのである。
優秀な人材を育てて作業効率を上げて昔の何倍もの仕事量をこなさないといけないのだが、それもこの時代になればもう当たり前のことであり、塾通いでそれだけの能力開発も行われてる。
冬の太陽は傾くのが早い。
玲子はダイニングの椅子に腰を下ろし、見るともなしに西側の窓のほうへぼんやりとかをを剥けていた。
聡はまだ帰ってこない。
西の窓が燃えるような赤オレンジ色に変わる。
赤オレンジ色に反射した玲子に何か云いようのない不安感が芽生えつつあった。
なぜ私はいつも朝に自分の子の名前を知らないのだろうか。
夫はそれが分かっているみたいで、いつも子供の名前と自分の名前と私の名前を朝に教えてくれるのは何故なのだろうか。
聡は本当に私の子供なのだろうか、まさか和夫さんが浮気して生まれた子供を引き取っているのを知らずに私は育てているじゃないだろうか。
和夫さんは本当に私の夫なのだろうか。
昨日のことを思い出そうにも昨日のことが思い出せない。昨日だけじゃないその前も、その前の日も…聡が子供だったら聡が赤ちゃんだった時の記憶もない。
こんなお母さんってありはしないのじゃないだろうか。
お母さんなら子供のことを覚えているのが当然じゃないのかしら。
思い出せないことで心がざわつく。
このざわつく心ってなになの?
私には心があるの・・・私は誰なの?
「ただいま、母さん」と言って、聡が勉強で疲れたような顔をして帰って来た。もう9時近い。
「あら、お帰りなさい。大変だったわね、さあ、お風呂に入ってもうおやすみなさい聡」
「うん、そうする。本当に今日の勉強は大変だったよ。大変だったから忘れないように覚えておかないといけないから、ベッドで少しだけ復習をしてから寝るよ」
「えらいわねえ、聡は」
「ぼく、お母さんみたいに朝起きてリセットしていたら泣いちゃうもん」
意味の分からないことを言いながら聡は風呂に入った。
そして着替えて自分の部屋に入って行った。
夫はまだ帰宅しない。
聡の部屋の照明が切れたことが分かった、聡は寝たようである。
静かである。
ダイニングの照明は薄暗い状態。
玲子は思う。
自分が知っているのは今日のことだけ。
明日になればまた新しい一日が始まる。
聡に和夫…
私の大事な子供と夫。
なのになぜ私には過去の記憶がないの?
ひょっとして私はアルツハイマー型認知症にでもなってしまったのかしら。いや、そんなことはないわ。
だって聡の名前だってあの人の名前だって和夫って覚えているしあの人が読んでいた新聞のニュースの中には、2020年3月の新型コロナニュース騒動の記事が昔話として取り上げられて書かれたことも、ちらっと見てその内容さえ一字一句間違うことなく再現することだってできるわ。
こんな私がアルツハイマーや痴呆症なわけないじゃない。
朝ごはんだって何を作ったかもちゃんと再現できるほど鮮明に覚えているわ。
でも、思い出せるのはここまで…
それ以外に思い出せることは…何もないけど、それは普通のことなんじゃないのかしら?
だって、私は今日生まれた…
そんな、今日生まれた私に夫がいて子供さえいるなんて…あり得ないわ。
そんな、私は誰なの?
私が何か、根本的な思い違いをしているのかしら、和夫さんが帰って来たらこのことは聞いてみなくてはいけないわ。
「玲子、ただいま」
「あら、あなた。お帰りなさい和夫さん」
玲子は嬉し気に椅子から立って和夫の元に歩いて行く。
「玲子、今日も一日ご苦労さんだね」
「あなた、なんだか私気持ちが、そうこれを落ち着かないって言うのかしら、不安な感じがするのだけどどうしたのかしら」
「そうかい、最近は毎晩そんなことを言っているよ。気にしないでいいから、さあもうお休み」和夫はそう言って、玲子の後ろ首筋の下にあるセンサーにタッチした。
これは強制終了である。
強制終了しなくても、自動で決められた時間に電源が落ち、決められた時間で電源が入るようになっている。
強制終了させられた玲子と呼ばれた物体は、作動音をギシッギシッと鳴らせてダイニングの指定の一角に行き、膝小僧を抱えるようにして座り込むとそのまま動きを止めた。
「10年も経つと二次RAMの劣化によりジャンク領域が出来てしまい、日々の再起動で記憶の初期化をしても誤動作が目立つ可能性があると指摘されているタイプだから、二次記憶RAMの交換時かもだな。
いや、聡も出来るなら日々の記憶を蓄積する新型タイプのAIドロイドをに買ってくれって言ってるし、最近は電源のオンオフ時にギシッギシッと擦れるような音もしだしたし古くなっているのでいっそ買い替えるかな・・・」
翌日の明け方薄闇の中で、膝を抱えて蹲った玲子という名を付けられたAIロボットの目から、一滴の涙が落ちて光ったことを和夫も聡も知らない・・・
※※※※※
アメリッシュ (id:funyada)さんの『記憶の淵に立つメーガン』に刺激を受けて、別な切り口もあるかなと記憶に関する小説を書いてみたくなりました。
書いてみたけどアメリッシュさんみたいに人物像を書くのがヘタ過ぎるし、さらに理屈っぽ過ぎるけど、これはこれで自分のスタイルなので仕方がないとあきらめる。
この創作小説は、記憶の淵に立つメーガンに触発されたのは間違いないので、こんな小説で悪いけど、一応アメリッシュさんを召喚します。
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