チコちゃんに叱られないブログ

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品切れと在庫切れは同じなのか


品切れと在庫切れは同じなのか?

決して物品販売のことではない。

 

ブログネタのお話だ。

 

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自分の今の状態がなんとなく品切れ状態なのである。品切れなのか在庫も切れたのか自分でもよく分からない。

 

ところで品切れと在庫切れの違いって、なにか分かっている。

 

どっちも品物が無いってことで同じなんじゃないのって思っている人、それはその通りで同じようなもんだって私も思うのだ。なんにしてもブログするネタが無いってことは同じだ。

 

ネタがなくても書きたい。

 

そう、私は書きたいのだ。

 

もう体が疼く歳ではないのだが、指先がタイプしてくれと疼くのだ。 

 

「体が疼く歳」とタイピングすると、MS-IME*1候補が『体が疼くと死』なんて面白いことをやってくれるので、そんなことに遭遇できるのも指先がタイピングしてくれるおかげなのだ。

 

書くことがなくても指先が動いてくれているだけで、私に対して様々なアクションで表現をしてくれている。

 

しかし体が疼くなど男に対して使う言葉じゃない。

 

これは女に対して似合う言葉ではないかと思う。

 

氷雨

飲ませて下さい もう少し
今夜は帰らない 帰りたくない
誰が待つと言うの あの部屋で
そうよ誰もいないわ 今では
唄わないで下さい その歌は

 

別れたあの人を 想い出すから
飲めばやけに 涙もろくなる
こんなあたし許して下さい

外は冬の雨まだやまぬ
この胸を濡らすように
傘がないわけじゃないけれど
帰りたくない
もっと酔う程に飲んで
あの人を忘れたいから

 

私を捨てた あの人を
今更悔んでも 仕方ないけど
未練ごころ消せぬ こんな夜
女ひとり飲む酒 侘しい
酔ってなんかいないわ 泣いてない
タバコの煙り 目にしみただけなの
私酔えば 家に帰ります
あなたそんな 心配しないで

外は冬の雨まだやまぬ
この胸を濡らすように
傘がないわけじゃないけれど
帰りたくない
もっと酔う程に飲んで
あの人を忘れたいから
忘れたいから

 

JASRAC管理楽曲
作品コード072-5383-4 作詞・作曲:とまりれん

 

こんな想いでのひとり寝の時にこそ誰想うともなしに女の体が疼く。などという表現が似つかわしく思える。

 

まあ、思えるだけで実際に疼くなどという性衝動は男にはない。

 

男はしたいだけの性衝動だから、女なら体が疼くなんて性衝動あるのかなってのは男側の想像的事象だろう。

 

だが、最近の女の性衝動も、男並みにしたいだけになり変わりつつあるのは確かな気がする。

 

しかしこの詩はまあなんて未練たらしくて、しかもその歌を唄うなとかって人の気持ちを無視して、お前、そんな不遜じゃあ捨てられても自業自得ってやつじゃないのかい。

 

ま、そんなやつでも、もし体が疼くような方がいらしたら、ぜひとも私を呼んでもらいたいものである。

 

あっ、ちょっとばかし年齢制限を設けさせてもらうけど…って、その前に俺の方が年齢制限で足切り喰らってしまうだろう。

 

なんてことを平気でブログに書けるようになったのも、「体が疼く歳」とタイピングで『体が疼くと死』と変換候補が出るように、どちらかというとあのようっていきなり言葉が砕けるけどそうじゃなくて、『あの世』側に軸が移行しかけた年代ってわけなんだろう。

 

あの世側に軸足が移行しかけた年代だけど、叶う叶わないじゃなくても若い年代になりたいとは間違っても思わない。

 

今の自分は今までの年数を経て得たものなんだから、それを捨てて若くなってもう一度やり直すなんてまっぴらごめんこうむる。

 

ただしこの世の中が、この世界が、果てはこの宇宙がどうなるのかは見てみたい。

 

それには神の時間が必要だろうし、そうなったところで神の時間の日常はすこぶるありきたりな日々ばかりで平凡過ぎて気が狂ってしまうほど退屈ではないかと思う。

 

