チコちゃんに叱られないブログ

人生は雑多なのです😋

歩き方がおかしいはとんでもなくえりゃあことになる予兆だったわ😎

↑音読で楽しんでね 2025年6月5日 木曜日 

 

 

2025年度 静吉チャンネル プレゼンツだよ😍

 



2013年の事だぎゃ😋 


2012年末は、自由民主党自民党)党首となった安倍晋三率いる総選挙で自民党が大量議席を確保して政権交代しての年明けである。

松の内も終わり政治も動き出したようだ。

ここでいう松の内とは1月7日までを指す狭義の松の内だ。遅ればせながら2013年、明けましておめでとうございます。

今年こそは希望に輝く年となって欲しいものだと思うし、またそうなるよう微力ながらせめて自分の行動だけはそのように前向きでいたい。

歩き方がおかしい

2013年の10月初めの事になるが、歩行していてなんだか左足に違和感がある感じを覚えた。その違和感とは、歩く時になんだかまっすぐ歩けていない。

ふらつくような感じがし、足の運びが凄く気になる。

歩く練習と言うとおかしいが、体力が衰えたかと肉体的なものに思え、高尾山に登って脚力を鍛えたり、夜に2時間ぐらい散歩したりを続けている。

これらは体力強化とダイエットも兼ねてもいた。

歩く時にふらつくと言っても脳梗塞っぽいものじゃない。

足の運びが多少おかしい感じなのだ。

若い女性でビジネスウォーマン的な人の出勤シーンを見ていると、実に素敵にさっさと歩いている。その、さっさと歩いている人の足運びを見て、自分が何故さっさと歩けていないのか考えてみると、さっさと歩いている人は踵から着地しつま先でしっかり地面を撥ね返すようにして歩いている。

歩き方が見ていても実に健康なのだ。

自分のは劣化した感じの歩き方だ。

年齢のせいもあるのかな。

 

ベタ足外反母趾のせい?


自分の歩き方がおかしくなっているのは、さっさと歩いている人のつま先で地面を蹴る様に跳ね歩く部分だ。

自分はべた足で外反母趾があるので、踵で着地してつま先で地面を蹴る様に歩く部分になにか手心を加えて歩いているようなのだ。

自分の意志でそうやって歩いているのではなく、体が意志とは関係なしに勝手にそうやって歩いているようなのだ。

足のつま先に手心を加えて歩く。

それは何故か。

それはつま先で地面を蹴って歩くと時々外反母趾に痛みが出るから、若い内はそんなこともなく歩けていても、経年変化でだんだんと習い性となって足をあまり上げずにすり足っぽく歩く癖がついたのかもしれないとそう考えた。

このすり足っぽく歩く歩き方を直すべく夜の散歩を始めている。

往復2時間。

1時間はちょっと寄り道でスナックへ行ったり。

そんなこんなで合計三時間歩いた。

 

歩き方を忘れカナリヤならぬおサル

 

歩き始めるときに、この世で初めて歩く赤ちゃんみたいに足取りを確認して歩く。ちょっとちぐはぐでふらふらした感じとなってしまうけど、外反母趾でこんな影響が出るとは。外反母趾そのものは命にも別状ないので多くは対処療法程度しかない。

それも効果があるのかどうかといったような対処療法。だから、

このまま外反母趾と死ぬまで付き合うしかないだろうなあ。

歩くには体重が重いとよけいに歩き方にも影響が出る。

それでダイエット。

ダイエットはまず胃を小さくすること。これ以外にない。

デンプン質を抑えタンパク質は少し多目。

ダイエットによる筋肉の衰えを回避するためにも運動は欠かせない。

 

歩く練習をする

 

