今日はどうでもいいことを書く。
ブログ主の頭が金髪だろうがそんなことは本当にどうでもな雑記を約7800文字タイプしただけなので、それゆえ読む必要はほぼゼロです。脈絡もなしは定型だし、さっさと他所へ飛んでいかれよ。
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昨晩は小さな飲み会があって参加してきた。
下手なカラオケを歌いたさにスナックへ行ってでさえ、普段はほとんどアルコールは飲まないんだけど、乾杯の生ビール一杯とウィスキーをダブルで二杯飲みました。
だいたいこれで酒量的には自分には限界量のようです。
と言っても、これぐらいの酒量では酔うわけじゃないけど、それ以上は飲みたくないのでこれでストップです。お調子者のあたしは、切りなく飲んでタガが外れると大変なことになっちゃいます。
誰とは言いませんが、ふかふか掛布団で暖かく気持ちよく寝ていると名前を呼ばれ、目を覚ますと帰れと追い出されたことがあります。
目を覚ましたところは見知らぬ空間です。
何やら白い人がうろうろと動き回っていました。
空飛ぶ円盤に連れ去られてベッドに横たわるアブダクション状態なのか?
ぽこんちには管が入った後があり違和感一杯。理解できないまま覚えていることを思い出すも何も思い出せない。
ついにもへじ未知との遭遇なのかってこともなく、ここは大学病院の救命救急センター。
救命救急センターに急性アルコール中毒で救急車で搬送されていたのです。
すし屋で初めて飲んだ日本酒の冷酒が美味しくて、友達と来ていた安心感もあってくいくいと何本か飲んだら意識を失っていました。その時の仲間は、もへじが死ぬと思って泣いていたとか後で聞きました。
まだ冬で二月か三月ごろだったかな?
夜中の三時ごろに大学病院を追い出された。
ここは救命救急センターで時間で料金がかかりますから気が付いたら帰って構いませんから帰ってくださいってことでした。帰るときに医局で仮払金を払って行ってくださいとのことです。
なんか、言われるままに医局で1万円預けて帰ってきました。
大学病院って大学病院の近くに住んでいる方には失礼だけど、大抵ちょっと辺鄙な場所にあるのです。
その大学病院も普通で考えて少々交通の便の悪い辺鄙なところです。
幸いというかその大学病院の近くに姉の家があったので、大学病院から歩いて姉の家に行って姉の家で寝ることにしました。当時姉は入院していたので建物のカギを私が預かっていたのです。
姉には一人娘がいるのですが娘は独立してご主人と家族で別の場所で暮らしています。姪っ子に当たる娘は子供二人の面倒で手がいっぱいなので、私が姉の入院に関して色々と手助けをしていました。そんなわけで建物の管理も私がしていましたのでカギを持っていたのです。
救命救急センターにいるのに時間でお金がかかるってなんだよとは思いましたけど、数日後に大学病院から電話があって入院費の精算が出来たから来てくださいと言われて再度大学病院へ。
1万円渡してあるから、保険証を持って行けばお釣りをくれるだろうと甘い考えで向かいました。
その、甘い考えはとんでもないことでした。
もうかなり昔のことなのではっきりとは覚えてないのですが、さらに2万円出していくらかのお釣りを貰ったと思います。
数時間で2万円台で3万円近い施術料です。
えっと思ったけど、そこでどうこう言っても仕方ないので従容と払います。男がお金のことでどうこう言うのはみっともないという半端者のくせに生意気な矜持をも持っています。
なんで「救命救急センター」でこんなに料金が高いか、それは病気じゃないからです。病気や事故じゃないから保険がきかないってことなのです。
自由診療料金だから数時間でも3万円近い金額になります。
最初は高いと思いましたけど、これで命が助かったのであれば安いものだと思いました。それ以上にこんなことでもし何かあったら、いま入院している姉のことはどうなるのかなど考えて、もう無茶なことはしないようにしようと思いました。
姉の為にももうこんな無茶は決してしないと自分に誓いました。
初めての日本酒で飲み過ぎて救命救急センターなんて、多分に自分を制することが出来ないおバカなのです。飲み過ぎたのは毎日病院へ通っての姉の介護疲れも加わっていたからその反動もあったと思います。
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なんでも夢中になりやすいです。仮想通貨にも夢中になり損を喰らうとか、まままっこりさんのへのブログ愛に目覚めればそのことを熱くブログるように、実に正直な瞬間湯沸かし器的にお調子者のおバカ者なのが自分です。