だからめんどくさいや、飽きたからここで一旦この宇宙終わり。

 

なんて、再度ビッグバンをやったりして神は遊んでいるのかもしれない。

 

そんな神の気まぐれで人類は生まれたのかもしれん。

 

そうだな神の時間は、人1億年が神の1日ぐらいのものかもしれない。

 

当然に、この神は人類が想像した崇拝する神という存在ではなく、別次元のものと定義するしかない。

 

キーボードに向かって指を置けば指先がこんな話を紡いでくれる。

 

こんな話は頭の中で考えていたら絶対に出来っこない。指先が勝手に紡いでくれるからできることなのだ。

 

だから私の文章には起承転結なんてパターンはない。

 

はなから起承転結なんて思考形態が養われていない。起承転結も、あれ起点焼結だったかななんてことになる。

 

起承転結じゃなくて起点焼結だ。

 

そうだな、これからは起点焼結な文章を堂々と綴ることにしよう。起承転結なんてセオリー通りの文章であれば、誰それさんの文体に似ているとか、だれかのパクりだなんてことに近いものになってしまうだろう。*2

 

だからここに明言しよう。

 

文章は「起点焼結」こそが尊い

 

「起点焼結」以外で構成されたあの世じゃなくてこの世にある文章は、押し並べて過去の遺物の寄せ集めを少し並び替えて目新しくしたりして作り上げた模倣文章であり、オリジナリティに作り上げたと勘違いしている勘違い寝違い文章に過ぎない。

 

だから、そこの君は、今日も首筋が痛いんだよ。

 

寝違い文章なんか書くからだ。って、起点焼結がどんな構成文章になっているのかなんて知らん。ただの指先任せのでたらめで起点焼結なんてもっともらしく行ってみただけ。最初からこの記事には、雰囲気以外に意味なんて何もありはしない。今回は文体だけに意味があるのだ。*3

 

さて品切れと在庫切れの違いは何だろうかを考察する記事を作っているつもりだけど、それは単なる『起点』で使ったに過ぎない。

 

起点さえあればネタ在庫がなくて、補充も出来なくなっている売り切れ状態でも、この指先がどうとでもしてくれるのだ。

 

頭で考えて文章を作ろうなんてしていない。

 

ただ指先がタイピングするだけの文章だ。

 

だから指先に任せておけばブログ記事の一つや二つや三つや四つは、まあちょっとは大変かもしれないけどどうにでもなる。

 

これを、ネタを拾ってああしてこうしてそうしてそうやってこうなってで作ったって、そんな文章は自分には面白くない。

 

だけどあの世ぉじゃなくてこの世ぉではそうやって出来た文章の方が評価されていて、自分の指先が綴る文章は誰も読んじゃくれないし、評価されるなんてこともまずない。

 

たまに評価されたら、この人はなにかとんでもない物を中に持っている人なんじゃないかなんて過大に思われたりして、それこそ勘違いと寝違いの妄想に陥っている人じゃないか。

 

そんな人は早めにいちど病院に行かれるか、啓蒙書籍を遺棄するか燃やすことをすすめる。

 

考えてみたら啓蒙書を遺棄するのも燃やすのももったいないのでAmazonで1円販売しAmazonの規定送料から金が少しでも浮くように安い方法での発送を努力するべきだろう。近くならチャリ漕いで自分で届けてもよいだろう。

 

啓蒙書を読み漁ったその啓蒙書をAmazonで1円販売でもした方が、読み返す必要もない啓蒙書籍群から何かを生まれさせるよりも早く金になる。

 

 

どうだろう、この記事がなにかの本のレビューになっているだろうか? 

 

広いネットの世界の中でどこかの誰か、ただひとりに向けた狭小なブログが出来たってわけだけど、それがネットブログのもう一つの事実であったって何らかまわない。おれに、万人受けする文章なんて似合わないし、それ以前に書けもしない。

 

だからって、みんな、いいかっこするんじゃねえよ!

 

 

    


追記:


 

*1:Windowsパソコンに実装されている文字入力ソフト

*2:「」内の文章は意味が逆になっていたので修正しました。

*3:「」内の文章は追加したものです。