音声入力で作った詩のようなもの
2020年6月14日
最近音声入力を使用するようになって、外出時にスマホで簡単な声のメモを取っている。ちょっとした思いつきや、ブログ記事になりそうな考えたことをメモしている。
その音声入力メモから、パソコンの音声入力で散文詩を作ってみた。
実に適当に作ったような詩なのだけど、その詩の中には、自分の死生観が結構はっきりと出ていることに少しばかり驚きと衝撃を受ける。
が、これも厳しい一つの現実ではある。
道
僕の前に道はある
ある道を僕は歩く
道から外れることを恐れ
ただひたすらに
ある道を歩いて行く
僕の歩いた後ろに
道はできたのだろうか
いやそれは僕の道ではない
誰かが歩いて出来た道だった
誰かが歩いた道を歩く
何も残せない
何も生まない
ただある道を
歩いてきただけ
歩いてきた道は
引き返すことはできない
歩きたくなくても
歩くしかないのだ
這いつくばっても
1ミリも進めずとも
歩くしかないのだ
たとえその道が
奈落の底へと続く
断崖絶壁に
繋がるとしても
それが
ただ歩く者の
宿命なのだ
銭湯
夕刻になると散歩に出る
1時間ほどの道を
のんびり歩いて
銭湯に行く
番台に入浴料金を払う
暖簾をくぐり脱衣場に向かう
ロッカーに衣服をしまう
生まれたままの姿で
浴室のドアを開ける
すでに十数人の人たちが
風呂場を使っている
身体にシャワーを浴び
露天風呂に入る
今日はワイン風呂
明日は何風呂か
露天風呂を出て体を洗う
それからマッサージ湯の
泡のジェットで
体をもみほぐす
体が熱くなってくると
ぬるめの温度の
炭酸泉に入る
炭酸泉でぼーっと浴室に
浸って時を過ごす
ああ
ぼくはなにをやせんと
ひたひたと
聞こえるか
聞こえないかのような
ぼくの後ろを
ひたひたと
ついてくるかのような
足音を感じる時がある
誰かがぼくの後をついてくるように
ひたひたと歩いているのか
ぼくと行き先は同じなのか
そんなことを考えながら
時折耳に届く
ひたひたと
足音を聞くが
誰もいないよ
そう思っている
山道を歩いている時
不意に耳に届く
ひたひたと後ろをついてくる
意を決し
振り返り
目を凝らすも
誰も居はしない
空耳なのか
そう思って
また歩き始める
しばらくは
ひたひたという足音は
聞こえはしない
が
ふと
気がつくと
またぼくの後ろを
ひたひたと
誰かが歩いてきている
そんな音がする
人がほとんど来ない
この山道で
珍しく
今度こそは
誰かが登ってきたのかな
そう思って
後ろを振り返ってみる
が
やはり誰もいない
ぼくの後ろをついてくるような
あのひたひたという足音は
一体何だろう
そんな事を考えながら
山道を歩いて行く
そうして
気がつかざるを得ないことがある
ぼくの後ろについてくる
ぼくの後ろの足音は
それは
ぼくを追いかけてくる
ぼくの足跡なのだ
時が
ぼくを追いかけて
お前の時間は
残り少ないのだと
教えにやってくる
それはぼくを包む
ぼくの影の足音
余録:
アメリッシュさんが6月13日の記事で詩作を公開なさっていました。題は『雨の日に』です。コラボで詩の朗読はらんらんさんという方がなさったのです。アメリッシュさんの『雨の日に』は、心の不協和音を歌い上げた詩のように感じました。
翌6月14日に静吉も詩らしきものを予約投稿してありました。ただの偶然の一致に過ぎませんが、静吉も自分の心の中の不協和音を精一杯に表したものです。
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