バカバカがずいぶん出ましたけどバカはやはりバカなのでバカな壁にぶつかって、バカを自覚してバカじゃないように努力をしつつ生きておるわけですけど、やっぱそこはバカですから自分がバカだってことを忘れてまたバカなことをやっちゃうのがバカたるゆえんです。
まあ、そんなバカはもへじのことじゃなくこんな例があるよってことの参考をちらっと書いてみたに過ぎないので、その辺のところはよろしくとバカ丁寧お願いしておきます。
じゃないと街を歩いていても、すれ違う人の視線が怖いですからw
酒も飲まないのにカラオケが歌いたいためにスナックへ行くのは、それは人がいるところでカラオケが歌いたいからです。一人カラオケがしたければカラオケボックスがあります。
そういえば、カラオケボックスはスマホが普及してから利用客が減っているそうです。
なぜスマホとカラオケボックスの利用客に因果関係があるかというと、カラオケって若い人の利用も結構多い場所なのです。というよりそういう場所でした。
それがスマホの普及でカラオケボックスの客が減るのは、お小遣いとスマホ料金の関係があります。スマホの利用料金に支払う金額が増えてお小遣いの可処分金額が減ってカラオケボックスへ行く頻度が下がったそうなのです。
それでカラオケボックスの利用が減ったらしいです。だからカラオケボックスへはいつ行っても部屋は空いているからウェルカム状態です。場所にもよるだろうけど、混んでいるカラオケボックスなんてそんなにないんじゃないのかなあ。
もへじはカラオケボックスでカラオケが歌いたいわけじゃないのです。
人がいるところでカラオケが歌いたいのです。
出来たら駅前広場でカラオケを歌いたいぐらいの気持ちがありますw
音痴なのでその行動には、さすがにセーブをかけていますけどそんな感じです。実際にほとんど人がいない道路では歌いながら歩いていることもあって、道路の反対側を歩いている人が「えっ?」て顔でこっちを見るなんてこともありますねw
目立ちたがり屋ってわけでもないけど、そうなんですかね。
実際にはスナックでのカラオケって歌っていても人のカラオケは聴いているようで聴いてないで流して聞いているだけの雑音みたいなものです。
それでも人がいるところで唄いたいのは自己満足じゃなくて、ブログを読んで欲しいってのと同じでこれも一種の承認要求なんでしょうね。これは他のスナック客も同じのようです。
Hatena Blog 間ではブログは読まないで星だけ押して帰るなんてことは私もよくやります。それでも訪問しているのでせっかくだから来たよ印の星のつもりです。あれっ、この星を押す行為も、一種のおれが来たよってことを相手に知らしめる承認要求をしていることなのかな?
人は人として通り過ぎる人じゃなくて誰かに認めてもらいたいし愛されて愛したいって気持ちで生きているはずなのです。
その心にはいろいろな色のついたオブラート*1で包まれているだろうけど、幾枚ものオブラートを剥がした中にきらきらした相互承認要求の愛に満たされたい思いがあるはずです。
二人目の子供が出来て下の子(先に生まれた子供)の方の面倒見が後回しになると、下の子が幼児戻りしたりとかいろいろ自己アピールをする行動がやんちゃになったと怒られたりとか拗ねっぽくなったりするのも、母親が赤ちゃん方の世話焼き中心となって母親から下の子へ直接的な愛が伝わってこないための母親への承認要求の表れでしょう。
心の中で愛の気持ちをどれだけたくさん持っていても、持っているだけじゃ伝わらないのです。 いや、こころの中で持っている愛って、実は愛じゃなくて自分の思いだけの妄想の産物かもしれない。
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なんにしても、愛ほど承認要求を求めるものはないんです。おざなりにしてはいけないのです。
特に男は呆けっとして、女から求める承認要求を満たせていないと、意見の相違って結果が待っている可能性が高いですよ。
お互い求める期間が過ぎれば…
男「一緒に居るから分かっているはず」
女「一緒に居るのに独りぼっち」
そんな、齟齬が生まれているのが実情。
米津玄師の「LOSER」という歌に「愛されたいならそう言おうぜ 思ってるだけじゃ伝わらないね」って歌詞があります。
これはこの通りです。
記事をタイピングしていて人にはどうやら強い承認要求があると気付きましたが、その承認要求が満たさなくては心は愛で満たされないのです。
