お盆でございますね。
世の中お盆お休みです。
どこが?
五木の子守唄
おどま盆ぎり盆ぎり
盆から先きゃおらんと
盆が早よ来るりゃ 早よもどる
あん人たちゃよか衆
よか衆ゃよか帯 よか着物
おどんがうっ死んだちゅうて誰が泣いてくりょか
うらの松山 蝉が鳴く
おどんがうっ死んだら道端ちゃいけろ
通る人ごち 花あぎゅう
花は何んの花つんつん椿
水は天から もらい水
何とも、哀切のあるお盆の歌です。
五木の子守唄と称される子守歌には、いくつものバラエティがありますが、ここに収録した歌詞が一般的ではないかなと思います。
Google先生に聞いてもらえば、幾つものバリエーションが見つかると思います。が、流れ的にはほぼ同じです。
意味的には
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盆までの子守奉公で、盆だけは実家に帰してもらえる
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わしら奉公人は乞食同然の身なりだけど、奉公家の人たちはこざっぱりときれいな着物を着ている。
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わしが死んだでも誰も泣きゃしない、蝉がただ鳴くばかりだ
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わしが死んだら通る人が花を上げてくれるかもしれんで、その辺の道端に埋めてくれ
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花は野辺の花で例えば春なら椿の花でよいし、水は天から降ってくるからいらんよ
こんな意味合いですがお盆帰省以外の部分は、わしらが身の先行きはこんなもんだよと記しているのです。*1
ゆえにお盆になっても帰る家もない、わずかな金子(きんす)で身を売られたも同然の、子守奉公に出た子供の一生のきざまがこの唄です。
お盆が来るのをひたすら待って、家に一時であれ帰省出来ることを楽しみにしていても、家から帰って来ても良いとの文は来ないことの方が多いのです。それは自分が売られたことを知らないからです。
貧しい小作人に生まれたのが女の子であれば、奉公という名での女の子を売るための人身売買です。
それが小作人の生きる知恵の一つでもあった時代です。
男が生まれたら早い内からの労働力で、女の子は奉公です。
奉公に出された女の子は、大きくなるにつれて奉公家のご主人の手慰みになることがせいぜいの、それが唯一の生きる道でした。
手慰みになって子供でも出来れば、粗末な小屋でも与えられて捨て食い扶持も貰いなんとかなるのですが、子供も出来なければ働くだけ働かされて一生を終えます。
それも劣悪な環境下であって、永い一生ではありません。
そんな奉公女の願いは、この歌の通りに道端にでも埋められ、行きかう人のご縁で野辺の花を一輪差し向けてくれることのみが、それのみが唯一の望みなのです。
死して袖触れ合うも他生の縁。
正にブラック企業以下の人の扱いです。
だから、ブラック企業の方がまだましでしょうかね。
って、そんなことを言っているわけではありません。
人が人を搾取するから世の中の経済が回っているのです。
大企業だからって自分の稼いだ仕事分以上に報酬をくれているわけではありません。どこであれ、あなたの汗水を搾取しているには何ら変わりはないのです。
そして搾取する側も搾取されている。
一体全体、搾取される側も搾取されているって、我々は誰に、未来永劫搾取され続けて行くことになるのでしょうか。
搾取し搾取される、それが世の中の仕組みなのでしょうか。
そんなもんで世の中に風が吹き、風は巡っているってことなんでしょう。
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暑いので未消化な儘でございますが、暑中お見舞いは・・・致しません!
CM
*1:五木の子守唄の解釈は平均的なものをさらに個人的に加味して解釈していますが、違う解釈も当然にあると思います。