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美空ひばりの唄う「私は街の子」雑考


「私は街の子」雑考

2019年2月13日 

 

 

私は街の子」は、昭和26年美空ひばり13歳の時にリリースした曲だということです。

 

www.youtube.com

 

13歳でこの歌唱力、晩年の美空ひばりと何ら遜色がありません。晩年の美空ひばりの歌だと言っても信じられるのではないかと思うほどです。

 

私は街の子 唄・美空ひばり

コロムビア A1077 M211952
作詞・藤浦 洸 作曲・上原げんと
発売日 1951年2月15日(昭和26年)

 

私は街の子 巷(ちまた)の子
窓に灯りが ともる頃
いつもの道を 歩きます
赤い小粒の 芥子(けし)の花
あの街角で ひらきます


私は街の子 巷の子
なんで灯りが 恋しやら
いつもの歌を 歌います
柳落葉が ひらひらと
赤いリボンに つもります


私は街の子 巷の子
ついた灯りが また消えりゃ
いつもの人に 出逢います
今は恋しい 母様に
うしろ姿も そっくりな

※引用の範囲を超えて歌詞全掲載ですが、これらの意味を自分なりに解釈してみたいためです。ご理解ください。

 

 

私がこの歌を知ったのはある特養の女性の入居者の方が、美空ひばりの「私は街の子」という歌が好きだと言ったのです。それでネットで探して「私は街の子」の歌をその方に聴かせてあげたことがあります。

 

そのころから私もカラオケなるものに興味を持ちだして、YouTubeを利用してカラオケの練習をしたりするようになりました。

 

自分なりにカラオケの勉強をするようになってよく分かったのは、とてもではありませんが懐メロ流行歌はおろか童謡唱歌もろくに歌えない、すんごく特別な音痴だったことに自分で驚いてしまいました。

 

自分が特別な音痴だとわかっても、元が能天気そのもので生きていますので、平気でカラオケスナックで歌を唄いまくって、裏ではひどい音痴と言われていたと思いますがそれでも気にせずに今でもカラオケをやっています ('◇')ゞ

 

そんな中で、「私は街の子」は美空ひばりが13歳の時の歌だったのでそれはそれで驚きではありますが、もともと天才歌手と噂されていたのですから当然だろうけどこの歌とても歌い回しが難しくて、自分には歌えない歌の一つだったので記憶の隅に残っている歌なのです。

 

そしてこの歌は戦後7年が経っていた時期に、終戦直後を唄った歌として発売されたとは思いますが、1番の歌詞の内容は子供に唄わせる歌にしてはちょっと内容が酷いんじゃないかと思っています。

 

1メロ

  1. 私は街の子 巷(ちまた)の子
  2. 窓に灯りが ともる頃
  3. いつもの道を 歩きます
  4. 赤い小粒の 芥子(けし)の花
  5. あの街角で ひらきます

 

1行目「わたしは街の子 巷の子」は戦後孤児で、当時はどこにでもいる子供を意味していると思われます。

 

2行目「窓に灯りが ともる頃」はそれはそのままの解釈でかまわないと思います。ただ、行動時間が夕方からだということです。つまり夜稼ぎです。

 

3行目「いつもの道を 歩きます」は2行目にかかるシーンを表していて、これが日常だということです。

 

4行目「赤い小粒の 芥子の花」はなんと解釈したらいいのでしょうか。

 

実はこの部分の解釈でこの歌のムードはガラッと変わってしまいます。そしてこの4行目は次の5行目によってなんとなく、いや、はっきりと意味が分かると思います。

 

5行目「あの街角で ひらきます」は、赤い小粒のけしの花をあの街角で開くということです。

 

あえて言えば、植物の花は人の好き好きに開いたり閉じたり任意にはできません。とすればこれは何を意味しているでしょうか。

 

花は植物では生殖器です。

 

その花を開くのですから、花を見せていくらかのお金をもらうことを意味しているのではないでしょうか。

 

しかし小さな花小さなとは子供のことだろうと思いますから、見せるだけで、売春のようなことはしていないと思われます。

 

そんな商売というのか、戦後孤児浮浪者の生きるためのしのぎがあったような話は、いずれかの本などで読んだかのような記憶が残っています。

 

2メロ

  1. わたしは街の子 巷の子
  2. なんで灯が 恋しやら
  3. いつもの歌を 歌います
  4. 柳落葉が ひらひらと
  5. 赤いリボンに つもります

 

1行目「わたしは街の子 巷の子」は1メロと同じで、ここは繰り返しによる詩的かつ音楽的効果を醸しています。

 

2行目「なんで灯が 恋しやら」は、1メロの行いが既に習い性になっている性を唄っているところになろうと思います。

 

3行目「いつもの歌を 歌います」は、1メロの「あの街角で ひらきます」にかかっていて、その説明になるんだろうと思います。

 

