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断捨離する!しない?


 ふ~ん、断捨離ねえ!

 

 

   Hatena Blog だけじゃなくて他のブログも見て回ると、どこかでこの断捨離って言葉とぶつかる頻度が高い。みんな物を捨ててすっきりしたいみたいなんだ。

 

 物を捨てれば、なんだか幸せにさえなれるって風にさえ書いている。

 

 物を捨てて幸せになれるってのは、心も捨てているんじゃないの。捨てる前に工夫してフリーマーケットに出すとか、ネットオークションで誰かに使ってもらうとかした方が良いんじゃないの。

 

 そういったことも含めて不用品売却なども断捨離になるのかな。

 

持っているものを捨てるってどういうことかな

 

もう使わない

 もう使わないから捨てるのは未練が無きゃ処分した方が気分がよくなるよ。でも、今はもう使わない気分かもしれないけど、後で使おうかなって思うことだってあるから、急いで捨てる必要はない。

 

飽きたから

 飽きたから捨てるってのは分かる。それは精神衛生のために捨てていいと思うよ。飽きたものが目の周りにあったりすると、それだけで精神が知らずにイラつくなんてことにもなるさ。

 

おっとと、それは捨てちゃあダメだよ。濡れ落ち葉だけど、あんたのご亭主様だろうよw

  

壊れたから

 壊れたから処分するのは早い方が良い。でも、後で修理しようとか、部品取りにするとかでとっておくことはあるよね。これはよく考えて残しておくか処分するか決めよう。捨てるときに迷ったら、まずは取っておくべきです。

 

邪魔になったから

 邪魔になったから捨てるってこともある。買い替えで前のを取っておいたって場合もあるだろうけど、本当に邪魔になったものは即の処分が大事。第一が邪魔になるようなものを買わない。一時の買いたい気持ちを捨てなさい。

 

でも、捨てるのと、断捨離はまた違うみたいだね。

 

 Wikiによると…

断捨離(だんしゃり)とは、不要な物を減らし、生活に調和をもたらそうとする思想であり、やましたひでこ山下英子)の著書において発表された。「断捨離[1]」「クラターコンサルタント[2]」は山下英子の登録商標である。

 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

 おっと、この断捨離って登録商標だよ。

 

 登録商標って勝手に使っちゃあ著作権法の権利侵害になっちゃうんだよ。

 

 例えばクロネコヤマト宅急便登録商標だから勝手に使用することはできない。宅配便なら国土交通省の用語で宅配便貨物と規定されているからだれでも使っていいみたいです。

 

 だから実際にクロネコから小包が届いてもいないのに、猫で宅急便で届いちゃってさあなんて文字で公開することはできないと思う。多分だけど。実際に猫で宅急便が届いたのなら事実なので書いても構わないと思う。

 

 勝手に宅急便という言葉をこのブログで使っても、それでクロネコ著作権を侵害されたって訴えることは間違ってもないのも確かだと思う。意図的に悪用されたのではない限りね。

 

 同じで断捨離も巷間の話題でブログなどで取り上げられても、たとえ本を買ってくれてなくても著作権侵害で訴えられることはないと思うけど、もし心配だったら書籍を購入しておいた方が良いかも。

 

 まあこういった商標登録名の場合はその名称を使って商売しない限りは、お店の名前や会社の名前を口にしているのと同じことなので、著作権云々ってことにはなりっこないので安心してください。

 

AmazonBook 断捨離

 

Wikiによる断捨離の概要…

概要[編集]

断捨離は、「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心を、ヨーガの行法である断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)を応用し、

  • 断:入ってくるいらない物を断つ。
  • 捨:家にずっとあるいらない物を捨てる。
  • 離:物への執着から離れる。

  出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

 

  捨てようかどうしようかって迷って捨てると、あれがあればこの時のこれに使えたって方が多いです。もったいなあと思ったものは捨てないに越したことがない。いや、絶対に捨てるべきじゃない!

