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脳の不思議

脳の不思議というタイトルだけど、科学的なものじゃないし雑学的でもなく単なる井戸端思考です。

 

なんで「脳の不思議」なんてことを考えたかというと、本日かかりつけ病院に薬の処方をしてもらいに行ったときに遭遇した出来事からです。

 

それは空の彼方から回転しながら七色の光を放つ円盤状の飛行物体と遭遇した・・・ことから、って、待てよ、未知との遭遇かいなってな感じなんかじゃあなくてえ、いつものように病院で受付を済ませて待合で呼ばれるまでスマホ数独で時間つぶしをしていた時のことです。

 

ちなみにおいらは自慢じゃないけど、高血圧高脂肪高知能三高なので、血圧を下げるため服薬している。で、その薬を処方してもらうための通院です。

 

下賎では、この三高を「高学歴」「高収入」「高身長」等と勘違いしているようだけど、その対極にあるおいらとしては、これは間違った用い方なんだとここで断言しておく。

 

「高学歴」「高収入」「高身長」の正しくは、「高血圧」「高脂肪」「高知能」である。

 

ん、まあ、でも、これはじじいの三高であるともいえるかなwww

 

寄る年波病である「高血圧」「高脂肪」は、習わなくとも女は泣けるじゃなくて、習わなくても年を喰えば自然と身につくのだ。

 

「高知能」もやはり年を喰えば余計な雑学が耳年増で蓄積されている。が、ほとんどは役に立たないものばかりで、しかも誤運用で覚えていたりするので、とんでもないところで恥をかいている可能性もあり、例えばソフトをインストロールするなんてのを平気で言っちゃったりする多少迷惑機能でもある。

 

んなわけで、じじいの三高は、病院通いで金だけが余分にかかるってわけだ。金持ちじゃなきゃ三高にはなれんのだぞう。って、これ自慢でいいんだろうなあ、当然。

 

どうだ、負けたろう、って、話をしたいんじゃないんだが、その病院での出来事。

 

じじいばばあが多い病院だからって漫才みたいに、だれそれさん最近顔を見ないねえ」「ああ、そりょあ、きっと病気なんだよ」「元気なら来ているはずだもの」「そうだ、そうだ」なんてロビーで会話しているはないよ。

 

病院の待たせるのだけは、このじじいここで逝っちゃえばおいらの番が早く来るのになんて思うわけはないけどそれほどに、一様に、皆が待たされ過ぎて殺気立っている雰囲気でいっぱいだもの。病院では1時間2時間待つのはざらです。

 

うんな温かい思念を感じつつスマホアプリの数独で時間をつぶしているおいらの座った席の後ろの右斜めの席から、お経のようにぶつぶつと喋っている声が聞こえてきます。その喋りが止まらないので、ちらっと後ろを見たらかなり年配の方でした。

 

年配の男性の方は首を右側にうなだれたまま、白杖を手に、何かを語るようにずっと喋っています。隣に付き添いの方がが座っていました。その方は連れが喋っていても気にせず。というか、我関知せずといった感じで、もう慣れてしまっていて、その喋にはスルーするのが習い性となった対応のようです。

 

おいらはその方が喋っていることが気になって気になって仕方がないのですが、他人に対して興味本位で見続けるわけにはいきません。それで聞き耳を立てて喋っている内容を聞こうとするのですが、ほとんどが判別不明で何を言っているのかわかりません。

 

これは喋り方だけの問題でその人が、意味のないことをもじゃもじゃ言っているわけではないのです。それは喋っている雰囲気で、何かの出来事を説明しているんだなという程度にはわかるのです。

 

方言でもないようですが、残念ながらときどきワンフレーズ程度が意味を持って聞こえる程度で、そのほかは全く何を言っているのかわからないのです。それでもその方は私が病院にいた約2間ぐらいのべつ幕なく説明するように喋りっぱなしです。

 

私は可能ならその方に何を喋っているのか聞きたい衝動を抑えきれないほどで、もう少しで声をかけてしまうところでした。声をかけたら連れの方の迷惑になるだろうと、その思いを制止するする努力をしました。

 

というのも、連れの方があまりにも無表情で、これはいつもこうなんだから興味持たないで無視していてちょうだいねという雰囲気がありありだったからです。

 

あんなふうにずっと喋っていられるって、だからって声帯が強いってわけでもなくて、それこそ息をするように喋ることができるんだろうと思う。

 

多分ご飯を食べているときも喋りながらだろうし、ひょっとしたら寝ているときにも喋っているかもしれない。

 

喋るっていうのは高度な脳の働きだろうと思うのだ。

 

 喋るには喋る材料がいる。

 