かと言って愛されたいと思っていてやみくもに愛して感を放っても誰も愛してなんかくれやしません。それはただのピエロにすぎません。いくら高尚に見せても道化芝居です。吊り書きを並べまくっても、自分が愛さないのに誰が愛してくれると言うのでしょうか。ネタですかね。
待っていても白馬の王子様も、何かの手助けをした娘がどこかのお姫様であったなんてことも、普通それは作り話の中でのことです。
愛して欲しければまず自ずからその一歩を踏み出すべきです。
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そんなことを考えるともなしにボケっとしつつ購読ブログの更新を閲覧していましたら『未来の自分が過去の自分を見て過去の自分を投げ飛ばしたくなる。』記事に触れ、我が敬愛するDr.トマレのブログをここで強引に入れる。
この感覚なんとなく理解できる。
鏡に映る「誰このひと?」的な自分に…
でも41の時のもへじにこんなことは全く想像もつかなかったね。米津玄師があの若さで「愛されたいならそう言おうぜ 思ってるだけじゃ伝わらないね」て詩を書けるのも凄いと思う。
自分はいつも何かを持てめているのに、その求めているなにかに向かって手を伸ばすこともせずに何かを求めても、その何かなんて誰も与えてくれるわけがないのだ。求めるんじゃなくて与えることからが大事なのだ。
話はどんどん脱線するけどバス電車の中で席に腰を下ろし席を奪う。それはそれでいいけど、必要あらば席を立って席を譲ることも愛を与えることだ。マウンティングばかりして自分のところはこうだから、そっちはこれほどのこともできなかったのかと斜に見る考えで理論武装していてもそこに微塵もの愛は見えない。
愛が見えないと言えば丘みどりの「霧の川」
どんなに心に願っても「夢に縋って 叫んでも 愛は見えない…霧の川」なのです。愛は与えてこその愛なのです。たとえ報われなくても愛を与えることで本当の愛ならば心の中に充足感も生まれるのではと思います。
「Chase the Chance」の中で「夢なんて見るモンじゃない 語るモンじゃない 叶えるものだから」って歌われている通りだ。
夢は見ていても実際に手を伸ばさなきゃ夢は掴めない。
手を伸ばして夢を掴めないなんてことはそれこそ山ほどあるだろうけど、夢に手を伸ばした自分を恥じることはない。褒めるまでもないがよくやったと認めることが自分を再発見することにもなるはず。
自分なんて自分でも分からないのが人間て動物だ。
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とまあ、なんだかわけの分からないことを書いてきたけど、書いている本人がなにがなんだか分からないのだからこりゃしょうがないです。
ただキーボードを打つことがもへじにとっては楽しいことなので、おバカな頭の中で、あちらこちらで発酵したガスがふつふつと泡を立てて吐き出されることをタイピングしているだけなのです。
昨晩ちょっとした飲み会で少々食べ過ぎたので、この時間になっても食欲も起きないし散歩に行くにまだ早い。そんなわけでブログ閲覧をなんとなくしていたら北野トマレさんのブログでちょっとした日常の中のジレンマがつづられていたので、そうだ、京都へ行こうじゃなくて、そうだもへじの髪の色がなぜ茶髪なのかをブログろうと思っただけなんだ。
ああわかってるって
深く転がる
俺は負け犬
ただどこでもいいから遠くに行きたいんだ
それだけなんだ
米津玄師の「LOSER」の歌詞一部分
子供のころはストレートヘアーだったけど経年劣化で遺伝子的特徴が発露したのか、髪は細くなりウェーブも出るようなった。
髪に出たウェーブは最初前髪だけだった。
強からない緩いウェーブで、あれ、妙に良い癖が出ているってな感じでした。
歳とともに毛量は減りました。
歳とともに白髪も出てきました。
グレイヘアーになったらいいなあって思っていました。
白髪は白髪で真っ白いのが側頭部あたりの髪の毛に少し混じります。全体にも真っ白い白髪がぱらぱら混じります。
だけどほとんどの髪の毛は真っ黒です。
染めるわけでもないのに真っ黒なんです。
だからいくつかの白髪がより白髪として強調されちゃいます。
いい加減真っ黒い頭が嫌なになったので、そうだ、初代林家三平師匠の次女の泰葉が元亭主を金髪豚野郎と罵っていたのを思い出し、その金髪豚野郎になってみようって思った次第。
思ったら早い!
