チコちゃんに叱られないブログ

人生は雑多なのです😋

「良い人は早く亡くなる」論への優雅なる生存勝利宣言😎

2025年度 静吉チャンネル プレゼンツだよ😍

 



〜生き残り組の矜持と、不謹慎な慰めの言葉について〜

 

プロローグ:またしても聞こえてきた、あの「ことば」

「良い人は早く亡くなる」――この言葉を耳にするたび、私の眉間には微細なシワが刻まれる。SNSで医師までもがこの手の発言をしているという投稿を見かけた日には、もはや苦笑いを通り越して、一種の哲学的困惑に陥ってしまう。

 

なるほど確かに、この言葉には古風な響きがある。まるで昭和の演歌の歌詞か、はたまた祖母が愛用していた暦の片隅に印刷されていそうな格言のようだ。しかし、よくよく考えてみれば、これほど失礼極まりない「慰めの言葉」も珍しい。

 

第一章:生き残り組への暗黙の侮辱

この言葉の裏に潜む論理構造を紐解いてみよう。「良い人は早く亡くなる」ということは、必然的に「長生きしている人は、まあ、それなりに問題があるのでしょうね」という含意を持つ。実に巧妙な逆説的侮辱である。

 

葬儀の席で「本当に良い方でしたのに」と涙ぐむ参列者の言葉を聞きながら、生き残った親族は内心こう思うのではないだろうか。「では私たちは一体何なのでしょう? 生きているということは、つまり、そういうことなのでしょうか?」

 

身内を先に見送った者の心境たるや、複雑怪奇である。悲しみに暮れながらも、同時に「生存者ギルト」ならぬ「生存者スティグマ」を背負わされるのだから、たまったものではない。まるで長寿という罪を犯しているかのような錯覚に陥る。

 

第二章:他人の人生への勝手な採点表

そもそも、他人の人生に対して「良い人」「悪い人」という二元論的な評価を下すこと自体が、いささか傲慢ではないだろうか。人間の複雑さを無視した、あまりにも単純化された世界観である。

人生とは多面体のようなもので、見る角度によって全く異なる表情を見せる。ある人にとっては聖人のような存在でも、別の人にとっては煩わしい隣人かもしれない。そんな多様性に満ちた人間を、死後に一刀両断で「良い人だった」と評価することの滑稽さよ。

しかも、この評価基準には明確な根拠がない。早逝した人は自動的に「良い人」認定され、長生きした人は暗黙のうちに「まあまあの人」扱いされる。これでは人生がまるで逆ピラミッド式の道徳システムのようだ。

第三章:私的体験談と「勝ち組」宣言

告白すれば、私は幼少期に両親を亡くした。記憶の中の彼らは既に輪郭が曖昧で、恋慕の情もほぼ消失している。時間という名の消しゴムは、思い出を驚くほど効率的に削除していく。

 

しかし、兄弟への想いは別格だった。末っ子として育った私にとって、年上の兄弟は憧れの対象であり、人生の先達であった。それでも20年という歳月は、感情の地形図を静かに書き換えていく。

 

今、亡き身内の享年を超えて生きている私は、ある種の達成感を覚える。「生き残り組の勝利」とでも言おうか。これは決して不謹慎な発言ではない。生き抜くことの尊さ、継続することの困難さを知る者として、堂々と「勝ち組」を名乗る権利があると信じている。

 

第四章:自殺への言及と生命の価値観

もちろん、自ら命を絶つという選択は別次元の話である。これは一般的に忌避されるべき行為であり、私も強くそう感じる。しかし、だからといって「長生き=悪」という図式を受け入れる理由にはならない。

 

生命には本来、長短による価値の差異は存在しない。短い人生にも長い人生にも、それぞれに固有の意味と価値がある。問題は、この当然の理屈が「良い人は早く亡くなる」という俗説によって歪められることだ。

 

第五章:言葉の刃と無自覚な加害性

「良い人は早く亡くなる」という言葉は、一見すると故人への敬意を表しているように見える。しかし、その実態は遺族への無自覚な攻撃でもある。慰めのつもりで発せられた言葉が、受け手にとっては心の傷を深くする刃となる。

 

特に、身内を亡くしたばかりの人の前でこの言葉を口にすることの残酷さよ。悲しみに沈む人に対して「あなたは生きているのだから、まあ、そういうことですね」と暗に伝えているようなものだ。

 

第六章:新しい死生観への提案

では、どのような言葉で故人を偲び、同時に生者を慰めることができるだろうか。私は「その人らしい人生でした」という表現を提案したい。これならば、故人の個性を尊重しつつ、生者を貶めることもない。

 

あるいは「一緒に過ごせた時間に感謝します」という言い方はどうだろう。これは時間の長短ではなく、質に焦点を当てた表現だ。短い時間でも濃密な関係もあれば、長い時間でも希薄な関係もある。大切なのは時間の絶対量ではなく、その中身なのだ。

 

エピローグ:生きることの讃美を

結論として、私は声を大にして言いたい。長生きすることは素晴らしいことだ。亡き人々の年を超えて生きることは、彼らの分まで人生を味わうという意味で、むしろ神聖な行為ですらある。

生きている…それだけで人生勝ち組😋

「良い人は早く亡くなる」などという、生者への暗黙の侮辱を含んだ俗説は、そろそろ引退していただきたい。代わりに「生き抜くことの美しさ」や「生きているだけで勝ち組」を讃える言葉が、この世に広がることを切に願う。人の生死はその時々のものなので、少しでも長く生きられるようにしようねって意味なのです。

 

生きること自体が既に十分に困難で、十分に価値のある営みなのだから。


検索用タグ: #死生観エッセイ #生きることの価値 #葬儀マナー批判 #遺族の心理学 #長寿の哲学 #慰めの言葉考察 #生存者ギルト #人生論コラム

 

最後に

ちなみに「良い人は早く亡くなる」っておっしゃる方は,亡くなった方を惜しんで言ってくださっているのは十分に分かっています。そしてそれは亡くなった方への賛辞であることもでもあり、とてもありがたいことだというのも分かっております。

 

両親が等に居ない末っ子であったこともあって、姉兄を亡くしたことの喪失感の大きさは身をもって知っていますが、時が経ってそんなこともあったねえって話の出来る兄弟がいないってことの辛さ寂しさは、著者は身をもって実感しております。



 

www.youtube.com

yamap.com

kakuyomu.jp

f:id:i-shizukichi:20200621012743j:plain