ある夏の日の2016年
2020年8月15日
廃、獰猛です。
中高年の星☆爺婆の太陽 の静吉プレゼンツでございます😍
序
平成28年と言うから西暦で言うと2016年のことだ。
現在が2020年だから約四年前のことになるのか、アシストしてくれないアシスト自転車に乗って自宅から高尾方面に向かうとする自動車の走らない南浅川の土手を通って漕いで行く。
もうそんなことを何年続けているだろうか。
最近は高尾山や、東高尾山稜・北高尾山稜のどちらかで遊んでいる。ふたつの山稜の内では圧倒的に北高尾山稜の方で多く遊んでいる。
高尾山やどちらのサ山稜に向かうにしても、南浅川の土手を通って南浅川と甲州街道とが合流する地点までチャリを漕いで行くのだ。
大体自宅から出て目的地に着くまでは小一時間かかる。アシストしてくれない電動自転車だから重たくて、登山口に着く頃にはそれだけでもヘロヘロになるのだけど、自転車を漕いで行くのは公共交通機関に頼ることもなくて気楽なのでずっとそうしている。
とはいっても年齢も上がってきたのでアシストしてくれない電動自転車で上り坂方面に向かって漕いで行くのはだんだんしんどくはなってきた。でもこれは続ける限り続けてみようと思っている。
そうしてどうしても苦しければ、再度電動アシスト自転車を買おうと思っている。ただ自転車で目的の登山口に着けば、最終的にはどうしても自転車乗るところまで戻ってこなければいけないので、低山ハイキングとはいえ小回りはそれほど効かない。
途中から違う方面に行きたくても自転車を置いたままにするわけにはいかないので、違う方面に下りてバスや電車で帰ってくるということはできない。自転車は誰にも頼らず気楽であるがさっきも言ったようにどうしても一筆書き登山でなければだめなのでその点では不自由である。
しかしこれは車で行ったとしても、結局は車を停めた駐車場に戻ってこなければいけないから、自転車でも車でも一筆書きコース以外に選択肢はなくなる。
一筆書きコースが嫌ならば公共交通機関を使って登山口まで行くしかないのだ。それはそれでとても楽しいのだけど、新型コロナウイルスこの世界になってしまってからは、なんだか公共交通機関に乗るのがちょっとばかり気が進まなくなってしまった。まあ山なんてのはそれぞれに姿形も違うかもしれないが基本的に登って下りるだけと割り切ればどこも同じだという感覚もなきにしもあらずだ。
もちろん高山に行けば樹林限界を超えるので、眺望が開け広い空間での景色が楽しめるのは言うまでもない。それとてもどこの鉱山でも同じと言ってしまえば怒られるかもしれないが、突き詰めてみればどこであれ同じようなものなのだ。
そうは言ってもやはり色々な山に行ってみたい思いもあるが、登山って意外に金がかかるものなんだ。とりあえずよほどあの山に登りたいなんてのはない限りは近場の低山で十分間に合う。そんな中にひとつかふたつ少し高い山をツアーなどで組み入れてチャレンジすれば良いだろう。
とまぁそんな感じで2020年の低山登山ハイキングを楽しもうと思っている。早いうちに陣馬山から高尾山へ降りるバイキングをやってみたい。陣馬山から高尾山へ降りるのは下りになるので、登山というよりは確かにハイキング的な雰囲気が味わえるのだ。
陣馬山から高尾山にハイキングするには JR 高尾駅前からバスに乗って陣場高原下まで行かなければならない。最近は登山客も少ないみたいなのでそんなにぎゅうぎゅう詰めになることもないだろうから早いうちにチャレンジしてみたい。
それにはロングコースなので朝早く起きて JR 高尾駅に向かい陣場高原下に向かうバスに乗らなければいけないので、何よりも難しいのはそのことなのである。
破
南浅川の雰囲気というのはこんな感じになる。
冬になれば草が枯れて水の流れも極僅かとなり河床を晒しています。
夏場は河で子供たちも遊んでいる。
南浅川を遡上してくると私の場合は下の地図で橋がかかっているところを渡って昭和天皇陵慕の方へ登っていきます。
南浅川にかかる古道橋という名の橋を渡り、左へカービしてゆるい坂を漕いで行、やがてヘアピン式に折り返し坂を漕ぎ、左へゆるくカーブし直進して出た道を左へと進んで最初の三叉路を更に左へと進む。
南浅川からの坂を登りきるとここでほっとするところになる。これから廿里町へ入っていくのだけど廿里町までは下り坂なので息がつけるのだ。
廿里町を道なりに進むと高尾街道とぶつかる。
