2021年11月19日
拝、灰、廃、獰猛です。
中高年の星☆爺婆の太陽 の静吉プレゼンツでございます😍
序
どうもどうもでもうどもうどこんにちは😋
ブログの更新というのか記事を書く頻度がだだ下がり中です。
別にブログネタがないわけじゃないけど、ブログを使って書く必要がどんどんなくなっているのです。
なぜかって言うと、なにか書きたい要望ってのがTwitterで解消されちゃったりしているので、ブログに書く必要を感じることがないのです。
i_shizukichi
— 静吉@へのへのもへじ😋 (@i_shizukichi) November 18, 2021
11月19日の天気:小雨 最高気温16度 最低気温13度
ツイート数:38(前日比:-25)
RTした数:18(前日比:+4)
RTされた数:11(前日比:-2)
送ったリプライ数:11(前日比:-16)
一日でツイートが38あれば、ブログ記事の一つや二つ分の字数は書いているのじゃないかと思うのです。
それで改めてなにか書きたいなんて衝動は消えちゃっているから、わざわざブログを書こうなんて思わないんだと思います。
書くネタが無くてブログが書けけないんじゃなくて、ツイートの一つ二つ拾って話を広げれば、3000文字ぐらいのブログ記事の一本や二本は書けるけど、ツイートで書くという情熱が削がれてツイートで満足しちゃっている感じがします。
ぼくが書くブログ記事には反響は殆どないけど、Twitterであればこのように多少の反響が帰ってくるのでその即応性が楽しい。
i_shizukichi
— 静吉@へのへのもへじ😋 (@i_shizukichi) November 18, 2021
受け取ったリプライ数:6(前日比:-13)
いいねした数:687(前日比:-139544)
いいねされた数:177(前日比:-158)
フォローした数:-1(前日比:-1694)
フォローされた数:9(前日比:-2013)https://t.co/csnXfdqu6U
サービス精神が旺盛だからいいねしてやりすぎなんだよなあ…いいねは3分の1しかもらってない。
つまりじっくり反応があるよりも打てば響くような即応反応が好きってことで、どちらかと言うと現場主義者ですね。
ブログ記事はじっくり待っても反応はなく、スルーされることも多いからなおさらだ。ってのも、書いている記事がつまらないのだけなんだろうけどね😅
これって役者なら映画よりも舞台って感覚。
お笑いならTVよりも寄席で客と一体化した反応を求めるってやつ。
つまり外れてもパフォーマンスを演じたい、ストリート大道芸人的な性格なんでしょうねぇ。
破
ブログで私の記事の場合は画像も多用するけど、それでもその画像の多用は控えめです。本当はもっと画像を入れたいけど、画像ばかり多用だと文章を読む人が少なくなるし書いたものが散漫になる可能性も高い。
旅行や登山での画像って人に見せたいものじゃないですか。
人に見せたいからって強制的に見せても面白いものじゃない。
なぜかって余程素敵な画像じゃない限り、他人も感動してくれるような臨場感は自分にしかないのだから、ほとんどの人が森や池や樹木が写っているなんてそんな画像に興味はないんだ。
これってそれほど親しくもない知人で、年賀状にアットフォームな家族団らん画像を印刷してあるようなもんだ。
そんなの興味ねえし、お前のガキがいくつになったなんてどうでもいいだろうってもんです。
それと同じでブログには旅行や登山した画像なんて、一枚か二枚あれば十分なんです。否、その画像だって文章力さえあればなくたっていいぐらいだ。
だがそれらを撮影した画像って、人に披露したいってのが撮影した側の心理なんだ。だからこそTwitterでも画像入りツイートがどんどん増えている。
ぼくも画像入りツイートは多くしている。
その画像を見てもらいたいって欲求、は今の所やYAMAPなるサイトで満足させれられている。
例えば最近行った南伊豆旅行1泊2日も、登山日記でもないのにYAMAPで記事にしているのだ。
三嶋大社散歩-2021-10-30 / 静吉@へのへのもへじさんの活動データ | YAMAP / ヤマップ
修善寺散歩-2021-10-30 / 静吉@へのへのもへじさんの活動データ | YAMAP / ヤマップ
白濱神社散策-2021-10-30 / 静吉@へのへのもへじさんの活動データ | YAMAP / ヤマップ
南伊豆の民宿晴海荘さんから弓ヶ浜海岸へ散歩-2021-10-31 / 静吉@へのへのもへじさんの活動データ | YAMAP / ヤマップ
急
とまあこんなふうにしてTwitterとYAMAPがブログを書く代償行為化しているというより、なんだかブログよりもTwitterとYAMAPの二つで、はてなブログでの書くという作業意欲を喪失させるに十分な燃焼度となっているのです。
それでもなぜか根が小市民的根性なもので、はてなブログも書かなきゃいけないんじゃないかというような、ありもしないんだけど勝手に思う責務感のみ残ってなんとなくブログも書け的な脅迫概念の炎がちらちらと闇夜の中で揺れている気がするのだ。
結果的にこのようにブログを書いてみるものの、TwitterとYAMAPとブログ生地の三位一体的な融合した形になっている。ってことは、これからのブログはこれらすべて自動で取り入れるような形のブログがブログの最終進化系ではないかと思う。
だってツイートしているってこともYAMAPもすべてネットを利用した自己顕示欲の現れなんだから、ネットへの自己顕示欲をバラバラに分散したものを一つにまとめあげる機能のブログというものがあったらより良いのではないかと思うけど、如何だろうか?
夢を見ている夢の中の出来事と、夢であって現実ではないことが分かっているが現実との融合化が進んでいるというのは、脳が進化しているのかあるいは脳が劣化しているのかのどちらかなのだろうか。
— 静吉@へのへのもへじ😋 (@i_shizukichi) November 16, 2021
人は高齢になると現実と夢との狭間で、生と死への模擬体験をさせられているのかもしれない。
生と死↓
それは高額の植物に対する執着なのか、または生への執着なのか…多分両方だと思う。
— 静吉@へのへのもへじ😋 (@i_shizukichi) November 16, 2021
多少収集癖っぽいところがあるので、年齢を重ねるに連れて執着心も強くなっていったところもあるのかもしれない。
死ぬことを考えると生への執着心で恐怖に囚われるから、死に対することをなるべく考えないように↓
まだそんなに生きられるのと嬉しくなる。生には十分執着しているが、朝になって目が覚めなければこれほど幸せなこともないだろうと思うようにもなった。
— 静吉@へのへのもへじ😋 (@i_shizukichi) November 16, 2021
そんな風に思えるようになったのも、夢の中のバーチャリティ化による生と死の融合が脳の中で進んでいるからかもしれない。と、夢を見て考えた…終
とまあこのブログ記事のようにTwitterからYAMAPから、あるいは他のSNSからの記事を一つにまとめられるブログサービスがあるといいのではと思う次第だ。
近い未来にはそんな形のブログもきっと出現すると思う。
この記事は 中高年の星☆爺婆の太陽 静吉がお届けしました😎
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