また夢かうつつの話・・・
目覚めの時間帯
うつらうつらしていた
その時、ふっと何かの拍子で「音切」という名字が浮かんだ
名は「四郎」
うん?
Hatena Blog のハンドルでもへのへのもへじから「音切四郎」とでもしろと、潜在意識下で具現化させたて浮かんだ名前なのか?
それにしても音切なんてけったいな名字が一体どこから出てきたんだろうか?
ベッドの中でタブレットに手を伸ばし「音切」で検索する。
タブ検索だと一番でヒットしたのがこれだ!
こんな苗字の奴いるんだ!
まあコミックだから変わっている名前は多いだろうと思うけど、意外とそれらの変わった名前って現実にある苗字だったりするから、音切って苗字もあるのかなと思った。
うつらうつらで頭に浮かんだ音切は、「おときり」じゃなくて「おとぎり」って発音だ。
「おとぎり」と「き」に濁点が付く段階で九州系の苗字でないことになるだろうか。
それというのはコミック「釣りバカ日誌」の主人公が「浜崎伝助」で、「はまざき」でなく「はまざき」と呼ばれて「はまさき」と自身が何度か訂正しているシーンがあって、あっ、そうなんだと思ってずっと印象に残っている。
浜崎伝助は宮崎県出身という設定で、宮崎では山崎は「やまざき」と濁らないそうなのだ。
ちなみに釣りバカ日誌の漫画原作者の「山崎十三」も同じく宮崎出身であることから、自分が世間で「やまざき」「やまざき」と呼ばれてそうじゃないんだけどなあの思いから、漫画の主人公である浜崎伝助が自分の呼び名を訂正するシーンができたのだろう。
苗字の濁音は宮崎では濁らないのは山崎、浜崎だけど、ほかにもあるのだろうか。
しかし、山崎、浜崎が濁らないのは良いとして、なんで出身県の宮崎県は「みやざき」と濁るのかなって疑問がふと浮かぶけど、大人の都合もあるし濁点論議はここで終わる。
※本当は調べるのがめんどくさくなったのと、調べても結果が得られそうかどうかと思った・・・
タブ検索でヒットした「音切躁子の幸福論」が気になった。
「音切躁子の幸福論」は週刊ヤングジャンプの漫画らしい。
アプリをインストールするとコミックが読めるとのことで、さっそくダウンロードして読んでみた。
これが第1話なのかな?
その内容は、ありがちなヒーローとヒロインの貧富格差が絡みながらのラブコミ的な面がうかがえる。
ただし、これは第1話31ページ分だけからの推測です。
そんな中にもヒロインの両親の失踪ニュースと、躁子が持ってきた怪しげな大型クーラーボックス二個が、これからの話の展開に期待させるといった感じだ。
そして音切躁子の読み方も「おとぎり」だった。
へえ、やっぱり音切なんて名前もあるんだなあと思った。とすれば実在の人物もいるのかなと思って、ネットで人名検索をしてみた。
PCで調べると、ネットにあったのは音切奏なる天国への難題という楽曲。
ツイッターでギタリストの音切奏という方がいるようなので、この楽曲がその方のものなのかもしれない。
天国への難題はボーカロイドが唄っているのか、ボーカロイドのような唄い方をしているのかよく分からないけど、音程をしっかり合わせているんだろうなあという感じなのは伝わってくる。
音切奏 @wpaint0415 さん。
音の感じからYouTube の動画も多分同じ音切奏さんが弾いている楽曲だと思います。音楽関係からなら、音切りから音切のハンドルになりそうなのは分かる気がする。
ハンドルなどではなくて本当に音切なる苗字があるのか、今度は人名検索サイトで調べてみた。
登録なし。
登録なし。
登録なし。
と、ざっと調べてみたけど、音切はどうやら実在する苗字じゃないみたいだ。
んでも、なんで実在もしないこんな「音切」なんて苗字が、うつらうつらで浮かんできたのだろうか。
しかも「四郎」と名前までも
確かに私は四人兄弟姉妹で末っ子だから、四番目の子で単純に昔風に名をつければ「四郎」となった可能性はある。更に大昔であれば貧乏小作人としてもういらない子供が生まれたとして「捨吉(すてきち)」なんて名前になっていた可能性だってある。
何とか近代に生まれたので間引きこそされないで生きられているのはありがたい限りです。
んで、こんなブログで遊んだりもできています (^^♪
音切という名字は多分というか、ネットで調べた限りだけど、もはや確実に実在しない確率が高そうなのに、なんでおいらの頭の中にうつらうつらであったとしても「音切」って苗字が浮かんで出てきたのだろうか。
それが不思議だ・・・
どこかで見たり聞いたりしたことを脳は全部覚えているそうだけど、音切(おとぎり)では、おいらがどこかで接した可能性は全く低いと思う。
脳というのは高度にデータ集積をしているらしくて、何気にパッと見た景色なども全て映像的にデーターとして保存していると思われるのだ。
だけど一般にはその蓄積されている膨大な量のデーターを取り出す術が、生育過程で失われて無いのではないかと思われる。
ja.wikipedia.org 念のためWikiでも調べてみました。
中にはこの映像記憶といったものを成人になっても利用できる方もいて、特殊な仕事ではその能力が最大限に発揮でき、結果的に世の中に天才として名を残した人などがそれにあたるのだろうと思う。
例として思えば、世に現存する不思議な建造物の類はそういった計算能力と映像能力等が総合的に加わって出来たことだろう。絵画なども映像記憶による作品が後世に残るものとなっているものも当然多いことだろう。
またなにか脳に欠陥があって映像記憶的再現能力が温存されていて、その結果が驚異的な記憶力を発揮する人間として話題になったりもする。
しかしこれは蓄積されたデーターを引き出す術を有している人と有していない人の違いだけで、後者の方が圧倒的というかほぼ総人口に比すると思われるけど、脳はだれしもそれだけの機能は持っているのだ。
ただ多くは、そのデーターがブラックボックス化しているので、そのデーターにアクセスできない状態となっている。
ブラックボックス化してアクセスできないデーターが、脳が何らかの状態で混迷しているときなどに、ふっとデータの一部にアクセスできている可能性は否定できない。
その場合がひらめきとか、インスピレーションとかというものではないだろうか。
そんなひらめきやインスピレーションがいつでも起きてくれれば、この世に何かをなすこともできるだろうけど、世の中というより人の脳はそれほど都合よく働いてはくれない。
で、結論的に思うのは、おいらがどこかで音切なるワードに接していて、それが脳がうつらうつらしているときにブラックボックスから零れ落ちたのを拾い上げたのではないかということだ。
四郎という名はもともとはおいらは四番目の子供だから四郎であってもおかしくないと思っていたので、潜在意識の中で自然と音切という苗字が脳に浮かんだから、音切に自分が四郎であったかもという四郎をくっつけて音切四郎という一つの氏名にしたんではないかと思う。
音切四郎
「おとぎりしろう」、なかなかにいい名前じゃないか(´▽`)