24年前のブログ的なもの
2020年8月30日
ハウスです、はい、獰猛です。
中高年の星☆爺婆の太陽 の静吉プレゼンツでございます😍
序
今回は今から24年前に静吉のホームページのサブフォルダにて、ブログみたいにして書いていた記事のひとつを読んでもらおうと思う。
なに凄く短文ですからご安心ください。
24年前の記事はそのままこちらにコピーペーストした。
その文章を見てみると今と文章がほとんど変わらないので、静吉さんは全然進歩がないみたいに思える。
進歩がなくてもまだ退化してないみたいだからこれはこれで良いとするしかない。自分の能力の限界というのか、自分の持ってるものの三つ子の魂百までが変わらず的なものなのだろう。
24年前なら当時生まれた子供が当たり前だけど今24歳…信じられん年月だけど昨日のような気もする。
それでは、今から約24年と1ヶ月前の記事です…この頃は少しは若かったんだなあなんて懐かしんでいる場合じゃないわ😅
家3題 1996/07/21
日ごろから私が「おやっ?」と思っている家の話題を3点紹介しよう。
このお家は個人天文台を設営したお家。趣味なのか仕事で必要なのか分らないけど、こういうのって良いよね。
夜天文台に上がって観察に夢中になっているうちに、何時の間にか観察よりも自分の心と対面している事に気が付く。そうしている内に夜も深まっていく。気が付けば満天の星。そして始めて星を見る事が出来る。
左の写真のお家も変わっている。
大型バスとプレハブハウスがドッキング。苦肉の策か、狙ったものなのか。何にしても始めて見た時は「おやっ?」と、思う事請け合い。
トレーラーハウスなら「そうか」で終わりだけど、これは完全に動かない家だろう。でも、ある日気が付いたら高速道路を移動してたなんて、そんな事はないよね。
こちらのお宅もちょっと変わっている。
一瞬、違和感があるのだが、その違和感がなんだかよく分らない。
そこでよく見ると、3階部分は透明な波板で出来ていて、そこに片開きのドアが付いているのだ。
何故、テラスでもない二階の屋根に外に出る為のドアがあるのか。この事が先のなんとなくの違和感に繋がっている。なので、ここをサイクリングで通る度に、いつも何をする為のドアなのだろうかと疑問に思って眺めていた。
その疑問の答えが出たのはつい昨日の事である。
台風九号の影響で、土曜日に関東地方でもかなり雨が降ったのである。
日曜日はまあまあの天気だったのでサイクリングに出かけて、このお宅を見上げると屋根に防水シート掛けてあり、御主人らしき人がその修正をしていた。
なるほどこういう時の為に、屋根に出るドアなのかと納得がいった。
以上が、いつも私が気になって見上げる3つの家の話題です。
いかがでしたか、あなたの身の回りで気になるっている事って、何かないですか?
破
この24年前の記事は今はネットにはないけれど、以前はドメインを取っていてレンタルサーバーにファイルをアップロードしていたものだから、ローカルにもそのファイルの原本が残っているのでこのように再利用も出来る。
以前にブログをしていた時には、ブログを止める時にデーターも何ももういらないやと思っていたので、ブログ記事を何一つも保存しなかったのでローカルには当時のブログ記事は残っていない。
だが自分のホームページスペースにファイルをアップロードしている場合は、ローカルにその原本が残っているのでこのようにして当時のホームページの一部を見ることもできる。
今回、静吉がはてなブログに記事を書いていたりするのは、少なからず自分の墓標的な意味合いも兼ねているのである。自分の死後もネットに自分の記事が残っているというのはちょっと愉快なのではあるまいか。
有名な小説家や人気のある俳優さんなどは作品がいつまでも残っているのでその作品をいつでも読むことができるし、映画などで往時を偲ぶこともできる。
ところは凡人などはなくなってしまえば、自分を知ってる人がいなくなればそれで自分の存在などはこの世に何もなかったことになってしまう。そんなことにならないためにインターネットというものを使って極凡人のちょっと下戯れ言インターネットに残しておけるのも良いのかなと思ってやっているのだ。
廃墟廃屋マニアというのはあるが、これとて画像などでその原型をとどめておかなければ、多くの廃墟廃屋は自然といつしか消え去ってしまう。そんな消え去るものを愛しんでネットに紹介してる方もいらっしゃる。
そんな廃墟廃屋に魅せられた方のブログの一つがこちらです。
静吉は廃墟廃屋マニアというほどではないけれど、散歩なので誰も住んでいないような家などを見かけるとついデジカメしてしまうのだ。
こんな癖は24年前からそうなのであったようだ。