つまり、いつもの街角いつもの歌を唄って人集めをするってことのようです。

 

あの子の歌声でわざわざ顔を見に行って歌を聞いたお礼とばかりに僅かばかりのお金を置いてくる人もいるだろうし、見せてもらって金を置いてくるなどその時その時でいろいろだったことでしょう。

 

大まかには世の男どもも、それでその子が少しは助かるならってことで、少ない義侠心とその見返りみたいなつもりだったでしょう。

 

只ででお金をやるってことは恵んでやるってことだから、多少の代価が相手にそうじゃないんだと思わせるというってことの意味合いも、あったかなかったかそれは分かりませんが。

 

4行目「柳落葉が ひらひらと」は比喩がとても難しいですが、多分おを意味していると思います。このころですから小額紙幣5~10銭札の意味ではないかなと想像します。特に5銭札はサイズも小さくてよく使われていたから、使われ過ぎでクシャクシャになっていて色もそういえば枯れ葉みたいな色合いです。

 

あるいは古い文献になら、柳落葉がひらひらとや赤いリボンで何か意味付けしていたことがあったりして、その場合はこの歌詞でその意味合いを引用している可能性も否定できません。

 

5行目「赤いリボンに つもります」の赤いリボンが何を意味するのか分かりません。つもる積るで客が5~10銭紙幣をほいよと投げ置いて、札が数枚重なっていくことを意味しているのだと思います。それが4行目のひらひらとにつながるのだと思います。

 

リボンはひょっとしたら髪を止めているリボンで、そのリボンを外して輪のようにしてその中にお金を入れてもらう目安の場所としたのかもです。こんなことをしていても、直接、手渡しでお金を貰うけにはいかないという矜持があるのかもでしょうか。

 

3メロ

  1. わたしは街の子 巷の子
  2. ついた灯りが また消えりゃ
  3. いつもの人に 出逢います
  4. 今は恋しい 母様に
  5. うしろ姿も そっくりな

 

1行目「わたしは街の子 巷の子」は1メロ、2メロ、この3メロともに同じで、ここは繰り返し的効果を醸します。

 

2行目「ついた灯りが また消えりゃ」は、文字通り夜も進んで寝る時間帯になって、帰る時間になったということでしょう。

 

3行目「いつもの人 出逢います」は同じようなこと大人としてやっている人なんじゃないかと思います。

 

4行目「今は恋しい 母様に」は今は恋しいで、既に母はこの世にいないことがわかり、戦後数年の時期に少女が生きる厳しい世界感が理解できるようになっていると思います。

 

5行目「うしろ姿も そっくりな」は、顔も何となく似た雰囲気なのだろうと思いますけど、すでに亡き母の顔に対するイメージは薄れ、うしろ姿の方が印象的に母を偲ばせるのではないかと思います。むかしのお母さんって家庭内でも遅くまで働いていたから、どうしてもうしろ姿のほうが印象が大きいのです。

 

そしてこのうしろ姿がこの詞全体のイメージを象徴しています。この詩の中には強く生きるというメッセージ性は見受けられず、暗い時代の暗い生き方の一つでこんな時代もあったという哀愁歌でしょうか。

 

つまり街の子こと私は、戦後の時代にお金を得る方法として、夕方になれば人が集まる場所の片隅の街角で、自身の花を見せてお金をもらって生きているという現状を唄った歌ということになります。

 

とすればわずか13歳の美空ひばりに、よくこんな歌を唄わせたものだと思いますが、それを大人の歌い方で歌い切れている美空ひばりという人が、ただ凄いなあと感心してしまいます。いや美空ひばりが唄うからこそ、この歌が世に出れたのだろうとも思います。

 

蕭々とした歌ですが、ただ一つ開き直りがあるとすれば、その花は芥子の花だということです。

 

むかしは芥子といえば麻薬(アヘン)の花のことで、田舎ではどこでもあったような気がします。芥子は花がきれいで、一度植えておけば種が落ちて翌年からは勝手に殖えます。

 

ただきれいだから芥子が植えてあるだけです。それでも未熟果を傷つけると白い乳液が出て麻薬の材料になることは子供でも知っていました。ですが、だれもそんなもので悪さをするなんてことはありません。その時代としてはカラフルな花で人気があったのは間違いないです。

 

むかしの芥子は今でいうなら、一度植えたら勝手に生えてくるコスモス的な位置の花ものでした。自分が住んでいたところではコスモスはほとんど見なかった。菊が多くて次いでがダリヤとか芥子とかだね。

 

その小粒の芥子の花とは、弱くとも未熟果からアヘンという毒は持っているからねという開き直りでしょうか。

 

以前から「私は街の子」の意味解釈をしてみたいと思っていました。まだ中途半端ですし、歌詞の意味解釈にはいろいろな考えかたもあると思います。まあ、こんな解釈の仕方もあるんだなあ程度にどうぞ。

 

 

◇◇◇◇◇ 

 


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