その喋る材料を脳から取り出し、喋る材料を順序立てて時系列で整理し、それを信号として声帯に送って声帯を動かして初めて声を出すことができる。

 

喋ることがあってもそれが脳内で順序良く整理できないと喋ることはできない。喋ることができない場合の多くは奇声を発することしかできない。

 

そんなわけでずっと喋っているってのはなにか脳の障後天的によるものだろうけど、それでもすごいものだ。いったいどんな記憶を手繰り寄せてい話しを作り出しているのか知りたいものだと思い、それでその方と可能なら話をしてみたいなあと思ったのです。

 

おいらは活舌練習で「外郎売」ってのをやりました。

 

外郎売ってのはこんなのです。 

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拙者親方と申すは、お立会の内に御存知の御方も御座りましょうが、お江戸を発って二十里上方、相州小田原一色町を御過ぎなされて、青物町を上りへ御出でなさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門、只今では剃髪致して圓斎と名乗りまする。

 

元朝より大晦日まで御手に入れまする此の薬は、昔、珍の国の唐人外郎と云う人、我が朝へ来たり。帝へ参内の折から此の薬を深く込め置き、用うる時は一粒ずつ冠の隙間より取り出だす。依ってその名を帝より「透頂香(とうちんこう)」と賜る。即ち文字には頂き・透く・香と書いて透頂香と申す。

 

只今では此の薬、殊の外、世上に広まり、方々に偽看板を出だし、イヤ小田原の、灰俵の、さん俵の、炭俵のと色々に申せども、平仮名を以って「ういろう」と記せしは親方圓斎ばかり。

 

もしや御立会の内に、熱海か塔ノ沢へ湯治に御出でなさるるか、又は伊勢御参宮の折からは、必ず門違いなされまするな。御上りなれば右の方、御下りなれば左側、八方が八つ棟、面が三つ棟、玉堂造、破風には菊に桐のとう(薹=とう、は、実際は「当の」意味ではないかと思う?)の御紋を御赦免あって、系図正しき薬で御座る。

※ 薹はトウがたつの意味で硬くなって時期を逃した意味あいですが、ここでは今の権力者で当代のという意味合いのトウのあて文字かなと思います。(勝手な考察です)

 

イヤ最前より家名の自慢ばかり申しても、御存知無い方には正真の胡椒の丸呑み、白河夜船。されば一粒食べ掛けて、その気味合いを御目に掛けましょう。

 

先ず此の薬を斯様に一粒舌の上に乗せまして、腹内へ納めますると、イヤどうも言えぬわ、胃・心・肺・肝が健やかに成りて、薫風喉より来たり、口中微涼を生ずるが如し。魚・鳥・茸・麺類の食い合わせ、その他万病即効在る事神の如し。

 

さて此の薬、第一の奇妙には、舌の廻る事が銭ごまが裸足で逃げる。ヒョッと舌が廻り出すと矢も盾も堪らぬじゃ。

 

そりゃそりゃそらそりゃ、廻って来たわ、廻って来るわ。アワヤ喉、サタラナ舌にカ牙サ歯音、ハマの二つは唇の軽重。開合爽やかに、アカサタナハマヤラワ、オコソトノホモヨロヲ。一つへぎへぎに、へぎ干し・はじかみ、盆豆・盆米・盆牛蒡(ぼんごぼう)、摘蓼(つみたで)・摘豆・摘山椒、書写山の社僧正。

 

小米の生噛み、小米の生噛み、こん小米のこ生噛み。繻子(しゅす)・緋繻子、繻子・繻珍。親も嘉兵衛、子も嘉兵衛、親嘉兵衛・子嘉兵衛、子嘉兵衛・親嘉兵衛。古栗の木の古切り口。雨合羽か番合羽か。貴様の脚絆も革脚絆(かわぎゃはん)、我等が脚絆も革脚絆。

 

尻革袴(しりかわばかま→しっかわばかま)のしっ綻びを、三針針長にちょと縫うて、縫うてちょとぶん出せ。河原撫(カワラナデシコ)子・野石竹、野良如来、野良如来、三野良如来六野如来

尻革袴の尻皮は携帯座布団らしいです。歩くことが仕事の仕事の人たちが腰を下ろすときに身につけているのでどこでも座れるから、尻の皮という意味らしいです。(個人的な俗っ考です)

 

一寸先の御小仏に御蹴躓(おけつまづ)きゃるな、細溝にどじょにょろり。京の生鱈、奈良生真名鰹、ちょと四五貫目。御茶立ちょ、茶立ちょ、ちゃっと立ちょ。茶立ちょ、青竹茶筅で御茶ちゃっと立ちゃ。来るわ来るわ何が来る、高野の山の御杮小僧(おこけらこぞう)、狸百匹、箸百膳、天目百杯、棒八百本。武具、馬具、武具馬具、三武具馬具、合わせて武具馬具、六武具馬具。

