高齢化とウォーキング
2020年10月20日
うぉうぉうぉ高齢化、はい、獰猛です。
中高年の星☆爺婆の太陽 の静吉プレゼンツでございます😍
序
昼と夕食を宅食をとるようになって、料理をしなくなったからそのぶんの時間が余るようになった。
そのぶんの時間が余るようになったといっても、時間なんてよっぽどしっかりした使い方をしてない限りは、余った時間は無駄の時間の中に無意識のままに消費されていってしまうものだ。
僕の場合はパソコンデスクの前に座ってることが長いので、少しでも運動はできるようにと散歩をするように努力をしている。
天気が良ければ低山登山ハイキングにも積極的に行っているけれど、10月に入ってから残念ながらそんなに天気の良い日は多くない。
そんな時は運動と気晴らしを兼ねて夕方から夜散歩に出ることがある。
夜散歩というと洒落た感じがするが、洒落てるというよりは実際は徘徊してるに近いかもしれない。
なので照れ隠しで夜散歩は徘徊ですなんてことを Twitter などでは呟いている。
植物の植え替えをしているときに、ラジオを聴きながでやっていることが多い。そのラジオ聞いていてウォーキングの効率的な歩き方が流れてきたのでちょっと注意をして耳を傾けていた。
3分間早足で歩いて3分間ゆっくり歩くを繰り返すのが、ウォーキングとして効果的な方法だと知っていたけれど、ウォーキングと散歩とは相容れないものなんだ。
散歩速のんびりゆっくり街の様子を楽しみながら、あるいは風景を楽しみながら歩いていることを楽しむのが目的。
ウォーキングは意識した歩き方で、健康やダイエットなど歩くことが自体が目的。
ラジオから流れていたのはウォーキングについての効率的なやり方であった。
そして年をとって時間の余裕ができて、さらに体力があって、頭の回転がよければ、これほどハッピーライフはないと言っていた。それは本当に心底そう思う。
— 静吉@居直るど・ダ・ヴィンボー (@i_shizukichi) October 14, 2020
それで昨日の夜散歩で往復で4セットやってみたけど、3分間の早歩きってすごい距離を歩けるってことを実感した。そしてこれは結構きついです。 https://t.co/gqdO2VWlVE
この3分間早歩きウォーキングというのは、だいぶ前に NHK のためしてガッテンなどで取り上げられていたので、知識としては知っていた。
破
私自身は散歩が目的なのであってウォーキングが目的ではないので、3分間速歩きについてはスルーしていた。
それでも少し考えを変えて、私の場合は長時間散歩になるので、その中でこのウォーキングを取り入れてもよいのじゃないかと思っている。宅食にしたのだって食べ過ぎを防止するためなんだからである。
生きてる以上は誰だって健康で長生きしたいのは当然なのである。
ところが今の日本はまるで高齢化が悪いことみたいに、高福祉高負担で年金や医療費に莫大な金がかかり、それを少子高齢化時代に支える負担の割合が多くなって、高負担社会化現象を露呈し、結果的に高齢化自体が弊害と思わせるような事になっている。
悪いなあ、うちの親も高齢化とかの弊害で生きていて!
— 静吉@居直るど・ダ・ヴィンボー (@i_shizukichi) October 14, 2020
木の股から生まれて勝手に育った人は良いなあ😍 https://t.co/OIlZdNoH7J
ネットの中の比較的若者たちのなかには、もはや高齢化が社会問題であるかのような、いや高齢化が社会問題なのであるのは確かだけど、高齢者が問題なのではないのだ。そこのところは勘違いしないで欲しい。
個人としては自分のかかわる範囲での事しか知らないけれど、夜散歩で休憩代わりに所々のスナックに寄ることがある。
立ち寄る先のスナックのほとんどは大抵客がとても少ない。
そんなスナックの多くも、バブルの頃に客が入りきれないほど栄えていたものなのだ。つまりは団塊世代前後の人々が、世の中を活発に動かし高度成長期において貢献したからこそ、多くの高速道路も作られ多くのビルも作られ便利な国造りが行われたのだ。この金を誰が稼いだ金かお分かりだろう。
こんな設備の殆どを作ったのは団塊世代前後の人々なのである。
団塊世代前後の人が作った資産を受け継いで利用しているのだから、相応の社会負担をするのは当然なのである。こんなもののどこが高負担なんだ。嫌なら野山で性悪熊と間違えられて退治されない程度に野生児の如く暮らせよ!
