室内栽培
2019年12月4日
植物栽培が自分の管理能力を超えだして苦労している私です。
減らしても減らす分以上に買ってきてしまうのは、もはや病気でしょうか。植物依存症ってやつだな(笑)
植物依存症って、植物にはアルカロイド的危険成分が含まれた種も多くあって、植物に依存していると聞くとなんだかヤバいやつのような感じも受けなくはないですね。
たとえば幻覚きのこに幻覚サボテン。アサガオ類の種などグレーゾーンなものから違法な大麻や麻薬もすべて植物由来です。どこにでも生えているキョウチクトウの枝を橋の代用でもしたら、それだけで命にかかわる事態さえ起きちゃ可能性は高いのですよ。
そういえば田舎で子供の頃に麻薬の素で、アヘンの取れるケシの花なんて普通に庭の中で咲いていましたよ。
花の後に大きな子房が出来てそこを傷つけると白い乳液が出てきてそれが麻薬だなんてことも知っていたけど、誰もそんなもので悪さをする者はいなかった。
自分もケシの子房を傷つけて白い汁を出して遊んだこともあります。
ケシの花は子供の背丈ほどに大きくて、花も大きく色もカラフルでとてもきれいな花でした。地味な花が多い田舎の庭で引き立つ花でした。*1*2
だから園芸的な植物依存症ってのは、可憐なお花を追い求める乙女チックでかわいい私と同じようなもなのでございますので、そう思われました方は遠慮なく愛のDMください。その中には金一封もお忘れなくお願いいたします。(ぜって、来ねえからw)
というようなのとは全く趣を異にしております。
一目見て可愛いって植物はあまり栽培していません。って言うか、分かりにくい植物が多くて、近くには同じ趣味の話が出来る方も少ないです。
いや、植物依存症にパンジーとかサフィニアの話をされても、逆に付いていけないのです。
そんな変態的な植物依存症ですが、植物依存症になるにもパワーが必要です。
いつまでも情熱を失わないだけのパワーとエネルギーが必要です。
植物依存症などは歳をとってできるものじゃありません。歳をとってできるとしたらそれは金の力で出来ることでしょう。それも極々稀な方です。
さて私が栽培している植物の紹介は、次の三つの記事で一応紹介いたしました。
実はこれ以外にも別に室内に取り込んだ植物があります。
この棚はツユクサがいつの間にかこんなに伸びてツユクサの棚になっちゃったけど、片付けようかどうしようかと思案中な感じです。
南側の窓に百均のツッパリ棒を購入して桟を作り、その中にフウランという植物を入れて室内管理しているものがあります。
こんな状態な窓がもう一か所あります。
そして室内に取り込むことで用土の水が乾くのです。用土はミズゴケで丸くなっている部分がミズゴケです。ミズゴケの上に葉がシュシュと出ているのがフウランです。
誰かがこれを見て、おばけのQ太朗みたいって言っていました。成程頭に毛が三本ですね(笑)
またある方はミズゴケが緑色に変化してきたときに、これらがサボテンだと思っていた方もいらっしゃいました。
見方が変わるって面白いですね。
さて室内に取り込んだ植物は意外と早くに用土が乾燥して水やりが必要となります。窓辺にジョウロで水をジャーってやるわけにはいきませんので、キッチンの流しに持って行ってこんな風に水やりをしています。
題してフウランの行水風景です。
一度乾いたミズゴケはなかなか水を吸い上げてくれませんから、こんな風に水浸しにして水をよく吸わせてやります。
そして水を切ってから、更に出てくる余分な水を切るために古新聞にその水を吸わせて水を切ります。
結構面倒なんですが、多くても週一度程度なのでまあなんとかやっています。
ひと窓分のフウラン全部に水やりをした状態です。
ここで古新聞に充分に水を吸わせてから、それからまた窓辺の桟に戻して並べます。これがもうひと窓ありますので数日後に同じ事をします。
無加温のラン小屋に収納してもいいのですが、冬場は室内で面倒見てやった方が植物の生育に良いみたいなのです。なにもしないよりちょっと加温(人が寒くないための)敷いた余熱もあるし、南向きの窓でもあることから日が当たると冬場は太陽の位置が低いのでこの窓によく陽が射します。
よく陽が射しこむどころではなくて、陽が強いのでエアーパックを貼り付けて少し光を散らしています。これぐらいでちょうど良いです。
植物が成長するほど暖かいわけじゃないですから冬場は成長しませんけど、それでも春2月頃もっともな厳冬期に新しい年の息吹きを見せてくれるので、ラン小屋に置いておくよりその分成長が良いみたいに思います。
それと気になる個体とか弱そうな個体のみを室内管理しているので、気になる個体を手に取って見る機会が多くなるのでそれも楽しいところです。
今年もあと一月足らずで日で2020年を迎えます。
本当に一年のサイクルがどんどん短くなっている感覚になるのは、自分の生きている年数分の一年だから母数ばかりが大きくなって分子は変わらず1のままだから、人生に対して一年が短く感じるのは仕方ない事なのかもしれません。
まあ、それでも、その一年はおぎゃと生まれた赤ちゃんから、棺桶に片足を突っ込んでも同じ一年です。
同じ一年でもおぎゃあと生まれた赤ちゃんのこれからの人生もあれば、棺桶に両足突っ込まなければならなくなる終わりへの人生もありますが、植物依存病を治療しつつ好きな植物と関わりながらこれからもあるようにありたいなと思います。
◇◇◇◇◇