恐る恐る脱色をした。
あれ、似合っているぞ!
それから1.5か月ぐらい間隔ぐらいで髪を脱色をしている。
脱色して一ヶ月ほど経つと黒い毛が伸びてきて、脱色した髪とのグラデーションもいいなあって思う。
あっ、これ自己評価だから。
でも初めて脱色して外に出るときは気恥ずかしかった。散歩に出る時も照れ恥ずかしいので帽子を被って行っていた。
普段から割と帽子は被る方なので、急に帽子を被りだしたというわけでもないけど脱色してから1か月程度は必ず帽子は被って出ていた。
最初のころは弱めに脱色していたからそんなに違和感もなかったんだろう。誰にもそれほど驚かれなかった。今では醤油顔に髪の毛だけはクヒオ大佐*3並みですw
若い者が茶髪になっているのを昔はなんてことだとか思っていたけど、そのうち目がならされて真っ黒い頭よりもカラーの頭の方が、頭が軽く見えていいなって思うようなった。頭の中身が軽く見えてじゃないよ、見え方による物理的な重さの違いみたいな印象のことだ。
いつの間にかそんな風に感じるようになっていたこともあって、ここは自分への最後の大冒険で金髪豚野郎になってしまったというわけです。
丸二年間入院していた姉が逝去したことで自分の至らなさを恥じ、以来十数年ずっと三分刈り程度の丸刈りにしていたので、この自縄自縛をぼつぼつ解放しようって気もあったかもしれない。
それと冬は寒いので少し髪を伸ばし気味にしていたので、暖かくなれば丸刈りにするからと悪戯半分ってのもあった。
そんな関係もあって自分を解放したかったのか、黒い髪と丸刈り坊主頭はもう飽きた結果がもへじの金髪豚野郎だ。
金髪豚野郎は本当に金髪な仕上がりですが、もへじのは脱色しただけだから金髪というよりなんていうのかな色表現が下手だから言いようがないから、手っ取り早く皆さんもまあブリーチで脱色してみればどんな色になるか分かる。
分かったことは、脱色しても白髪はすでに色素がないから脱色効果はなく白いまんまだということです。でも、髪の毛を脱色してあるので白髪は目立たなくなりますが、白髪は白髪であるとの主張を止めません。
昔の深夜テレビ番組11PMに出演なさっていた藤本義一*4さんのようなロマンスグレーになりたいと思っていたけど、いつまで経っても髪の毛が真っ黒いままの中に白髪が目立ってきたのが好きじゃなかった。
そんなわけで金髪豚野郎は、今では金髪頭にもなれて帽子は被らないで散歩に出る。
ロマンスグレーや真っ白の白髪は自分にはないので憧れるから、街で見かけると憧れてついチラ見してしまう。金髪のクヒオというより金髪の豚野郎的なもへじが白髪の方を見つめるなんてのは、なにか因縁を付けようとしていると思われているといけないのでチラ見程度です。
ロマンスグレーや白髪の替りが、もへじの場合は脱色金髪ってことです。
って、この記事は一体どこに落としどころを持って行っていいのか分からなくなってしまった。このままいけばさらに数千字意味もなくタイピングしてしまうだろうから、中途半端だけど今日はこれで終わりにしておく。
であるが、もへじが取り敢えず金髪なことは分かってもらえたので良しとしよう。
って、誰もそんなことに興味がないってのが雑記ブログの強みなのであって、好きなことを好きなようにタイピングしているだけでいいのがありがたいことだ。ブログも有料のプロ版じゃなくて無料版だから何も負担はないしお気楽なものだ。
お気楽なブログでもたまに更新するのがめんどくさい時もある。
なんだか最近毎日ブログ更新みたいなことをやっているので、自由気ままなのが、あれ、ちょっとブログに縛れている気もするので少しブログから離れるようにしなくてはいけないかなとも思う。
いや、ほんとに何が何だか分からなくなってしまったので、もうタイピングを止める。気が向いたら後で書き加えましょうw
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追補:1
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