運動と言ってもスポーツをするほどの運動をするつもりはないし、もともとスポーツは苦手だ。

だから運動はウォーキングか高尾山の登下山程度だ。

ウォーキングは速足で歩く程度で良い。

飲酒は食欲が増すので気をつけないといけないので程々。

それに飲み過ぎはその人の持つ癖が出るので、自分には分からないけど自分も飲酒で精神的な抑圧が開放されて何らかの癖が出ていると考えた方が間違いない。

酒はたしなむ程度で、酒は「避け」よだね。

年齢が上がって脚の筋力が衰えたのか。

脚力を付けようと、それで久しぶりに上高地ハイキングのバス旅行を申し込んだ。

上高地では四時間のウォーキングタイムがあった。

歩いていて違和感を感じることもなかった。

天気も良かったので風景に気を取られて足の運びを気にしなかっただけかもしれない。でも、四時間あれば以前のハイキングであれば明神池まで足を延ばしていたのに、今回の上高地ハイキングでは河童橋迄と無意識のうちに決めていたのは、はやり、脚の事が本能的に頭の隅にあったのだろうか。

時々左足を擦るような足の運びはあるものの生活にはなんの不自由もない。

旅行計画も立てて12月にはエジプト旅行も申し込んだ。

その他二つ三つの一泊二日程度の旅行も申し込んである。

 

岡山旅行

 

2013年10月19日金曜日。

その旅行の一つに岡山旅行がある。

これは姪っ子が嫁いで岡山に住んでいるので、姪っ子の母である義姉に誘われて、私と妻と義姉の三人で行くことになった。

姪っ子の家に訪問と、備前焼祭を見に行くためである。

夜行バスでの出発となった。

夜行バスは三列シートでリクライニングも出来る豪華なバス。バスの中でぐっすり休むことが出来た。

 

備前焼まつり

 

10月20日土曜日。

バスは早朝到着。天気も良く早速に備前焼祭を見に行く。

この時からだ少し歩きがおかしい。

時々かなりふらつくようなことがある。

妻にあなたちょっと注意して歩いてくださいと言われる。

それでも普通に単独歩行出来ていた。

備前焼は自分にはセンスが古臭く汚い感じの焼き物であまり好きではない。

備前焼祭を見てますますそう思った。が、妻が楽しそうに見ているので、いくつか妻の気に入った焼き物を買った。

 

備前まつりで野蕎麦もまずきゃホルモンうどんも超まずい


備前焼祭を一通り見終わって祭街道入り口付近に戻り、ここで新蕎麦を打って食べさせるイベントをやっていたので、新蕎麦をいただいた。

いやその不味いこと不味いこと、この上もなく不味い。

最高の不味いだらしない蕎麦であった。

そういえば岡山のホルモンうどんなるものも備前焼祭街道の出店で作っていたので購入して食べたが、味は濃すぎてしかも不味さに妻も私も橋を一口付けただけで、そのホルモンうどんは捨ててしまった。

岡山のホルモンうどんはB級グルメとして有名なはずなのに、先の蕎麦にといえ、いくら祭の出店でもこんなひどい物を出していては、備前焼祭の民度の低さを感じさせてしまう。

夜は姪っ子の義理のご両親さんの招待で温泉とお寿司店の接待を受ける。

明日、日曜日私達夫婦は岡山城を見学し岡山から新幹線で帰宅することになっている。義姉は娘の家(姪っ子)に延泊することになっている。

姪っ子の家で一泊。

朝食をいただいてからタクシーで駅まで行ってから岡山に向かう。

岡山城を見学し新幹線に乗って帰るために岡山駅に向かいながらショッピング。500円ショッピングで面白い物を見つけ幾つか買ってきた。

この時もまだ普通に歩いていた。

 

帰宅に向けて


10月21日日曜日。

新幹線で東京に向かう。東京駅では新しくなった東京駅見学をするつもり。

夕暮れ時の東京駅。

外に出てから東京駅の見学で散策。

この時から歩きがかなりふらつく。

階段の上り下りに妻が私の腕を握って寄り添ってくれるほどになった。

これはおかしい。

非常におかしい。

脳に障害が出たのか。

と言っても、頭脳明晰言語明瞭。

手にも何の影響もない。

ひょっとして自分は腰椎間狭窄症があるのでその影響なのか。

歩き方がとてもおかしいので東京駅の見学は早々切り上げて、帰宅することにした。八王子駅からはタクシーで自宅まで。

 

