日常の行動記録の一環として
日常行動記録ってことをこのブログの サブタイトルにもしているのだけど、その日常の行動記録もろくに記録なんかできない。ブログっていることなんかほんの鼻糞程度のことに過ぎない。
コミック『超能力者 斉木楠雄のΨ難』みたいに次から次へと襲ってくる複合的災難を、その超能力で何事もなかったの如くに解決し平穏に過ぎさせる能力と同等の能力を、自分が己の知らないところで既に発揮していて、それ故に、その結果、本人は全く何事もなく無為な時を過ごしている感覚しかないのだかもしれんし。
それって、何事も起きてない平凡過ぎる生活ってことじゃないのなんて突っ込みは不要ってものですので、そんな言葉が喉から出かかっていたら、ご自身の両手でご自身の首をぎゅっと強く締めていたただければ有難しで御座候なりなのです。
今日は雑記の雑記を書きたい気分なのでそれらを書く。
自分の思うままに書く。
世の中を斜見の偏見者ゆえに、お気に障りのことも多いだろうけど、心広く持って、そういう考えのやつもいるのだろうなあ程度でお付き合い願いたい。
ミニマリスト
幾つかの意味があるようだけど、ブログでのミニマリストとはこれかな?
持ち物をできるだけ減らし、必要最小限の物だけで暮らす人。自分にとって本当に必要な物だけを持つことでかえって豊かに生きられるという考え方で、大量生産・大量消費の現代社会において、新しく生まれたライフスタイルである。「最小限の」という意味のミニマル(minimal)から派生した造語。 知恵蔵の解説
勝手解釈のミニマリスト定義
- ケチマリスト
単純にケチなだけで浪費をしないってことですけど、何か目的があっての節約している場合もあるし、関心のある分野には相応対価を惜しまない的な面がある。 - ゴミマリスト
持ち物を減らすことが目的になっている本末転倒型。たぶんにヒステリー気味なところがあり、一度そう思い込んだら徹底してやるタイプ。満足と裏腹の徒労と虚しさの紙一重。 - ミニマリスト
最初から余計なものは持たない主義であって生活すべてにおいて質素を旨とする。煩悩凡欲は少なくかあってもそれを自制心でコントロールして、心の豊かさ幸せを求めていると思われる。消費少ないがゆえに、積み重なった資産があるとすれば、社会貢献に寄贈するタイプと思われる。
ちなみに自分はどちらかというと1番のケチマリストですかね。かなりのケチですが、その反動でつまらない散財をすることが多々あるどちらかというと小市民的極々の小人です。
独居孤独死問題
老人の独居生活が多くなり、孤独死が多くなっているってことが keroyon さんの記事にありました。
記事内の『マンション管理会社と孤独死との戦い』へ直リンクした方が良いかなと思ったのですが、高齢者の方が物件が借りられないって事情もあるってことの実例が書いてあるので Keroyon さんの記事を引用させていただきました。
なにか、ここのところ、 Keroyon さんとご縁があるようなのです。
と言っても、こちらが一方的に仕掛けているご縁ですからご迷惑かもしれないですが、公開されているネット情報は自由にクロスして利用するのが旨なので、どうぞご容赦願います。
老人の独居孤独死は自分にとっても問題です。
住まい回りに多少縁ある身内がいたとしても、お互い干渉しないで生活していることの方が多いですから、気が付いたら一週間経っていた、いや一ヶ月とか私の場合にも起こりそうです。
私自身は朝目が覚めたら、いや、朝目が覚めなければそれで幸せと思っていますので、なにも知らずに起きる必要も無しに旅立てたらこれほどの幸せはないと思っています。個人的には、人(身内他人に限らず)に囲まれて逝く様を見せるのは苦痛かなと思っています。
それで気が付いたら一週間、一ヶ月、と経ってしまったら後の者は間違いなく悲惨でしょう。賃貸業なら事故物件となるそうで、この後1年間はまともな家賃で貸すことも出来なくなるそうです。確かにあるときに中古住宅を買おうとして家を探していてめちゃ安い物件に出合いました。
それが事故物件でした。
内覧してみると現場の畳には大きくシミが付いていました。老人の独居死です。戸建ての家でさえもう独居が多くなってきている時代なのです。
子供たちは家を出て、新しい家を求めそれなりに新しい生活を始めています。
残された昭和年代夢のマイホームには年老いた夫婦が生活しています。が、それもどちらかが先に旅立ち、やがては独居死が訪れることになります。そしてその家族は終焉となります。血が繋がっている子が外にいても、それはもはや昔で言う家族ではないのです。
こんな家族関係の薄い時代はより加速されていくことだと思います。つまり孤独死がこれからの世の中は普通の状態になるのです。
人なんてどこでも死んでいる。
どん!
大きな音がして外に出てみれば、我が家の角の電柱に車でぶつかり車の中で一人の男が額から一本の細い血を流した状態で死んでいました。事故が大したこともないように見えたけど人は死ぬときは死ぬのです。事故死であるけど、額から一本の細い血の跡のみのとてもきれいな死に顔でした。
そこは事故物件の電柱!
交通事故、病死、飛び降り自殺もあり様々な原因で人は何処でも死んでいますけど、死ぬか死ぬ直前に救急車に乗せられて病院へ行くことが多く、結果的には病院で死んだことになっても、事故物件の現場はそこじゃない!
