チコちゃんに叱られないブログ

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ぼくは歌は好きじゃない


ぼくは歌は好きじゃない

2020年5月12日 

 

2020年5月12日。

 

久しぶりにブログを書いている。

いや、昨日もブログを書いたには書いたんだ。だがそれは昨日かいたのではなくて昨日の前日に書いて予約投稿で昨日公開したというわけで、だから昨日はブログは書いていないんだ。

 

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何か書けと言えば落ちている鉛筆一本でも転がっている消しゴム一個でも、道路のゴミや道端の隅の縁石の割れ目に生えている草花一つでも記事は書ける。

PCのことでも書こうと思えば書けるし、歌のことや絵のこと、最近作っているGIFアニメのことだって書くことが出来る。

それこそ24時間書けますかって聞かれて、25時間書けますって答えたいぐらい書くネタには不自由はない。

ネタなんてきっかけに過ぎなくて、要はそのきっかけを基に、話を膨らませればよいだけなのだ。

 

その話のきっかけで話を膨らませる方法が多くの人には思いつかないのだろうか。

ネタがないなどとほざくブログを散見する。

ネタがないんじゃなくて、頭が梗塞を起こしているだけでネタは目の前にも幾らでも落ちて、取り上げてもらえる時を待っているんだ。

いや、ネタが取り上げてもらうのを待っているんじゃなくて、なにかを見てあなたの中の知的好奇心がその時を待っているってことだ。

 

知的好奇心が発したちょっとして掠めた光をあなたは見逃してしまうのだ。

 

例えばなぜ私が今日このブログを書こうかと思ったきっかけを言おうか…

 

それはベッドから出てトイレに入ったんだ。

 

トイレの中で設置家電みたいに置いてあるタブレットがあるんだ。このタブレットには歌謡曲などが数百入っている。

が現在はデジタル時計アプリを使って時間表示にしている。

だからそのスマホはまるでデジタル時計そのものです。

もう古いタブレットでバッテリー交換も難しいので充電コードを挿しっぱなしていてまさにデジタル家電みたいな感じになっている。

 

そのデジタル時計家電。

いわゆるガジェットってやつだね。

トイレに入って、たまには音楽でも聴こうかなと思って時計表示を消し音楽をかけた。

選択した音楽は井上ひろしが歌う「雨に咲く花」だった。

古い古い歌で多くの歌手がカバーしている。

そのカバーしている歌手ももうこの世にいない方が殆どかなと思われるほど、古い時代の歌謡曲です。

 

トイレでこのタブレットでまだ話題となっている鬼滅の刃の主題歌紅蓮華をなんとか覚えたのだった。米津玄師さんの馬と鹿もトイレで覚えた。

ぼくは音楽は繰り返し繰り返し聞いて、一緒に歌いながら歌っていかないと全く覚えられない。

音楽のメロディーを聞いてその曲に合わせて歌うなんて芸当はない。

だからぼくの歌はぼくが歌う歌であってもただの口コピ歌である。

それも下手な口コピであるが歌を覚えるにはこれが手っ取り早い。

 

歌手の歌を聴きながら歌を覚える。

それはだれしもというより多くの人がそうだろう。

曲を聴いて曲の流れのままに歌える人は歌手でもそれはアーティストなんだ。

芸術家というにふさわしい。

芸術家はそしてチャンスの女神が微笑めば世にも出ることが出来る。

芸術家と言えどチャンスの女神が微笑まねば世に出ることは叶わない。

在野のままで終わることになるし、持っている芸術を生かすことはできない。

せいぜい飲み会で歌って歌が上手なんですねと称賛を浴びるのが関の山である。

 

それが音楽でもなんでも、頭角を現す人とそうでない人の違いの一つでもあろうかと思う。

かと言ってこれが全てじゃない。

 

馬と鹿だって人並の頭があれば、親に力があれば蛙の子は蛙で二代目が出来る可能性は高い。

 

政治家二世や三世なんてそれこそ親の影響力で出来ているだけで、特出した能力があるわけじゃないってことはこれまでの歴史が物語っている。

誰でもとは言わないがその環境に10人がいたら、その何割かはその仕事が出来る程度の能力は雑踏の渋谷の交差点で石を投げれば誰かに当たる程度に、誰でもその位の能力を有しているのが人間なのである。

 

ところが本当に神の寵児というべき人間もいて、それは名もなきところから一代で大きなことをなすべきものもいなくはない。

 

がしかしこのブログではそんなことが言いたいわけじゃ全くない。

 

ぼくが何か言いたいのはブログを各ネタはどこにでも転がって、こうやって話はどんどん膨らませて行けるってことだ。

 

ぼくが今日ブログに書きたいなって思ったことはただ一つなんだ。

 

ぼくは歌が好きじゃないってことだ。

 

自分の歌は音楽センスがある歌じゃないってことは自分で分かる。

いくら自己愛が強くても、自分に出来ることできないこと他人との落差の違い位は認識できる。

 

今朝、トイレで井上ひろしの「雨に咲く花」という歌を聞いていた。

1メロを聞いて2メロあたりで歌を止めた。

ぼくは人の歌が聞きたいわけじゃない。

誰の歌が良いから聞きたいわけじゃ全くない。

その歌が歌いたいなと思った歌が好きだけど、それも歌手が歌う歌を聴くのが好きじゃない。

つまり歌手の歌う歌を、一曲たりともちゃんと鑑賞で聞くということはできない。

 

だからぼくは歌が好きなんじゃなくて、歌を歌うぼくが好きなんだってことが今日というか、今朝のトイレで改めて実感ししたという次第なのだ。

 

まさに自己愛を越えた自己愛とでもいうやつだろう。

これからもこのスタイルで歌を愛していくのだが、それでも中には聴いていたくなる歌もなくはないのだが、歌を聴きながらいつの間にか共に歌ってしまう自分がいるのだ。

 

これはまず間違いなく自分の中の多動性障害というやつかもしれないと、ふと思ったりする。

 

多動性障害的であると認識することは自分を知る上でも大事なことだ。

だがその多動性障害を問題と考える必要は全くない。

自分を何々だからと枠に入れてしまう記事やツイートを見るが、それが自縄自縛の世界観というものではないかと思う。

人は色々な面を持っていて誰でも少なからずの多動性とか心因的障害など様々要素を持っているのものなのだと思う。

そんないろいろな面が無くて竹を割ったようにスパッとした性格だけなフラットさで人の心は出来ているわけじゃない。

 

◇◇◇◇◇

 

 

ブログも自分が書きたい時に書く自分のブログが好きなだけで、音楽童謡他の方のブログに執着することは明けた窓から入りほほを撫でて行った先ほどの風ほどにもない。

 

そんなブログの記事が1000記事になった。

i-shizukichi.hatenablog.com

 

そんな偏狭なブログを読んでいただいたかもしれない方に、ここに篤くお礼を申し上げます。そして申し添えたいのは、ブログに訪問するのと、ブログを読むのは違うことだと認識することが大事だと思います。

 

こんな自分は、他の方のブログには時折訪問することしかできておりません。

このことは深くお詫び申し上げますが、それが自分です。

  

◇◇◇◇◇

 

 

i-shizukichi.hatenablog.com

 

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