 

 捨てることへの罪悪感を作り出しておいて、捨てたことによりその罪悪感の元がなくなってすっきりしたあって、それ、誤解行動*1ってやつだから。まだ使えるものを処分するときの罪悪感を、捨てる行為によって爽快感に置き換えられている。

 

 家をゴミ屋敷にするつもりはないけど、捨てるに迷うものは取っておくことにしています。いや取っておくべきだと思います。むしろ誤解したまま断捨離の捨てろ捨てろ、捨てれば楽になるは、捨てることで自分の心も捨てている感じがしますよ。捨てるのが目的であればそれはそれでも構わないけど、断捨離って言葉は商標登録してあるように純粋に営業的商売でやっている言葉ですからね。

 

 物を処分して部屋がすっきりすると言っても、もともとウサギ小屋ですからよほど多くの物を捨てなきゃ部屋なんてすっきりはしませんって。そんなウサギ小屋に物が溢れている一番の諸原因である自分を、究極断捨離すればいいのじゃないでしょうか。

 

 自分を断捨離するでは、これは本末転倒してしまいますね (´▽`) 

 

 でもそれが一番すっきりする誤解行動なんじゃないでしょうかね (´▽`;;;)

 

もへじの考えでは、よほどでなければ断捨離はするべきじゃない

 

 ある程度の物に囲まれて生きている方が人間は楽しいはずです。

 

 物がなくなってしまって薄ぺらな部屋になってしまったら、なんだかその部屋が他人行儀でうすら寒い感じになっちゃったりしませんか。引っ越した後の部屋とか、振り返るともの寂しいですよね。

 物に執着まではしないけど、使えるものはその使命を全うさせてやろうよ。あえて途中で断つことはない。よく考えてみれば本当に不必要で買ってしまったものなんてそうはないはずだ。一度はいいなあと思って買っているはず。

 

 不必要だけど衝動買いしてこれは使えねえなあって物もないことはないから、そういったものは早めにリサイクルに出すなどすれば、誰かがババを引いてくれる可能性もあるし、引いた先ではちゃんと役立つかもしれない。

 

 断捨離しなきゃいけないような人は、断捨離自体が依存症脱却の行為として必要なことなのかもしれないけど、そこまで物に対しての執着は普通ではないだろうと思うから、断捨離断捨離って言葉に踊らされて断捨離的なことをして後で後悔しない方が良い。覆水は盆に返らないのだよ。ダイエットのために断シャリは良いかもだけどね。

 

断捨離的終活もするべきじゃない!

 

 身辺整理で大事なのは精神面でこそ大事ですが、物品面では身辺整理はするべきでないとさえ考えています。物面で身辺整理をしてしまうと本当に寂しくなってしまいますし、なんだかそのまま即身仏にでもなりそうな感じさえしてしまいます。

 

 終活と断捨離のミックスで物ばかり捨てて行ってしまうと生活が不便になります。死ぬまで物が溢れてなくてもいいけど、今まで慣れ親しんだ物、これから買う物も総てがその人の世界でそれが歩いてきた人生。

 

 死んだ後の身辺整理費用で数十万円を用意しておけば十分でしょう。わずか数十万円分で整理がつく物品を、断捨離という言葉に惑わされて生存中に整理してしまっては、その損失のダメージが精神的にじわりじわりとたぶん効いてくるはずです。断捨離からボケが始まる可能性も否定はできない。

 

 高齢になってからの転居がきっかけでボケが始まるなんてのも実際に多々あるんだよ。今まであった物が身の回りにもうない。なんだか物寂しくなって心が内に向かい出すと、高齢者ほど他を見ることが出来にくいので、そのまま鬱からボケに移行する可能性は大だ。

 

 比較的高年齢者や内向性質者の断捨離後のリスクなんて誰も調べてないだろうけど、断捨離後に鬱病になったとかあるかもしれない。あの人は死ぬ前にボケちゃったけど、それでもせっせと断捨離で身辺整理してくれてあったから助かるわ、なんてことになっているだけかもしれないよ。

 