つまり、どこもかしこもどこかで人は死んでいるってことです。
事故物件が日常された未来がもうすぐやって来て、その後にほどなくして孤独死も減少するでしょう。まあその時は人口減少でまた別の問題と置き換わっているだろうけど、孤独死問題が急激に増えて急激に終わるその時に、昭和って年代は完全に歴史の中のものになるだろう。
それまで事故物件的なことで迷惑をかけるが、それが人の諸行無常の泡沫の夢なんだよ。よろしく頼むわ。
断捨離
ぼくは、断捨離って言葉には多少過敏に反応してしまうところがある。
それよりも気が付いたのだが、自分には一人称を自分と言ったりぼくと言ったり俺と言ったり実にさまざまに使い分けているけど、これをひとつの記事の中でやるのはバカの極まりがないことだろうと思うが、自分の中ではちゃんと使い分けが出来てその時々で最適な一人称を知らず選択しているのです。
なんて、言い訳っぽいけどこれは事実です。
それだけ自分が無いってことなのかもしれないし、あるいはそれだけ人にはいろいろな面が限りなくあるってことなのかもしれない。まあ、どっちでもいいやね。
断捨離ですが、断捨離に囚われて安易に断捨離断捨離って言うことが、すでに断捨離出来ていないってことなんじゃないかって思うのです。断捨離をちゃんとやるならそれを人に宣言した言ったりするのは違うのじゃないかなって思うのです。黙ってやれよってことだと思います。
断捨離がミニマリストと同じような扱いになっているのって違うのかなって思ったりするのです。断捨離が流行りみたいな捉え方って終活ともつながるような気がしています。終活ってのも好きじゃないなあ。
そして断捨離もミニマリストも、最後は終活で独居独居死に繋がっている感じがして、何となく自分の中に落としどころが無いって感じがしているのです。これは自分がそう思うってだけのことなので、遠慮なく好き好きにやるで良いことです。
なるほどと思わせた記事
こちらはももはなさんの記事はなるほどと思わせた内容なので、少ないフォロワーながらツイッターにシェアしてある。そして、この記事の内容は俺の生き方とも似ている。
ももはなさんの記事はどちらかというとマウンティング系も多くて、自分の会社はこれこれこうだけど他はそこがダメ的な内容がたまに見受けられるけど、それは書いてあることを分かり易くするために対比させているだけで記事の内容は至極正論が多い。
小娘って書いてあるけど、記事内容からすると実は大年増だったりしているかもしれないななんて思ったり…け、決してしていませんからお許しを…
この記事は同じく keroyon さんの『昨日のご縁とリアルなご縁と。できないことはできないけれど。』の中でも取り上げてあった。
この記事から keroyon さんはダンゴムシを見てほっとするって書いてあるけど、まあそれは喩えとしてである。実際、植物を栽培するわたしとしては、ダンゴムシは見たら踏み潰している。踏み潰してやっとほっとするって感じだな。
その伝で栽培する植物に害するナメクジも同罪で、夜中に懐中電灯をつけて植物棚の見回りでナメクジがいると捕殺している。
植物(敢えて花とは言わない)を栽培するってことはそれだけで小動物も敵になる。アブラムシや毛虫類などいろいろな外敵と戦う必要もあるのだ。
しかし、人が生きている上での最大の敵は何だと思う?
物理的なものを除けば、なんと、誰でもない、それは自分の心じゃないかと思うのだ。
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ナメクジを捕殺するに使う道具は竹串です。
竹串でナメクジを刺す。
そして遺棄する。
かなり前だけど、同じようにナメクジを退治していて、そのころはチェーンスモーカーだったので退治したナメクジを串に刺したまま持っていたタバコのライターであぶり焼きの刑に処してやったことがある。
それは、大事な植物の肝心な芽を食われた腹いせがそうさせた。
焼いていると[秋田県] まんじ [りんな方言辞書]*1ほど良い香りさ漂ってのう、まんるでサザエを焼いているかんのようで、喉(のんど)をごくりと鳴らしてしもうただべさ。*2
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追記:コメントに回答させていただきます。
Kaimotu_Hatuji カタツムリもかな?
環境にもよると思いますが、いわゆる一般に見かけるカタツムリの被害はほとんどないというより、自分のところではただの一例もありません。ただしコハクガイという極小型のカタツムリがいて、これはナメクジ同様なかなか駆除できません。
軟体動物門腹足綱コハクガイ科。陸産の微小な巻貝。殻高 2mm,殻径 4.8mm。殻は薄く,黄褐色で光沢があり,巻きは低くて円盤状。体層の周縁は丸く,殻底の中央に小さな臍孔がある。北アメリカ,西インド諸島原産であるが,世界中に伝播されている。日本では,明治年間にすでに東京の上野で発見されていた。現在では全国に広がり,庭園や花壇などにすみ,ときに種苗を食害する。
見つけると捕殺していますので、大きい個体よりも1-3mmの個体が鉢の中に潜んでいて、夜間や湿度の多い時に出てきます。自分は近眼なので、眼鏡をはずせば極微小なものでもよく見えるのです。
コハクガイはかなり小さな1mm程度のも多く見られますが、不思議なことにコハクガイの卵を見たことがありません。ナメクジは透明なビーズのきれいな卵を産みますが、最初はあまりにきれいな卵なので、これはなにかと不思議に思ったことがありました。
コハクガイの卵は見たことがないのはあまりにも小さい卵だからなのかなと思うのと、もう一つは卵を見ないのでひょっとしたらコハクガイは卵胎生なのかなって思っていたりします。コハクガイの生体はよく分かっていないそうです。