ツアー旅行なんだけど、当然に同行の人と知り合うよね。
同行の人と知り合って、相手に対して自分はフレンドリーなつもりでもいるんだけど、それは、どうやら自分が本心でフレンドリーじゃないみたいなんだよ。
だからいくらフレンドリーにしてたって、そこの本質を見透かされているんみたいなんだ。
自分は精一杯、良い人を演じているだけみたいなんだよ。
それはそうであってそうなんだけど、どこか、なんていうのかなそれ一種の演技性人格とかいうのかなあ。
病的で治療が必要な演技性人格とかのパーソナリティ障害ではない程度の、こんな部分は誰でも絶対少しあると思うんだ。
ちょっとした目立ちがりた屋、って感じなのかな?
そんなだから、その行動を人に見透かされているのだろうかって思う。
だから、あいつから受けた演技性人格的フレンドリーって、そりゃ本人の自己満足なためにやっているんだから勝手にやらしておけばいいだけってことになっちまっているんだろうか。
いや、相手がそう思うとかじゃなくて、そういったことは本能でそう感じとられちゃうってことなんだろう。
「ひがし北海道」旅行で、バス同席の方がポケットウィスキーをちびりちびりと飲んでいた。つまみが柿の種だった。
おれも柿の種が好きで、ちょっと小腹が空いたときや口がさみしいとき用として柿の種の小袋分けになっているのを旅行に持って出る。
だから、そんな他人(ひと)のおつまみの小袋分けの柿の種なんか欲しいわけじゃない。
むしろ逆に、そいつがおつまみの柿の種を前座席のシートの後ろのネット物入れに押し込むのをちらっと見て、相手の柿の種がごくノーマルな柿の種であることにたいして優越感さえ覚えちゃう。
この優越感、どこから湧き出るもんなんだろう。
そんな優越感って、それ、お前の成果で出来たもんじゃないだろうに。
そんな他人の虎の褌的優越感を、ここで発露しなくてどうするんだってのが、おれが思う演技性人格行動なんだろう。
どういうことかって、意味が分かんないってか。
意味なんか分かる必要はないんだ。
ブログなんかただのツールで、演技性人格でいい人風をブログって、ほらわたしこんなに良い子なのよとか、ほらわたしこんなひどい目に遭ってきたのよとかって、ぜんぶブログ主にシンパシーを感じさせるための手段道具なんだから。
だから、ここで、おいらが、隣の席の人よりすごいってことを演技性人格的に自慢したくって仕方ないってことが言いたいのだ。
そこでおれが持ってきた三日分の柿の種小分け袋の出番だ。
そのひと袋を取り出し、期間限定商品のCoCo壱番屋カレーと亀田製菓の柿の種とのコラボ柿の種を、良かったらおつまみにどうぞと押し付けるようにやる。
相手は一度は断りながらも恐縮しながら、こんなのがあるんですかと受け取る。
この時の、少し上を行った感による充足を得るための演技性人格。
一日ひと袋分の楽しみなのに。
こんなことの為にお前はそのひと袋を無駄に使ったのか。
しかもこいつは翌日、ホテルの金庫の中に財布を入れたまま忘れてしまったから、何かの時に使う金がないからお金を5千円ばかり貸してくれという。
貸してやったよ。
簡単な借用書(寸借的)を書いてもらったさ、借用書もなしにツアー同行者と言えど貸したりはしない。夕方にちゃんと返してくれた。*1
牡蠣が美味しという道の駅レストラン。
オプションの弁当を頼まないで自由食にするには、その場その場のものを食べたいからだ。事前に用意されたものって、駅弁みたいに切磋琢磨して出来上がったものじゃなければ、普通に売っているお弁当なんか当たり障りないだけでそんなに美味しいってことはないのだから、旅行会社のマージン稼ぎオプション弁当なんてそういったことからしてもそりゃあ底が知れたものなんだ。
弁当も旅行代金に含まれていればその弁当を食うけど、オプション観光自体が弁当付きなどや時間的都合など特別な条件がある場合以外は、オプションで別料金を払ってまでそこが知れた弁当なんぞは注文しない。コンビニの100円なにがしかの菓子パンで飢えなら十分しのげる
だから牡蠣の美味しいレストランに入って、牡蠣のパスタと生牡蠣を二つ注文した。が、うんと待たされ集合時間が気になる。
待たされた挙句のそこへ、ツアー同行のもう一人一人参加の男が店に入ってきた。
いやあツアー旅行の弁当が美味しくなくてさあ、口直しに生牡蠣でも食べようと思ってさ、と言いつつ俺の横の席に腰を下ろす。
メニューを見ながら、牡蠣のオイスターシューター三点盛りを注文しようと店員さんを呼んでいた。
そこでおれ的には、注文したは良いけどもう確実に集合時間に間に合わないでそいつがあたふたするところを見るって選択肢もあったんだけど、そこは人の好い演技性人格傾向のおれが出てきて、注文するのは良いけど時間は間に合わないよって口を挟む。
生牡蠣なんか調理しないからすぐ出るでしょうって言っているけど、店員は順番なんですぐは無理ですと困惑気味。
そう、おれが注文した生牡蠣だってまだ出てこないんだからって、集合時間にはもう間に合わないからあきらめなよ的な優越感で口を重ねる。
この優越感、どこから湧き出るもんなんだろう。
そんな優越感って、それ、お前の成果で出来たもんじゃないだろうに。
ただ早く来て注文してあるだけってなことで生じた優越感を、ここで発露しなくてどうするんだってのが、おれが思う演技性人格行動なんだろう。
出たよ!
