文字を書くということ
2020年9月24日
文章の下手なブログ主が文章講座なんてもじもじしちゃいます、はい、獰猛です。
中高年の星☆爺婆の太陽 の静吉プレゼンツでございます😍
序
文字を書くということは簡単なようでいて簡単ではありません。
文字を書くという表現がもはや適切ではないかもしれませんが、筆記用具を使って紙に文字を書くのが文字を書くということだけではありません。
昔は木片や粘土板などに文字を書いたと思われますが、紙が発明されてからは人は紙にずっと文字を書いてきました 。
だから文字を書くというと紙になってしまいますが 、文明が多様化し文字を書くとこともタイプライターから始まって、今日ではパソコンなどを使ってインターネット上に文字入力することも文字を書くという表現になります。
いやそれどころか最近ブログ主は文字を書くのではなく、音声入力でブログ記事を書き、ツイッターの画像付きツイートなどではスマホが便利なので、ブログ主はスマホであれば音声入力も楽なので音声入力でツイートしています。
パソコンでの音声入力に関しては今のところ Google のスプレッドシートでも音声入力が手軽なので、Google のスプレッドシートで音声入力をし、その文章をコピーしてはてなブログにペーストして記事を書いています。
パソコンではスマートフォンやタブレットのように文字入力ができるシーン全てにOSとして音声入力に対応していないので、先ほどのグーグルスプレッドシートで音声入力をしてからというような手間が必要になり、SNS で利用するにはそれでは逆に面倒なのでキーボードタイピングすることになります。
スマートフォンやタブレットでは Google キーボード使って音声入力を有効としてあれば、携帯電話番号間のショートメールも音声入力で済ませられますし、LINE でも音声入力ができるので応答が素早いです。
私は指が若干人より太いので、スマホでは特に仮想キーボードで文字入力をするのがとても大変になります。少々の文章を打つだけでも何度もやり直さなければ文字入力ができません。
それには個人的な事柄もあってスマホやタブレットなどのような画面の表示面積が狭いところの仮想キーボードでは、指を使っての文字入力が思わしくありません。個人的な事柄と今プライベートのことなのでここはでは書く必要もないので書きませんが、そのことがスマホなどでの文字入力を私にとっては難しくしています。
ですからスマホやタブレットなどで音声入力で文章が書けるように設定することができることが分かって、スマホやタブレットでの文字入力の世界がグンと広がりました。
このことは意思伝達が難しい方でもパソコン使うことによって情報を発信したりすることはできるような時代になったと同じであり、一瞬の世界の広がりを実感できるという体験ができました。
これはどういうことかというと、例えば足の不自由があって歩くことはできないから外に出かけることはできなかった方が、車椅子を使って自分で外出することができるようになったのに等しい事だろうと思います。
つまり文明技術発展の良いところは社会的弱者であってもそれなりの恩恵があるということです。これはとてもありがたいことではないでしょうか。ただ人間は欲望の塊ですから、ひとつの望みやからえば次の望み次の望みときりがないのも人間持つ特性でもありそれが人間の進歩を支えてきたと思います。
人間の果てない望みを例として出すならば、例として足の悪い方には大変ご迷惑であればご容赦願いたいのですが例えとして分かりやすいので使わせていただきますと、車椅子であれば電動車椅子、次は自立歩行支援器具、さらには完全な実歩行できる義足になればより生活が便利になるのは間違いないのです。
破
と、ここまで文章を綴ってきましたが、皆さんはこの文章を読んでどう思われましたか。
- 読みやすかったでしょうか読みにくかったでしょうか?
- 意味は伝わったでしょうか意味が伝わりにくかったでしょうか?
- 文章の流れとしてここは何を言っているんだとか、わからない箇所はなかったでしょうか?