この高尾街道は昔からの高尾街道で町田街道には直接接続はしていません。この高尾街道を突っ切ってさらに廿里町を進んでいきます。
廿里町は閑静な雰囲気の歴史ある町らしいです。意外と裕福な方が昔から住んでいると聞いています。聞いているだけなので事実かどうかは知りません。
この画像の奥ので道が右にカーブしています。
その先が今回の記事の焦点の場所になります。
道がカーブした先で再度南浅川と道が合流します。
道が合流したところが南浅川で最大落差のある場所となっています。
この落差のある場所で夏は子供達が飛び込みをして遊ぶところなのです。毎年そんな風景を見てきました。そして随分危険なところで飛び込みをして遊ぶのだなあと思って見ていました。
私はそう思ったぐらいですから、地元の人もここは危ない場所がぐらいの認識はあったろうと思います。それなのに道路から簡単にこの浅川の滝壺みたいなところに入っていけるのです。
少し危険な場所で飛び込みができるなどというのは子、供たちにとってはとてもデンジャラスであっても冒険のできる飛び込みばだったに違いありません。
夏場は通る度にここで子供たちが遊んでるのをよく見かけました。そんなある日のこと、少し大きな子供たちが飛び込んで遊んでるのを目にしました。中学生か高校生ぐらいになった子供達のような感じでした。
危なそうな場所なんだけどなぁとは思いつつも、ただ横目にして通り過ぎるだけでした。
急
どう見ても危なく見える場所での飛び込みで、事件は起きるべくして起きてしまったようです。
それが序で書いた『平成28年と言うから西暦で言うと2016年のことだ。』なのです。
それから毎年通るたびに夏になるとこの場所に花が捧げられています。それに合わせて以前は缶ジュースみたいなものも何本か置かれていました。
今年は画像には写っていませんが、添えられた花束の横にプルキャップが開いた缶ビールも一本置いてありました。
亡くなった人は歳をとらないとはいうけれど、ここで亡くなっていた方は高校生ぐらいだったのでしょう。 その高校生が四年経って二十歳になったのでしょうか。
亡くなった子供の歳を数えて成人に達したからと、缶ビールを供されたのだと思います。 それにしても、こんな悲しい歳の数え方があるでしょうか。
死亡事故が発生してから飛び込みは完全に禁止され、立ち入りにくいようにフェンスが二重になっています。人間というのは何か事件事故が起こらないと、本当に動かないものだなあと実感する次第でした。
直ぐ側には住宅もある場所ですが、滝壺も深くはないのに長年に渡ってこんなところで子供の飛び込みを看過してきた、地域社会にも油断があったろうと思います。
と言って地域社会に問題があるなどと、その横を通ってきただけの人間がおこがましくも言えるものでもありません。飛び込みをしている少年たちに、何度か危ないから注意しろよぐらいしか言うことができていません。
この場所を通るたびに、自分にもいくばくかの責任があるのかなと思わないことは一度もありませんでした。 これからもそう思いつつ通って行くのは間違いないです。
そんな廿里の町中を抜けるとこの先でほぼ行き止まりとなる。
車ならばこの先で左折するしか道はない。
自転車であればこの先で再度南浅川の土手に出る。
人と自転車のみ通行できる場所だ。
標識はなにもないのでバイクも走れなくはないが、そこは常識として人と自転車ぐらいが通って良い道であろう。
いまは元の状態に修復されましたが2019年19号雨台風で、この地点でもこれだけ破壊されていました。
甲州街道に掛かる橋は両界橋という。
二つを結ぶものとしての両界である。
現世と常世にあるのも両界橋と言えなくもない。
現し世の景色色香も薄れゆき常世の景色色増しつつある身ではあるが、まだまだうつし世に未練たっぷりとで、アシストしてくれない元電動自転車を漕いで甲州街道に出れば、ここからならば両界橋(登山口)はそんなに遠くはなく常世界に彷徨うかもやだ。
さてさて、お盆中日、低山登山ハイキングを楽しんでこようと思う。
今日も今日
生きてればこそ
ありがたし
死神は 誰の側にも 居るのです
二親に そして兄姉 喪いし
吾は一人で 山に彷徨う
この記事は 中高年の星☆爺婆の太陽 静吉がお届けしました😎
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