1996年7月って、 Windows 95が発売されたのが1995年の年末だからね。 Windows 95からパソコンを使い出した私にとっては、パソコンに触れるようになってから半年ぐらいしか経ってないんだ。
この時には静吉はもう、オリジナルドメインを二つ取得してホームページを作っていたんだよ。
デジカメだって当時のデジカメはカシオ QV 10という、今から考えれば解像力のとても低い画像であったけれど、それでもインターネットに載せるのは十分ではあった。
まだインターネットも文字情報の方が多くて画像などはかなり少なかったのだ。そんな中、静吉は結構熱心にインターネットに取り組んでいたんだ。
デジタルカメラだって塩銀カメラに追い付くには絶対に無理だ的なことを言われていたのが、いつのまにか今やデジタルカメラ全盛の時代になっている。
インターネットの通信速度だって幻のような光通信技術のおかげで、インターネットを介して動画配信も見ることができる時代になっている。
この間の25年間のインターネットの変化と言ったら凄いものがある。インターネットと物心ついた頃に生まれた子供だって、今では30歳近いのだから推して知るべしである。
何も早くからインターネットやっていたからと自慢したいわけでもなんでもない。
今も昔も考えてみれば稚拙な内容の事しかできていない。
これも文章と同じく昔も今も変わりなしというところである。
それはそれで良いとするしかないだろう。
急
どうやら静吉は24年前には、既にママチャリサイクリング多摩川右岸の交通公園まで行っていたようである。
ついに未体験ゾーン。
— 静吉@居直るど・ダ・ヴィンボー (@i_shizukichi) August 19, 2020
室温39°です。
この温度で平気な俺というより、ちょっとばかり喜んでいる俺 ってすごいと思う😅
ああ、頭がクラクラする幸せ😭 pic.twitter.com/dB5Lbz0Io9
静吉の夏に対する耐性は、この時から少しずつ鍛えられて積み重なってきたものである。1年や2年の耐性ではないのだ。
そして本当にうんと久しぶりに、2020年の8月16日に多摩川右岸の交通公園までサイクリングをしてきた。その時に2階の屋根であるところに3階みたいなものができてそこにドアが付いていた家屋がまだ健在であったのだ。これには驚いた。
2階の屋根にドアがある家は、まだ健在でしたけれど、かなり荒れ果ててきています。人は住んでいるのでしょうか。 pic.twitter.com/3FChq9w5Uv
— 静吉@居直るど・ダ・ヴィンボー (@i_shizukichi) August 16, 2020
24年と1ヶ月が経って二階の屋根部分に三階と思しき小屋風なものがありそこにドアがあった。そのドアの前はいつの間にかテラス風に進化というのかなっているし、更にその左も何やら造作が加えられている。
上の大きな画像は2020年8月16日撮影した画像。
左の画像は約24年前で1967年7月ごろの画像です。
1967年ごろの画像と見比べると皿建物は更に変貌を遂げてきたようです。廃墟ガールのヒヤパさんが、この画像を見たら、泣いて喜ぶ’(?)のではないかなあなんて思っちゃったりしました😅
結
しかしまあ時というものはかくも諸行無常なものであり、よほどの権力者の威光建造物ぐらいしか存続を認めてはくれない。それも人間の目で見て数千年という単位である。
権力者の威光的建造物さえも、天文学的な数字から時が経てば何もないに等しいものになってしまうだろう。
そんな中で現代のインターネットというものは、静吉が予測するに人類が残る限りにおいては存続するシステムではないかと思うのだ。
もし現代のインターネットが未来にまで引き継がれるとされれば、 ネットにある情報はかなりの確率で遥か先の未来まで残る可能性がある。
そうであっても、はてなブログという枠内での情報であれば、はてなブログが何かあった時には、データがインターネットから削除される可能性もある。
しかしながら今からそんなことを考えていてもせんもないことである。
せんもないことを考えるよりは、なんとかインターネットに自分の生きた証を、極庶民の市井の者の軌跡を残すことができたらそれで良いとするしかないだろう。
そして数千年の後にインターネットの中の過去の遺物なものを発掘する人が現れ、昔の人はこんな感じだったのかというような廃墟ガール&ボーイ的な方にでも静吉のことが発見してもらえるとしたならば、それは望外の喜びとなろう。
とはいえ、静吉の人生はまだまだ捨てたものじゃないのだ。再婚相手の嫁さんも未だ探すつもりでいるのだから🤣
そんなことでしたけど、今回のサイクリンではバスハウスは流石にありませんでした。
この記事は 中高年の星☆爺婆の太陽 静吉がお届けしました😎
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