自分は文章に誤字脱字が多いタイプで、しかも文章の「て」「に」「を」「は」がちゃんとしてるタイプでもありません。
国語的な文法もでたらめです。
いやでたらめと言うかそういうことがよくわかっていません。
だから自分の文章は、自分の考えていることを伝えるために文字に置き換えるという作業だけに集中しています。なので話し言葉風な文章になっていると思います。 これは自分の思考形態をそのまま文章にしているからです。
今までインターネットに出て20数年間このスタイルで文章を作成してきました。
そうして作成した文章を後で読み返し第三者的な目で見るのは難しいですけれど、あえてそこを頑張って第三者的な目で見てみれば、意味が通じにくいことが多くあるので修正の繰り返しで今日までインターネット上で文章を書いてきました。
未だに前後関係があやふやだったり、文章の中に何を指すのかわからない指示語が多用されていたりで、これでは私と同じ脳の構造を持ってる人でもない限り私の文章を読み解くことができなくなってしまいます。
しかしながら人間の行間を読む的な能力により多少の誤字変換や前後関係の不明な点なども、ある程度推測保険しながら読み進めてもらえているので全く意味が伝わらないということは少ないと思います。
と言ってもそのような文章はやはり難解であるというよりも、つまるところは何を言ってるのかわからないことも多いのです。
自分の中では分かっているから自分はこれはこういう意味で言ってるのだというのは頭の中にあることなので、その説明を一切なしに文章を書いてしまっているとただが文字だけがある文章になってしまいます。
先に言ったように、自分と同じ考えの思考形態をとれる人は自分しかいません。
相手が分かってるだろうと思うことは、文章の書き手が勝手にスルーしているだけで何も伝わっていないのです。そんな文章でいくら言を重ねてもより意味のない文章になるだけです。
因果関係を抜きにした文章を書いても伝わるものは何もありませんが、それもカラスの勝手でしょと言わればその通りです。
カラスの勝手でよければそれはそれで自由なのですが、やはり伝えたい想いがあるから文字にするのだと思うのです。
伝えたい想いがあるのに、伝えたいことが伝わらないのは、カラスの勝手でしょではないのです。
急
Twitter でツイートするというのは、つぶやきだからどんなことであれ勝手につぶやくのは悪いことではありません。
では、なぜそのつぶやきを Twitter でつぶやくのでしょうか?
カラスの勝手と言ってもわざわざ Twitter につぶやくぐらいですから、それは勝手に呟いているのではないのです。
人は誰かに聞いて欲しくてつぶやいているのです。
つぶやくにはパソコンやスマホを使って、わざわざ文字を入力してツイートしているのです。その行為がカラスの勝手でしょなわけはないのです。
それは不特定の誰かに伝えたくて伝えたくて仕方ないのです。
だから誰しもがツイートするのです。
そんな思いも忘れて、いつしかただの惰性になっている場合もあるかもしれませんね。ならば止めましょう。
時間の無駄だしネット依存に堕落するだけです。
ですが聞いて欲しくてつぶやいていても、前後関係のないつぶやきは何の意味もないつぶやきに等しいのです。
それでも本人はそのつぶやきをしたいのです。
そのつぶやきを誰かに読んでもらいたいのです。
そこには何かしら誰かにわかって欲しいという思いがあるからなのだろうと思います。でなければ独り言を言ってれば済むことです。
そのことを認めずにカラスの勝手でしょでツイートではあまりにも幼稚に過ぎます。
自分で自分がわかってないともいえます。
その行為はまるで尾崎豊の歌の卒業の歌詞の内容と同じく、自分の心が伝えられない衝動的な行為のようなところがあります。
といって、自分のツイートや文章が尾崎豊の卒業という歌詞と同じレベルにあるだなんて勘違いしないでください。
比喩したのは思うように意思疎通が出来ない思春期の行動と同じであって、他人になにか伝えるにも支離滅裂になっているに近いと言っているのです。
つまりは、尾崎豊の卒業の歌詞の詩的な完成度の高さの足元にも及んでいないってことです。
さてこのツイートをブログなど記事に置き換えてみましょう。
そつなく丁寧に描けてる記事もあります。
ただそつなく過ぎて記憶には残らない記事の場合も多いです。
個人的な独白を書いてる記事もあります。
自分は分かっている個人的なことが自分の中では前提としてあるのでしょうけれど、そんなことは第三者にわかるわけもないことなので行間を読むことさえ不可能です。
文章を書く上において必要なことは何か。
それは伝えたいことを前後関係の省略なしに、丁寧に説明しつつ説明臭くならないように書くことです。
かといってそんなことを書いていては一冊の本になってしまうでしょう。
そんなものをたかだか数千字で書き記そうとすることが基本無理なのです。
ブログはそういったことを書くには向いていませんね。が、連載的に書いていくならそれも可能でしょう。
ブログの始まりは個人日記みたいなものでしたから、それに準じた雑記的記事を書くのが一番良いのではないかと思います。
ひとつの記事にはもう少しテーマを絞って、端的な内容でやさしい言葉を使い、自己自慢的にならないように書くのが良いと思います。
とまぁ「はてなブログでの文章の書き方講座」とタイトルを打ちながら、この記事自体が的確に意味が伝わったかどうかわからないような記事になってしまいました。
それだけ文章書くというのは難しいことなのだということを、自戒をこめて、まあそれもありということで大目に見てください。
ちょっと尻切れトンボでしたけど、要は伝えたいことは自己だけに完結した文章を書くのではなくて、文章としての伝える「て」「に」「を」「は」にも気を使って書くべきだということです。じゃないと意味のないオナニーツイートと同じになってしまいます😅
オナニーツイートだからって問題はなにもありません。
ただオナニーツイートも他人が見ているのです。
そのことはお忘れなくね😍
人は一期一会ならば、ブログは一葉一会と思うと良いでしょう。
この記事は 中高年の星☆爺婆の太陽 静吉がお届けしました😎
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