タイトル
2020年月日
君知るやこの熱き胸の想いを、はい、獰猛です。
中高年の星☆爺婆の太陽 の静吉プレゼンツでございます😍
序
まあ世の中いつの時代もこんなんだろうと思うけれど、昔から飼っていた犬が人を噛むなんて話はある。が、それが商売家の中で人の手を噛むなんていうのは、あんまりあることではないのじゃないかなと思う。
基本的に食べ物を売ってる店で、動物などをたとえ許可を得てたとしても放し飼いにはしてほしくない。ネットでは猫が雑貨店や食べ物屋さんなどでうろうろしている画像がけっこう見つかる。
ネットで猫の可愛さも十分理解できる。
私はどちらかと言うと犬派だったけれど、ネットでの可愛さ表情の豊かさ愛情表現の細やかさなどとても魅力的に見える。
それでも食べ物屋などで動物がいるのはお断りしたい。
まあ猫カフェなんてのは猫と戯れるそのものが目的なので、そのことを承知して行くには何の問題もない。普通に入った食べ物やで動物がうろうろしてるのが嫌なだけだ。
人としてクズが生活の中に紛れ込んでいる。
— 静吉@居直るど・ダ・ヴィンボー (@i_shizukichi) October 21, 2020
こんな状態が、これから先の未来の日常になる可能性も高い。 https://t.co/mKUap8n5xs
人様の動物がオフラインで無条件で可愛いなんてことがないので、接遇はネットていどで抑えておきたい。
閑話休題的植物泥棒の話
この記事を書いてるのは2010年10月21日水曜日のことである。
植物を栽培しているらん小屋に行きました。
そのらん小屋の西端にほんのわずか、1畳あるかないかのスペースがあって、そこにギボウシやスズランそれとムスカリを植えてある。
そうしたらしゃがんでフェンスの間から手を伸ばして、そのムスカリを一生懸命抜いてティッシュで包んでいる女がいた。
通りしなに「うちのだから抜いて持っててもいいよ。だけどよその家のは絶対こんなことしちゃ駄目だよ。これだって私が警察に通報すれば君は泥棒として捕まるんだよ」そういって看過してやった。
年の頃なら40代後半の細めの女性であった。
マスクをしてるからわかりにくいけど、もう少し年代が入ってるかもしれない。
介護関係の仕事をしているような服装をしていた。
そういえば植えてあるムスカリが最なんとなく近少なくなってるなと思ってはいたけど、そういう奴ら(介護センター的なところの仕事仲間)が連絡し合って、あそこのなら簡単に抜き取れるよと言って情報交換をしているのかもしれない。
奴らにとっては病院が近くにあるので、患者の送迎付き添いの泥棒もついで仕事なのだろう。モノが植物程度に下がると、ひとのものは自分のもの的な考えのモラル人間が多くなるのもたしか。だかららん小屋はフェンスネットで囲んであるのだ。
奴らなんて言葉は普段使わないのだが、上目線で看過したとは言え心のどこかにしっくりしないわだかまりが残ったからブログにも奴らなんて言葉で書いてしまったんだろう。
ホームセンターでムスカリを買えばせいぜい300円以下の値段だ。
その鉢植えの300円と、他所様の植栽から泥棒するとの行為の間には、天と地の差があるほどのことが分かってないのだろうか。
破
息子や娘などが、親の年金などあてにして生活を送る、いわゆるパラサイトシングルも少なくない時代。
結局自分の稼ぎでは飯を食って行くことができなくて、親に寄生して生きている事を余儀なくされるなんてこともあるだろう。そんな親にとっては子の行く末が案じられて往生することも気が気でないことだろう。
そんな息子や娘は、親がより高齢となって体が弱り、介護支援センターのような病院に入院している親の保護者自然となるようである。
親の年金で生活してるのに、入院してる患者の保証人のような保護者になっていること自体がおかしいとは言えなくもないけれど、その保護者の許可をもらえないと治療もできないなんてそんなより理不尽なおかしなことがあるのだろうか?
