チコちゃんに叱られないブログ

人生は雑多なのです😋

山での「こんにちは」は、すれ違いざまの風の中の優しで小さな灯火かも😎

↑音読で楽しんでね 2025年6月19日 木曜日 

 

 

2025年度 静吉チャンネル プレゼンツだよ😍

 



 

山を歩くとき、僕は自分から「こんにちは」とは言わない。
ただし、声をかけられたときには、きちんと返す。


むしろ、言ってくれた人の倍くらいの声量で明るく返すのが、僕なりの礼儀。
少しだけ、過剰サービス気味に😅

これは「挨拶を返さない派」とは違う。


山に来る人たちは、みんなそれぞれの理由でここにいる。
リフレッシュ、修行、記念登山、あるいはただの通過点。
だから、「挨拶がマナーだろ」と押しつけるのは、どうにも僕には合わない。


そのかわり、僕は受け身。
すれ違う人の目を見て、会釈が返ってきそうなら、同じく会釈で。
はっきり「こんにちは」と言ってくれたら、こちらも負けじと明るく返す。


挨拶はお互いの存在をほんの一瞬だけ認め合う、そんな儀式みたいなもの。

 

ただ、ひとつだけ願望がある。


せっかく「こんにちは」と言ってくれるなら、
もうちょっと、明るく、はっきりと、大きな声でお願いしたいな、と。
せっかく交わす言葉なら、気持ちよく響いてほしいじゃない?

それにしても、多くのトレランの人たちはすごい。


すれ違うとき、実に爽やかに、
「こんにちはー!」と風のように言ってくれる。
息も切れているはずなのに、なぜか笑顔だ。
こっちも自然と笑顔になる。
……けれども、それとは別の感情が残る。


「ちょっと、邪魔だな……」って。
これはもう、理屈ではなくて、個人の感情の問題。
走っている人を見れば、歩くこちらのペースが乱れることもあるし、
何より、山は静けさを楽しむ場だと思っている自分にとって、
背中に走りくる足音がどうにも馴染まない。

 

それでも僕は、トレランを否定しない。
僕の「こんにちは」の返しと同じで、彼らもまた、彼らのペースで山を愛している。愛しているかどうかはこの際別にしても、山野を駈けることを趣味にしているのだ。


その違いを認め合うことが、登山道でのマナーの本質かもしれない。

ちなみに僕は、バスを降りるときには必ず「お世話になりました」と言うし、ファストフード店であっても、「ごちそうさま」と言って出る。


街では言うのに、なぜ山では自分から言わないのか。
その理由は、いまだにうまく言葉にならない。


もしかしたら、山では言葉よりも、空気で伝わる何かを信じているのかもしれない。 山で出会う「こんにちは」は、声だけれど、言葉以上の意味を持っている。


それが義務であってほしくはないし、でも、出会えたならうれしい。
だから今日も僕は、静かに、でも耳は開いて山を登る。

 

山でのハイカーとトレランのすれ違いのイメージ図です。

イカーとトレランの出会い

#登山マナー

#挨拶文化

#トレランとの共存

#人とすれ違うということ

#声の温度



 

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