これは脳に障害が出ている可能性があるかも


もうこの時に私は八王子市内にある大学病院に行くことを決めていた。

救急車を呼ぼうかと思ったが妻が連れて行くと言うので、事前に連絡して夜間外来救急受付に向かう。

この時も自分の脚で歩いていた。

問診と手の動きの検査を受け、どうやら脳の異常ではなさそうですねと言っていた医師が、次の検査で立って直線の上を歩いてくださいと言う。

直線に沿って真っ直ぐに歩けない。

ふらつく。

 

MRI脳検査

 

それで急遽MRI検査となった。

MRI検査を受けた直ぐ後に検査技師たちから「どこかで頭をぶつけましたか」というようなことを何度か聞かれた。自分には最近頭をぶつけたような記憶はないので、憶えているようなのはありませんと答えた。

MRLの検査後、脳外の診察となった。そこにはMRI画像で左右に白い帯状の物が見られた。その時のMRIの画像が下図だ。

脳のMRI画像で脳の左右に出血している痕がはっきり写っている画像。

脳のMRI画像で脳の左右に出血している痕がはっきり写っている。

この画像を見てびっくり。

MRIでは出血が白く出る事は知っていたが、左右に細長い三日月状に白くなっている。この状態でよくぞ言語や視覚、手に影響が出なかったものだ。

右脚にはふらつくほどの影響が出た。

硬膜下に薄く出血していたのだろうか。

 

病名は慢性硬膜下出血


脳外の先生はI先生。慢性硬膜下出血です。
その一言を聞いて私は安心した。

硬膜下出血なら血さえ抜けば脳に影響はない。
足のもつれは硬膜下出血で脳圧が高まって脳が圧迫されて影響が出たものだ。

硬膜下出血は心筋梗塞で亡くなった兄が、舟釣りで船内で転倒し、頭を強く打って硬膜下出血で手術して血を抜いて完治した例があるので、自分にも硬膜下出血の知識はあった。

硬膜下出血は血さえ抜けば完治する。

だから硬膜下出血と言われてほっとしたのだ。

他のややこしい脳の病気や出血の影響であったとしたら、術後の後遺症も怖いのだ。

I先生は言う、これは手術で血を抜かなければだめですね。
私はお願いしますと即座に答えた。
今やっちゃいますかと聞かれたので、躊躇なくお願いしますと答え、当日、その日、日曜日の夜に手術をしていただいた。

手術は左右に出血しているので二か所。頭の左右の側頭寄りの上部から頭蓋に穴を穿ちそこにドレンを埋め込んで硬膜下出血した血を抜き取るのだ。

麻酔は頭部皮下のみで術中の先生の話声も聞こえる。

左右に穴を開け熱帯魚飼育で使うエアーホースの様なもの取り付けて、その先に点滴に使うような殻の袋をぶら下げる。

術後の姿は頭から二本のホースを出してまるで蟻の触角だ。コミック HUNTER×HUNTER のキメラアントみたいな感じだw

一定容量となっている頭蓋内の容量が硬膜下出血で脳圧が増した。

その脳圧も脳内の自然な復元作用で、硬膜下出血の血を今度は脳内の復元力によってドレンを通して体外に押し出す。確か二日ほどでドレンは外され、傷口は縫われた。

この縫う時と糸を抜く時は激しく痛かったぞ。


術後私は熱が出た。

 

いつも熱が出ても妻が笑うほど微熱なんだけど、自分的にはとても我慢が出来ない。

それで毎日氷枕をしてもらった。その熱は体温を上げて傷口など雑菌から守る為とは分かるけど、どうも男はちょっとでも熱が出ると弱い。

術後はただひたすら毎日寝ていた。


退院


10月25日木曜日。めでたく退院である。

後から硬膜下出血の原因を考えてみると、10月初めのころ自転車に乗っていてふらついて滑り転びかけて電柱に頭をぶつけたことを思いだした。

ぶつけたと言っても傷も出来たわけでなくたんこぶも出来なかったし、何より自転車でふらついて電柱にぶつかったというのが自分で恥ずかしくて、さっさとその場から立ち去ってそのことを忘れていた。結局、

 

その自転車事故が慢性硬膜下出血となった遠因ではないかと思う。

実はこのあとさらなる脳の大手術が待っていたのだ。

 

 



 

この記事は 中高年の星☆爺婆の太陽 静吉がお届けしました😎 

 

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