> 人工呼吸器などですでに植物状態になって個人の意志もなく回復が望めない状態でのこと
— カラーひよこ 🍥「しょぼいセミリタイア」 (@colorhiyokoma) October 21, 2020
そうです、サイン云々はその内容でした 🐤
そのときの延命治療はぼくもいらない。
— 静吉@居直るど・ダ・ヴィンボー (@i_shizukichi) October 21, 2020
ただ意識がしっかりあってご飯も食べれてTVを観て笑えるうちは【いつまでも】生きていたい。誤嚥性肺炎も誰の同意もなく治療してもらいたい。生きていることを真から悔やんだり、まだらボケがひどくなったら安楽死を望むかも… https://t.co/oO7piip9rK
本人にとってこれこれこういう状態である時は無用な延命処置をしないで欲しいというのと、とりあえずは意識があってはっきりしてる時に何らかの原因で他の症状が出た時には、その症状を取り除く手術は処方してもらうのは当然の事だと思うのだ。
そんなことにいちいち関係者の同意がいるなんておかしいし、その同意を断りただ延命だけさせてくれと言う息子や娘は、親が死んでしまっては親の年金受給を受け取れなくなるからなのだ。
そんなそんな子供でも、しかもそんな子供だということは分かっても、親は子を思って少しでも長く生きようと努力している。結局は親が亡くなっても親の家や財産がそんな息子や娘に行くことになってしまう。
まあこれは当然といえば当然だけど、からこんな話を聞くと全然関係のない第三者の私でも、気分的にはそんな子供に1円の財産も与えない法律はないものかなんて思ってしまう。
急
こんなツイートがあったので、ダジャレ的にリツイートしてみた。
おんな港町なら歌えるけど…古すぎたか🤣https://t.co/0cKesavVGI
— 静吉@居直るど・ダ・ヴィンボー (@i_shizukichi) October 21, 2020
ありがとうございます。でもわかりません…
— 自由人 (@vmax77971) October 21, 2020
そうだろうね😅
おんな港町がヒットしたのは1977年だから約43年前になる。
ほぼほぼ半世紀と言ってもいいだろう。
つまりは昔々の話になる。
ぼくは昭和初期の歌も好きで調べて練習して歌っている。
そして『鬼滅の刃』は既に持ち歌になっている。
いま『炎』も練習中で、気が多いことこの上ない。
昭和の歌謡曲全盛時代を過ごしてきた僕としては、八代亜紀や北島三郎などの歌は各家庭にテレビが普及して家族で見ていたので知っている。
しかしながらその頃は歌に興味がなかった。
ところが後年になって突然カラオケが好きになり、それで昭和の歌なども耳に聞き覚えがあるので懐かしくて歌ってみるけれど、元々歌に興味がなかったのは音楽センスのなさ故のことだから、耳に馴染んだ歌でも歌ってみると全く歌えないので新たに歌を練習をして覚えのと同然だ。
歌の練習をして歌覚えるうちに、インターネットで太平洋戦争前後の昭和歌謡の古い誰も色々と探して練習してみた。
それには介護関係に関するちょっとした個人的な理由もあって、古い歌を探して練習していたからでもある。
そんなことでカラオケというのか歌が好きになり、現在に至っている。
今では50年前のおんな港町も耐えれば、昭和4年の東京行進曲や蒲田行進曲(元は昭和4年だが、歌うのは1982年に映画化されて松坂慶子の方です)も歌うことが出来る。
戦後生まれの自分ではあるが何しろ山奥のような田舎にいたので、文明的なものにはそんなに触れることがなかった。
音楽というのも小さい頃に聴いたことがほとんどなかったので、音感なんてものは全く育っていない。
学校でも音楽は習うけど体が音楽を否定していた。
だから音感が育っていないどころか、カラオケが好きになっても当時主流だった歌謡曲のメロディーラインでさえ拾うことさえできなかった。音楽に関してはその程度のレベルなので、いまだに歌が上手になんてなれない。それなりに自分流に歌って満足するだけだ。
一般家庭には TV (テレビジョン)もなかった時代の人間が、今やパソコンにスマホタブレットを使っている。
Twitter もやってればブログも書く。
動画で YouTube にも手を出す。
そして約50年前の八代亜紀の『おんな港町』という歌も知らない時代の人と混じり合って生きている。
この長期期間に体を通ってきた情報量や物質の多さなんてとてもじゃないが、同年代以外はわかり来ないだろう。
自分の歴史がこれまでの人類の中で、この事を思うだけでいかに凄い時代であったかを再認識することができる。
2001年宇宙の旅がという映画があるけれど、猿がモノリスに触れてから文明が始まったのと同じような時間経過をしたと思う。
そして、こんな時代はこれから先もそうそう訪れることはないだろう。
猿がモノリスに触れて文明が始まったと同じような大きな変動経験は、多分人類が普通に宇宙に出て行くようになってから再び経験するのことになるのではないかと思う。
と、ご大層なことを言ってしまったけど、このような大きく見えるかの変動は、実際には過去にも頻繁に繰り返し起きてきてるのだろうと思う。
古くは稲作が定着したときもそうだろう。
飛ばして近代に入れば、長く続いた武士の時代が大政奉還尊王攘夷の江戸時代から、明治、大正、昭和を生き抜いた人々も、その事に気が付かないかもしれないけど同じような経験をしてきているはずなのだ。
つまりはこんなことは節目節目で度々起きている。
そして、こんな風にして世の中は、誰も気づきもしないで少しずつ変わったかのように過ぎてゆくものだろう。
そしてそんな日本は世界の既に負け組になりかけている気もする。
「無印良品とユニクロとダイソーを足して3で割った中国ブランド」と揶揄されることもある名創優品(メイソウ、MINISO)が、ニューヨーク証券取引所に上場。
— 東洋経済オンライン (@Toyokeizai) October 22, 2020
中国の消費者からも「パクリ」企業と皮肉られてきたメイソウは、なぜ短期間でここまで急成長できたのでしょうか?https://t.co/uIfe1f3hCh
んだから、この記事は読んでみたら参考になると思う。
こんなふうにして世の中は流れ、時代の変化にも気が付かないで生きていくことになるけど、変化が起きた時代の中にあってはその変化が既に当たり前なんだからその変化により気づきにくいと思う…
この記事は 中高年の星☆爺婆の太陽 静吉がお届けしました😎
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