ここで、次の言葉が…
じゃあ俺が前菜に生牡蠣を二つ注文してあるから、その一つをやるからそれで我慢しなよって口が動く。*2
その牡蠣がほどなくして出て、おれが写真を撮り終わりデジカメを脇に置く間に、そいつは勝手にレモンを絞って牡蠣にかけやがった。
てめえ、その手は洗ったのか!
コミックならここでジョジョリオンが出てきて、悪羅悪羅悪羅悪羅悪羅×20と、100発ぐらい殴るところだろう。
と、やりたいところを、レモンをかけたならすぐ食べなきゃと言って、残った生牡蠣を食った。もう一個食いたかったが、自分が言ってしまったことで食い悔いを残す。
その前に、食わせてやった牡蠣はすでにそいつの腹の中だった。
当然に相手はじゃあ半分払いますよっていうけど、良いから良いからと、ここでもいい人ぶったおれが勝手にほざく。
男なら、お礼に、ここの食事代全部持ちますよぐら言いえ!
いや、おれなら、店を出るときに、あの人の食事代って払って黙って出る。それがおれだ。だからそうならないように、人のものなんぞにどうぞと言われてもむやみに手を出さない。
パスタが出てきて急ぎ食し、金を払ってレストランを出てきた。パスタも茹でたてでその水分もすっきり飛ばしてあって、ねっとりと美味しかった。
三日間の「ひがし北海道」観光旅行が終わった。
柿の種と5千円貸した奴からは何の見返りもない。牡蠣を一個食べさせてやった奴からも何の見返りもない。
ただ、二人ともどちらとも仲良く会話をしながら旅行を楽しむことが出来た。
だからって、この満たされない心というのか、むなしい思いの気持ちは何だろうか。おいらだけが人のご機嫌取りやってた感が残る。
わずかばかりのことをして見返りを意識はしていないけど、三日間もあったってのに、こんなのがあったからっ買ってみたけど一口どうですかの一言もないのか。
これっておれが期待しすぎなのか?
病的で治療が必要な演技性人格とかのパーソナリティ障害ではない程度の、自己満足行動の結果がこれなのか。
自己満足の結果は不自己満足になる結果なのか。
そんなせこい気持ちだから、その行動を人に見透かされているのだろう。
あいつから受けた演技性人格的フレンドリーって、そりゃ本人の自己満足なためにやっているんだから、勝手にやらしておけばいいだけってことになっちまっているんだろうか。
いや、相手がそう思うとかじゃなくて、そういったことは本能でそう感じとられちゃうってことなんだろう。
そういったことも回りまわって、全てが損な方向の結果しか出ないって、これなんなのさあって思うんだよね。
ザ・モップス 「たどり着いたらいつも雨降り」って感じだよ。
作詞作曲の吉田拓郎が唄う方じゃなく、ここはザ・モップスが良い。
なんだか今日は わいだん (id:wp-dandy)さんのコラム的「俺があいつを見返す日」にシンパシーを強く感じ、ちょっとしたコラム風な記事にしてみたけど わいだん さんのムードには遠く及ばない。
わいだんさんのブログは、いつも半けつ丸出しのまままっこりさんのブログ紹介で知った。なかなかに同性としての共感力が実に高い内容なので、男どもよ、是非一読されたしなのだ。
おっと、ぴんぽ~んで、北海道からのお土産が、今届いたぞ…
♥ ♥ ♥ ♥ ♥