心折れたブログ
2020年7月12日
序
ブログを続けるのって本当に難しいもんだなと思う。最近サブブログを作ったんだけど、アクセスなんて一日一件か二件程度しかない。
もしこんな調子でやる気満々でスタートしブログを続けられる努力ができる人は、それは凄い人なんだろうと思う。
ブログを書くというのはいくつかの目的があるんだろうと思うけれど、基本は自分のために書くか誰かに読んで自分を見つけてもらいたい、そんな思いがブログを書く動機だろうと思うんだ。
もちろん単純に特化ブログで収益を上げるためのブログだってあるだろうと思うが、できれば収入もって考える人はいてもそのような計画を持って戦略的にブログを始められる人は1%もいるかいないかだろう。
そんな思いでブログを書き始めて自分の情熱が思わぬところで、あっさりと未燃焼のままで終わってしまう事態に遭遇するだろう。
ブログを読んでくれる人が少なすぎることにがっかりしてしまうのだ。
ハム太郎の妄想劇場なんてブログを作ったのはメインブログのほうに記事が溜まり過ぎてしまったので、何か妄想的なのと思いついた時にそんな妄想を書き捨てるブログが別にあったらいいなと思ってサブブログを作ってみた。
サブブログを作って半月が経ちました。
記事を書いた時に予約投稿ををしているので、ついでにツイートもするように設定している。
記事はまだ3本しかない 。
日にちも数日しか経っていない。
こんなのでアクセスなんてあるわけはない。
ツイートにしてもブログにしても、それぞれが自分のアピールをすることだけが目的なのであって、とくに誰かのツイートや記事をしっかり読もうなんてそんなつもりでやってるわけじゃない。もちろん気になるブログなんてのもあるだろうけど、それも興味本位程度のものだろう。
それは当然のことなのだ。
誰しもが
ねえ私を見て
おい僕を見ろよ
お願いだから
こっちを振り向いて
そんな思いで Twitter やブログを書いているのだ。
他人のツイートやブログなどそんなに興味があるわけじゃない。
自分のブログとツイートなどでも、自分が絡んでいることのみが可愛いいのだ。
そんなインターネットの海原世界に上空からの雲から落ちた、一滴の凝縮された一粒が、インターネットの海原に影響を与えることなどほとんどない。
影響を与えるにはハリケーンにならざるを得ない。
小さなハリケーン的になった人も知らなくはないが、結果的には自分の居所を失っている。
こんな風にツイッターでもブログでも意外に人の関心を引くのは難しいものなのである。センスのある方を除いてだが。
もちろん Instagram やFacebook などでもこれは同様である。
そして最近はブログも一種の SNS であると考えている。
そんな SNS の世界に自分の身を投じ、 SNS の世界が他に対して多くの場合は非常に無関心であると認識せざるを得なくなるだろう。
世間は他に無関心。
しかしながら、世間が、世の中が、他に対して無関心なのは、無関心というのではない。誰もあなたをまだ認識していないだけなのだ。
あなたを認識していないというのは、ブログであれ Twitter であれ、これは現実の世界と同じということなのだ。
誰しもが通り過ぎてゆくあなたの前髪どころか、後ろにたなびく髪さえ掴もうとしないのだ。目に入ることはあってもそれは認識ではない。
それは風景と同じなのだ。
自分の声は届かない。
そんなふうにして夢潰えたブログは本当に多いのである。
この記事はそんな夢潰えたブログの骨を拾ってやろうと、そんな、思いのリンク集です。
はてなの果てで愛を叫ぶ
ちょうど「いつまで続くかわからないブログ」というタイトルのブログがあったので、拾う骨は一度ここで終わりにさせていただきます。
ここで紹介したブログは、単に休止しているブログもあると思うに、骨を拾うなどと失礼な表現をしてしまったと思うが、これは言葉のあやというものであって、それぞれのブログに光るものがたくさんある。
耳目を集めるブログやツイートがある一方、骨を拾ったブログにも光るものがあるはずだ。すまん、読んではないのだ。
しかしながら、願わくば、ここに貼り付けたブログカードにより、言及のお知らせが届いて、再度自分のブログを見直しまた書いてみようかななんて思っていただけたら光栄である。
心折れる話…
再度い「つまで続くかわからないブログ」を取り上げさせていただく。
「いつまで続くかわからないブログ」は、今ブログを更新しているあなたのブログもそれは同じなのだ。
自分の意思で止めるか、成り行きで止めるか、それは分からないが、終わりが来るのは間違いない。
だから誰しものブログも、いつまで続くかわからないブログだということを認識して欲しいと思う。
「いつまで続くかわからないブログ」の最後の記事は2017年4月16日である。
そのタイトルは『大人』です。
「大人」というタイトルの記事の一部を以下に引用した。
私はもう二十四になった。 視力矯正はとうの昔にやめたので、コンタクトが無いと生活ができなくなった。化粧の仕方は覚えたし、煙草も吸うようになった。オモチャのようなキティちゃんの電卓を買ったし、可愛いポーチも手に入れた。 親族がする大人の話に首を突っ込んでも、窘められない。何気なく今朝見たニュースの話をすれば、勉強熱心だと上司に褒められる。 私があれほど羨ましがったものは全て、滞りない日常にきちんと収まっている。 大したことないよ。不機嫌だった子供に、そう言いたい。
大人 - いつまで続くかわからないブログ
長くはない文章だが、あのころの自分に対しての心情を、大人な目線から見た思いを伝えている。
その言葉は、僕にはとても素敵に思えた。
そして僕は、この女性と会ってみたいなと思った。
背伸びした少女と、女との狭間の自分が、女を意識させる母親に対して自分だって母と同じ女なんだ。そのことを模索する様子が、ちょっとばかり心がうずくように伝わってくる。
「大人」という記事で、少女と女の端境期の性別としての女性の気持ちが、少し理解できたような気がしないでもない…ここでスマホが鳴った。
宅配便がが届いたお知らせの電話であった。
「はい、もしもし。あーご苦労様です。はい、じゃあ玄関の所に置いといください。置いたら2回だけノックしてください。はい、お願いします。ありがとうどうもね。ご苦労様」
と言うような言葉が、この記事の作成は Google のドキュメントで音声入力をしていたので記録されていた。
スマホで話していた言葉の音声認識を読んで、俺ってずいぶん紳士だなぁって、そんなふうに思った。そしてこの紳士的優しさと、僕の中にある見せかけの優柔不断さが、僕の最大の欠点だなと理解した。
「いつまで続くかわからないブログ」の「大人」というエッセイを、全てのブロガーに読んでもらいたいと思う。
大人になって、母になって、やがて一人になっても、「いつまで続くかわからないブログ」の「大人」は、あなたの心に刺さるはずだ。
最後に夢潰えたのか伏竜しているのかわからないが3年間一度も記事投稿がないのにPROとしてのお金を払いながらのブログがある。そのブログは私にとって最大の関心事ブログです。そのブログを紹介する。
この記事は 中高年の星☆爺婆の太陽 静吉がお届けしました😎
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