私自身年金受給者であるがそのほとんどの内訳は国民年金で、厚生年金部分はわずかで、年金が生活の補助にはなっても年金受給ではとても生活はできない。
実際のところ家計に多少の蓄えがなければ年金受給するよりも、生活保護を受けた方がよっぽど生活が楽そうである。生活保護を受ければ、今の制度なら医療費の何割負担というのもなくなる。それこそ医者にもかかり放題だ。
生活保護を受けるつもりならば蟻のように資産など蓄えずに、年金も払わずにキリギリスのように遊び回って生きるのも良いかもしれない。が、先行き生活保護制度が確実に受けられる仕組みが残っているかどうか、そんなものは知らんぞ。なんたってそういう奴ら(おまえらだよ)が作る世代に移行するのだからな。
急
実際にはぼくの両親はぼくが子供の頃に逝去していていないのだけど、こんなふうに高齢化を医療が延命させているなんて言われるのはかなり心外である。これって自分の親のことも考えての発言なんだろうかと思う。
労働から開放されて時間の余裕があって、それこそ頭も普通に働いていて、自分の好きなことが出来るなんて、人生の最後に差し掛かってやっと得られた楽しみじゃないか。それをどうこう言われる筋はない。
地球上の人口なんてやがて80億人に達しようとしているんだから、これからはもっと少子化時代に突入すべきなのであって、人口増加マルチ的商法で社会をも保たそうってな政策と世界のあり方こそが問われる時代なのである。
少子高齢化時代になれば逆ピラミッド状態になるので高齢者が多くなるのは当然だが、これらの高齢者はほっておいても消えていくのだ。
どんどん消えていって地球上の人口が60億人ぐらいになれば良いのだ。
地球上の全人類の人口が60億人ぐらいになれば、個人個人はもっと広い土地に住むことも出来るだろうし、落ち着いた豊かな社会が形成される可能性はあるだろうと思う。
それこそが豊かな社会であり、そのような社会を目指し人間として生きる喜びを味わえるようになった高齢化が、社会問題なんてのがそもそも人間性を無視しているのだ。
ただそれは一人だけの力では叶うことではないので、そこには先見の明を持った政府というものが必要である。人類の英知を集めて人らしくあるためにはどのように生活すれば良いのか、そういったものを根本的に考え直す必要があると思う。車や電子機器類がどれだけ売れたかなんて、それこそ多消費社会が根本的に狂っているってことが分かってない。
それには一人一人も自覚し自立した物言う人間である必要がある。
昔のスナックは栄えていた。
そして今のスナックの多くがえてして暇である。
今時のスナックは早い時間帯に行けば客が一人いるかいないか程度の状態である。それでも遅い時間帯になれば数人の客が入ってくることもあるが、せいぜい数人の客。そんなところが一晩の客数のようである。
こんなんで経営が成り立つのかなあと思うほどであるが、スナックの経営者も高齢化していてから元気なうちは仕事をしていたいから店を開けるなんて感じになっている。
要はがっついてがっちり儲けようなどというつもりはないのだ。
儲けようというつもりはないのではなくて、スナックが儲かる仕組みではもうなくなっている。
それはなぜか?
団塊世代前後の人たちがさらに高齢化により、もうスナックにも行くことはなくなってしまったのである。
それでもまだ元気な高齢者はスナック長い顔を出してはいる。
これとて人生の残滓みたいなものでもう長くはない。
元気な高齢者がスナックに顔を出してカラオケを歌っていたのも、今年の春先からの新型コロナウイルスの影響で自主自粛となって外出を控えたため、元気な高齢者の活動もほぼ終息してしまった感じである。
それゆえ昔からあるような古いスナックのほとんどは、より暇になっている。
つまり良くも悪くも団塊世代前後の人たちが、あるいはこの時代の人々が日本を世界を動かしてきたからこそ今の栄誉ある時代があるのだ。そして、すでにある環境に不平不満があるなら自分の力で世界を変えていけって言いたい。
なんちゃってちょっと言い過ぎたかな、あは😅
なんて思ったけど言い過ぎどころじゃなくて言い足りない現実がある。
延命とはそういうことだったのだと初めて知りました。延命に関しては人工呼吸器などですでに植物状態になって個人の意志もなく回復が望めない状態でのことだと思っていました。意識もはっきりして会話もできる人間の治療やめることと延命は違うと思います。この国は本当に家族崩壊国だ。 https://t.co/HFLVlyFJq8
— 静吉@居直るど・ダ・ヴィンボー (@i_shizukichi) October 21, 2020
あと20年もすれば今の高齢者がいなくなって老人ホームは潰れるわ、空き家は膨大になるわ、土地は余るわ、車は国内ではより売れないわ、不良外国人が多く入って無為法化地帯も増えてくるわの上に、高齢者の使う金が消えて経済は停滞するわでもっとひどい世の中が来るはずだ。
高齢化が解消され、地獄が来るその時を楽しみに待っているが良い👿
この記事は 中高年の星☆爺婆の太陽 静吉がお届けしました😎
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