ソロモンの偽証
2020年9月29日
きのうきょうとそろそろもん、はい、獰猛です。
中高年の星☆爺婆の太陽 の静吉プレゼンツでございます😍
序
宮部みゆきさんの小説ソロモンの偽証は全3巻である 。
この本は三冊ともかなり分厚めな単行本であった。
3巻も読めるかなと思ったけれど、面白くて面白くて次はどうなるのかと夢中で読んでしまったと思う。
ソロモンの偽証は私が購入した時には単行本でもう3巻販売されていたのだけれど、全巻買っても途中であってしまう場合もあるので、今回は一貫ずつ買って読むことにした。
そんな最初から飽きてしまうの思いは打ち消されてしまい、読み終えると次の巻を購入するまでがもどかしかったほどだで、あっという間に3巻を読み終えてしまったと思う。
ただ私の場合は話の筋を追うのが主なので、細く登場人物がどうしたこうしたというのはあまり頭に入っていない。要するに面白いドラマがあるかどうかが、読ませるだけの筆力はあるかどうかが問題なのだ。
あっとこれは生意気なことを言ってるのではなくて、自分にとってのことなので世間で相対的評価されている作家の実力などに対してのことではない。自分が純粋に読みたい本に対しての評価である。
そんなソロモンの偽証が映画化されたと聞いて大変に期待していた。
映画化されたんだろうから一般には映画館で公開されたのだろうと思うけれど、当時、映画館迄言って映画を見に行こうという気にはならなかったみたいであった。
それでその映画が TV 放映に回ってきた時は、録画して観たんだろうと思うんだ。 映画を見たのは間違いなく記憶にあるのだけれど、今回 Amazon プライムビデオで収録されてる映画とちょっと内容が違うような気もするところがあるのだ。
確か藤野涼子は裁判をやった誰かと結婚していた家のようなシーンがあったような気がしているのだ。弁護人役の男の子だったかなとも思うんだけどちょっと記憶があやふやである。そのシーンがこの話をちょっと駄目にしたような残念感思ったような気がしていた。
購入した3巻のソロモンの偽証は既に所有していないので、新たに購読して再読してみようという気はないのではあるけれど、ちらっともう1回見てみたいなという気もしないではない。
それでは映画版のソロモンの偽証を観終えた感想なども交えながら記事を作っていきたい。 今回は韓国版の方の TV ドラマシリーズのソロモンの偽証を先に見てしまったのは、先に言ったように日本版は TV で放映されたものを見ているからです。
安っぽい映画にありがちな顔のアップの心理描写シーン多様で、ややうんざりしながら観ている。
— 静吉@居直るど・ダ・ヴィンボー (@i_shizukichi) September 24, 2020
弁護人が、被疑者の粗暴な行動が嘘の告白状を招き寄せたとこの裁判の原因を被疑者に悟らせる追い込みは良かった。
1時間30分経過しても、ちんたら映画で残りあと1時間ぐらい。#ソロモンの偽証
観始めて約50分…演技が臭い…
— 静吉@居直るど・ダ・ヴィンボー (@i_shizukichi) September 24, 2020
中学生が作ったドラマしてももうちょっとマシじゃねえの🤣
心理描写シーンが長くて腐る!
— 静吉@居直るど・ダ・ヴィンボー (@i_shizukichi) September 24, 2020
思春期に純粋な思いを描くにも安直な心理描写が長ければ良いってもんじゃないと思う。
以心伝心的な描写は日本的とも言えるけど、臭い臭い!
私が邦画の中で最も駄作と思っているのはパラサイト・イヴである。
もう観たのも随分昔の話なので何が駄作かも言えないけれど、 パラノイアサイエンティストの死んだ妻への細胞にも異常な愛情を抱いてしまうような、偏執的な感情の描写が延々と続いてこんなひどい映画をよく作るものだなあと思ったものだ。
それと同じようにこのソロモンの偽証も心理描写的なシーンが多く、しかも長めで顔のアップと音楽とで映画の印象付けをしようとしてるみたいだけど、中途半端な芸術的な要素はいらないから、少しでも原作に忠実なようなあるいはちゃんと脚本を推敲して原作と離れても面白い映画作りに力を入れてほしいものだと思う。
破
根が真面目な私は、自分でそれを言うかって話は別にしておいて、前編と後編があれば後編も観なければ何も語れないと炎タイプなので、しっかりと後編も見ました。
いやしっかりというよりも少々飽きながら、途中で Twitter でツイートしながらや他の情報を見たりしながらまなんとか後編も観終わることができました。
2020年9月24日#ソロモンの偽証 後篇・裁判 2時間26分 2015年 G
— 静吉@居直るど・ダ・ヴィンボー (@i_shizukichi) September 24, 2020
後半も回想シーンから。弁護人が被告人の粗暴な行動が告発状を招いたとの追い込みは韓国版と同様に見もの。顔のアップ多用で、心理的イメージ醸し出しすぎ長すぎで編集もよくないかもしれない…https://t.co/LYs4k6Vz1O pic.twitter.com/y0ERucaPB3
急
宮部みゆきさんのソロモンの偽証を本で読むととても面白いけれど、これを映画化してみると中学生あたりにこの役を割り振るのは酷のなのではないかという気がする。
確かオーディションで子役を募集したのだと思うが、子役たちは真剣に逆に取り込んでいるしその役もきちんとこなしているので、子供たちの演技に問題はないと思っている。
ただ宮部みゆきのソロモンの偽証を映画化するにあたって、実在の中学生程度の年代の子供に当てはめてみると、これはどうしても矛盾が生じる内容となる。
それはなぜかというと本の内容が自体が重たすぎるのだ。
もちろん中学生だからといって重たい内容の出来事に遭遇しないわけではないし、そのことを真剣に捉えて悩みに行くこともあるだろうと思うが、これを映画の中の言葉として本のような表現は難しすぎるのではないかと思った。
そういう意味では韓国の TV ドラマシリーズのソロモンの偽証は、年代を高校生に置き換えてあったのは正解であると思う。
高校生ぐらいであれば大人っぽい考えやソロモンの偽証的なドラマの内容を再現することも、それほど違和感なく見ていられた。
日本版のソロモンの偽証も出演しているすでに名は知られている役者は別として、子役たちは与えられた意味を立派にこなしているし役にもなりきっている。子役たちのレベルは高いのでそれは評価に値する。
ただ日本人のような童顔タイプの人種では子役は余計子役子役して見えるので、あまりにシリアス的な内容なのでそこは映画的に脚本すべきではなかったかと思う。
この映画は原作に忠実でもないが、それでも社会派的な作りにしようなんて映画作りのイメージがそちらの方へ行き過ぎている。そのため、子役たちが頑張っている映画の割には、映画の作り手の意図は失敗している残念な映画と言わざるを得ない。
それでも映画として面白くないわけではないので、編集でもう少し顔のアップシーンを短くし不、要なコマ割りを詰めて2時間程度に再編集すればより面白い映画になると思える。
映画に津川雅彦が数カット出てくるのだけど、映画で往時を馳せた俳優津川雅彦がすっかりと老けきっていたのは少しショックであった。
たいした演技が必要でもない役柄に昔の俳優を晒すかのようなシーンを入れることはないとも感じた。これも映画の箔付けに出演を依頼したのかと訝る一つでもある。
よってこの映画は、社会性的な問題提起で高尚な映画のイメージをオブラートにして包む故に、物語性を疎かにしてしまったのでギルティーと断定する。
この記事は 中高年の星☆爺婆の太陽 静吉がお届けしました😎
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