 良いのだよ、この世を去る最後の時にまで、就活だの断捨離だのとそんな愚かなことをする暇があったら散歩にでも行けって。散歩だけで足りなかったら日帰り旅行に、数泊の短い旅行でも楽しみなさい。おひとり様で行けるツアー旅行なら手軽に人生を楽しみ一つになる。映画でもいいし、図書館でもいいなんでも人生を楽しむためのものがあるから。

 

 それでも、誰の心にもある心の空白はどんなにしても埋められっこないから、その心の空白を後でより大きくするような一時の気持ちでの断捨離は止めた方がいいって思うのです。そんなのが人の一部なのです。そのうえで自分を生きる必要性を感じてください。

 

 持て余るものを持って、持て余るものを捨ててミニマリストになる生活用具を新たに買うって、そのどこがミニマリストなんでしょうか。

 

ああ、あれがあれば、ああ、あの本がもう一度読みたかった、あの服が…

 

 結構そんな些細なことが後悔の念となって身辺整理や断捨離で出てくると思います。断捨離をしてから『持てるをもって足りれるとせよ』なんて生活は凡人には無理です。『持てるをもって足りれる』人であれば、最初から生活に必要な最小限の備品しか持っていないはずです。

 

 凡人はどうしたって物欲があります。その物欲を満たすことでその時にはその時の充足した思いで幸せを得ているのです。

 

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マウスで絵をかくのは難しい!

 

 物品物欲は自分の歴史でもあるのです。

 

 なにもその歴史を、部屋をすっきりの身辺整理のために捨てる必要はありません。

 

 もし自分に何かあったらその時は残った品々を処分してくれる身辺整理業がありますので、身辺整理費用程度の金を残し用意しておいてやればいいのです。いやそんな金のことさえ考える必要もない。

 

 それじゃあ立つ鳥跡を濁すじゃないか。

 

 なんて思われるかもしれないが、それは違う。

 

 若い者が身辺整理などを考える以前の年代で、何かで急逝したら、それが立つ鳥跡を濁したのかってことになるだろうか。そんなことを言う人はいないだろう。

 

 年齢が上がって高齢者になろうとも生きている以上は誰もと同じように死というものは頭の中にあったって、明日死ぬとはだれも思って生きちゃいない。

 

 病院のベッドで今日明日ってなことじゃない限り、死は青天の霹靂のようにやって来るものなのだ。いや病院のベッドの中にいてさえ、明日のためにはどぶの中でも前向きに倒れるつもりでいるはずなのだ。

 

 突然やって来る死に対して身辺整理なんていくらしたってしきれない。それこそ前述の即身仏になるために最終断捨離で自分を断捨離でもするしかない。そんな死なんて考えてもいいけど考えても詮方ない。

 

 死に対しては村八分でも火災と葬式は八分にしないで村を上げて協力して執り行うものなのだ。それだけ死は重いことなのだ。あなたが死ねば、あなたにとってこの世界はこの宇宙は消滅する。このブログも何もあなたの前にはない。それが死だ。

 

 生きている証しである普通の物欲である物品を何かの名目のため処分する必要はない。あなたがどんなガラクタを残そうが、どんな恥ずかしいものを残そうが、あなたにはそれを意識することも出来ないのだからなにも恥ずかしくもない。それは、すでに別世界の出来事に過ぎないのだ。そしてその別の世界にはあなたの証しをすべて灰に帰すべく処分する仕組みがあるのだ。

 

 だから生きている内に物を捨てることが良いことだなんて風に考えないで、せっかく手に入れた品物たちを大事に、これからも身近において使って行ってやろうじゃないですか。

 

 人間はどんなに高尚ぶってもかように俗物な生き物なんですから、俗物上等で開き直ってみませんかね。わざわざを今ゴミを作らなくてもいいでしょう。物品に関しては立つ鳥跡を濁していくので構わないと思います。

 

 大事なのは人関係の立つ鳥跡を濁さずなので、そちらは各自色々あるでしょうからそれぞれでご尽力願います。

 

 

See you. 

誤字脱字後日修正・随時加筆有

ついでに全部押せ!

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*1:誤解行動はもへじの造語。行動が間違っているのに、その行動行為の原因を消すことにより爽快感を生じさせること。