 

菊、栗、菊栗、三菊栗、合わせて菊栗、六菊栗。麦、塵、麦塵、三麦塵、合わせて麦塵、六麦塵。あの長押の長薙刀(ながなぎなた)は誰が長薙刀ぞ。向こうの胡麻殻は荏の胡麻殻か真胡麻殻か、あれこそ本の真胡麻殻。がらぴぃがらぴぃ風車。起きゃがれ小法師、起きゃがれ小法師、昨夜も溢してまた溢した。

 

たぁぷぽぽ、たぁぷぽぽ、ちりからちりから、つったっぽ、たっぽたっぽ一干蛸(いちひいだこ→「いっちょうだこ」に変化)。落ちたら煮て食お、煮ても焼いても食われぬ物は、五徳・鉄灸、金(かな)熊童子に、石熊・石持・虎熊・虎鱚。中でも東寺の羅生門には、茨木童子が腕栗五合掴んでおむしゃる、彼の頼光の膝元去らず。鮒・金柑・椎茸・定めて後段な、蕎麦切り・素麺、饂飩(うどん)か愚鈍な小新発知。小棚の小下の小桶に小味噌が小有るぞ、小杓子小持って小掬って小寄こせ。

※干蛸が変化して一丁蛸となった説もネットにありますが、そうすると元の一干蛸の「一」はあったのかなかったのかどうなのかという疑問が生じます。

 

おっと合点だ、心得田圃(たんぼ)の川崎・神奈川・程ヶ谷・戸塚は走って行けば、灸を擦り剥く。三里ばかりか、藤沢・平塚・大磯がしや、小磯の宿を七つ起きして、早天早々、相州小田原、透頂香。隠れ御座らぬ貴賎群衆(きせんぐんじゅ)の、花の御江戸の花ういろう。アレあの花を見て、御心を御和らぎやと言う。

 

産子・這子に至るまで、此の外郎の御評判、御存じ無いとは申されまいまいつぶり。角出せ棒出せぼうぼう眉に、臼杵擂鉢ばちばち桑原桑原桑原と、羽目を外して今日御出での何茂様(いずれもさま)に、上げねばならぬ、売らねばならぬと、息せい引っ張り、東方世界の薬の元締、薬師如来も照覧あれと、ホホ敬って外郎はいらっしゃりませぬか。 

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 Wikiからの引用ですが引用元によって多少違いがあります。個人的加筆してあります。

 

この外郎売ですが、おいら暗記しているから暗唱できるのは当然なのですが、ふとした時にこの外郎売を暗唱してしまったりします。例えば、まだ外郎売をちゃんと覚えているかなとか思った時などです。

 

暗唱しているときに不思議なのは、外郎売のことを考えていなくてもまるで舌というか喉なのかが、勝手に外郎売を暗唱しているってことなのです。

 

暗唱しながら、この外郎売は脳のどこから引き出されているんだろうかなあと不思議になっちゃうのです。

 

つまり頭の中で考えていなくても外郎売は暗唱できちゃうのです。

 

外郎売のことを考えていなのに外郎売が暗唱できるっていつもの脳の働きからすると不思議な気がします。例えばこのブログを作っているときには、ここにタイプする文章をを考えながらタイプしています。この辺の文章はすべてそうやってタイプして売っているので、頭の中でどういうふうにタイプするかとかを考えながらやっています。

 

まあ、これは脳はマルチタスクだから当然と言えば当然なんだろうけど、脳が覚えていることなのか体が覚えていることなのか、また脳と体とおいらの意思の三位一体でやっていることなのかそれが常々不思議だなあと思うのです。

 

だから病院で会った喋りっぱなしの人も、残念ながら何を喋っているのかわからなかったけど、脳の記憶の中の暗唱的なことを取り出して喋っているのだろうと思うのだから話を聞いてみたいなあと思ったんだ。

 

この場合ただ人の話を聞くのじゃなくて、勝手に一方的に喋っていることの内容に興味があって、この人は何を喋りたいのかおいらの暗唱と同じで意思とは関係なくしゃべっているのが本当に知りたかった。

 

おいらの暗唱は意思とは関係なくとは書いたけど、暗唱をしていたら考えもなしに外郎売が出てくるってだけで、外郎売を口にしようと思わなければ外郎売は口から出てこない。

 

おいらは今のところ自分がそう思わなければ外郎売が出てこないけど、なにか脳にアクシデントでもあれば、おいらものべつ幕なく外郎売みたいなことをずっと喋ってしまう可能性はありそうな気がする。